家族制度という言葉は種々の意味に用いられるが,大別すれば,一つは,社会的に存在する家族の共同生活を支配する秩序であり,他の一つは,家族の共同生活を支配する法的秩序一般ということができる。社会的に存在する家族秩序は,個々に異なるニュアンスを有するとしても,その社会の主要な生産のしかたとそれに規定される社会秩序の一つとして,いくつかの類型に分けられる。国家は,それらのうち,統治上必要と考えるものを選び,ときには,他国の法令に規定された家族秩序をも参考にしながら国家統治上,有効な一定の家族秩序をつくり上げ,それを法として,人々に強制する。近代国家では,それをたいていの場合,民法典その他の法律として規定し,それによって,社会的に存在する家族を法的に規定された家族に近づけようと努める。一方,社会的に存在する家族秩序は,このように法的家族秩序によって規制されながらも,一定の独自性を保ちつつ,社会の生産の様式や社会秩序の変化に規定されて変化する。また法的家族秩序も,主として国家の政治的変動期・改革期に,社会的家族秩序の変化に対応する変化を遂げる。しかし,その際には,往々にして,深刻な政治的・心理的抵抗を伴うものである。以上,家族制度一般について述べたが,日本において家族制度という場合,1898年(明治31)に公布された民法(明治民法)に規定された〈家〉制度を指すことが多い。次に,これについて述べる。
〈家〉制度の形成に重大な役割を果たしたのは,1871年(明治4)の戸籍法であった。維新政府は,幕末の動乱期に輩出し,すでに新政府にも脅威となりつつあった脱籍浮浪者を〈取り締まる〉ことを手始めに,戸籍の全国的編製によって権力機構の日常的機能を可能とする体制を生み出そうとした。維新政府が最初に着手した制度の創設が,軍制と並んで戸籍の全国的整備であったことは注目に値する。すなわち,政府の布告に〈国民〉の言葉が一般的に用いられたのが,この〈戸籍法〉制定の別紙布告が最初であったように,維新政府は封建的割拠を打破し,階層的な身分を平準化して,近代国家の統治の基盤としての〈国家人民〉の同形化を行うことを企図したのである。こうして〈戸籍の先進地〉京都府の戸籍法令を手がかりに制定された同法にのっとって,72年,全国的に戸籍が編製される(壬申(じんしん)戸籍)が,この戸籍手続の中から,幕藩体制の解体と,新たな社会的・国家的秩序の再編に適合する〈家〉制度が,しだいに形成されていった。この戸籍法では,現実の〈戸〉内における家族の居住関係やその身分異動の実態が,戸籍にそのまま反映されることが期待されていた。そのため,全国の戸主は,華士族,平民を問わず,戸長に対して,家族の居住関係や身分関係の変動を届け出る義務(権利)を負うことになった。具体的には,出生,死去,出入(=婚姻・縁組の成立,解消,移住など,送入籍をともなうもの)という居住,身分関係の変動を戸長-戸主の系列によって,国家が統一的に把握しようとするものであった。すなわち,国家は,全国民を華士族,平民の別なく,一律に,戸主を頂点とし,その下に戸主との身分関係(続柄)に従い,尊属,直系,男性を優位に,卑属,傍系,女性を劣位にした家族秩序を持つ親族集団において把握し,これを統治体制の基礎にしようとしたのである。
この親族集団こそが,〈戸〉あるいは〈家〉と表現されるものにほかならない。このことは,国家が,戸籍をとおして家族倫理=家族内秩序を維持,確保し,さらにそれを〈全国民〉=〈臣民一般〉に共通のものとして現実の家族に適用して,四民平等に照応した均質で規格化された〈家〉を創出しようとしたことを示している。1870年9月,平民に名字を称することが許されたのも,この前提条件を備えるためのものであった。維新政府は,このようにして,戸籍によって〈家〉の範囲を規定し,戸主と家族員との関係を定め,〈家〉を通じて現実の家族を把握し統制する方法を設定した。すなわち戸籍法を枢軸として,〈家〉によって現実の家族を規制し,この〈家〉規制を通じて〈家〉の背後にある戸主所有名義の財産=〈家産〉=財産関係をも規制することができた。ここに形成された制度(慣行)が,当時〈(本邦)戸主ノ法〉と呼ばれたものであった。さらに,この戸籍手続が,主として旧社会の村役人層を通じてなされたことも重要で,戸長の多くは,旧幕藩体制下の名主や庄屋であった。すなわち〈近代国家〉の形成は,伝統的な村落秩序の再編・強化と深く結びついて進行したのである。こうして,〈家〉と〈村落共同体〉と〈国家〉を強力に結合する近代日本の国家体制=天皇制の確立に,この戸籍制度の創設は,大きな役割を果たしたのである。徴兵制度,徴税制度のすみやかな実施も,この戸籍制度を前提としてはじめて可能となったといえよう。このような〈家〉制度は86年の内務省の戸籍法令によって,ほぼ完成した。
一方,日本の近代法体系をつくり上げるうえで重要な役割を果たした民法典の編纂はフランス民法典の影響をうけた。そのため,1888年の身分法第一草案では,家族の身分行為に対する戸主の統制権は規定されず,相続も実質的に均分相続に近いものとして規定されるなど,個人主義的な近代法原理が貫かれていた。この草案をもとに地方長官,裁判官,検事らからの意見を参考として,戸籍法令の施行過程において形成されてきた〈家〉制度を組み入れる方向で民法の編纂が行われたが,なお近代家族法原理を強く残していた。この民法は90年に公布,93年から施行されることになった。これがいわゆる旧民法である。ところが,この旧民法の施行延期を主張する強力な意見が,イギリス法系の行政官,法学者,代言人(弁護士)らから出され,フランス法系の司法官,法学者らとの間で激しい論争(いわゆる民法典論争。〈法典論争〉の項目参照)が展開された。結局,この論争は〈民法出デテ忠孝亡ブ〉(穂積八束)と主張した反対派の勝利に帰し,1892年延期案が裁可公布され,旧民法は葬り去られることになる。こうして93年に新たに設置された法典調査会において民法の再編纂が行われ,98年6月21日に民法第4編親族,第5編相続が公布され,7月16日に施行されることになった。
明治民法は,旧民法においてもすでにみられた〈家〉制度を明確に体系化して規定した。人はすべていずれかの〈家〉に属し,〈家〉の統率者である戸主に従う。戸主は,戸主権を持つが,その内容は,家族の居所を指定する権利,家族に対して婚姻,養子縁組,分家などの身分行為を許諾する権利およびこれらを担保する権利(離籍権,復籍拒絶権),さらに祖先祭祀の権利である。この戸主権は,家督相続によって,戸主の財産とともに長男に承継されるのが原則である。戸主の地位の承継者がいない場合に備えて養子制度などが定められた。戸主の地位は,上述のように強大であるが,その反面,戸主は家族に対して最終的な扶養義務を負った。明治民法はさらに夫権を認めて妻を無能力者とし,法定財産関係において夫の優位を認め,子に対しては父権優位の親権制をとり,家督相続において男子を優先するなどして,男子優位の原則を確定した。しかし,明治民法は戸主財産を,実質的には家産であっても法律的には戸主財産としたから,近代的な所有権制度と矛盾する家産的な制度はなくなった。明治民法は,〈家〉制度と近代的な財産法制度との整合性を保持し,近代民法の条件を備えたのである。
明治民法の家族制度の中核をなす〈家〉の制度は,こうして,日本の農業,商工業における広範な家族経営の維持と存続を法的に保障する役割を果たし,興隆期にあった日本資本主義の発展に大きく貢献した。さらに,治安政策や社会政策を〈家〉が補完し,社会秩序を維持するというきわめて重要な役割を果たし,家族国家観を支柱とする日本の近代国家の統治体制の基礎となったのである。
しかし,日本資本主義の急激な発展に伴う社会的矛盾の激化(農家の窮乏と農村人口の都市流出,都市人口の増大と小家族化の進行,その中心をなす労働者家族の窮乏など)によって,〈家〉制度は大きな変容をうけることになる。すなわち,第1次世界大戦後の支配体制の動揺期に,臨時教育会議が〈淳風美俗〉による家族制度の改正,教化を主張したことは,なお〈家〉制度が統治体制にとってきわめて重要な意義を持っていたことを示すが,資本主義化による社会変動の実態は民法の中に〈家〉制度の強化規定をおくことを許さなかった。臨時教育会議の主張をうけた臨時法制審議会の親族・相続編改正要綱(1925,27)は,むしろ,小家族の家族秩序を反映して〈家〉制度的統制を緩和する方向を示すものとなった。この改正要綱は,結局立案されずに終わるが,明治民法の〈家〉制度は,現実の日本社会の小家族生活の実態と大きなずれを示し,〈家〉の範囲も公簿上だけの非現実的なものになっていたのである。大正から昭和にかけての寄留法(寄留),救護法,健康保険法をはじめとする一連の家族政策,家族法,治安立法の立案・施行は,〈家〉制度のもつ社会政策と治安対策の代替機能が,家族関係の変動の下で低下しつつある現実に対して,国家が,権力的かつ政策的に介入することによって制度の補強を図ることを企図したものといえよう。
しかし,家族関係の実態と〈家〉制度との乖離(かいり),さらに国家のイデオロギー的支柱としての〈家〉観念との矛盾は,日中戦争開始(1937)から総力戦体制の確立,戦争の激化の過程で一段と深まることになる。国家総動員法(国家総動員)に基づいて,戦時体制を維持し遂行するための人的資源として全国民の労働力を確保し,強制的かつ全面的に国家権力の統制下に置くという目的で,現実の家族を掌握し介入し保護するという方向が追求された。こうして〈家〉的統制の緩和の方向への学説・判例の努力(1941年の〈戸主の居住指定権の制限〉,42年の〈父死亡後の認知請求の訴えの許容〉など)がなされる一方,〈家〉の観念はますますイデオロギー性を強め拡大宣伝され,没我的な戦争への協力を組織する役割を担わされて,天皇制ファシズムのイデオロギーの中核となるのである。
上述したような〈家〉制度が,両性の本質的平等と個人の尊厳を基調とする日本国憲法と矛盾することはいうまでもない。このため〈日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律〉10ヵ条が1947年5月3日から同年末までの限時法として制定された。そこでは,民法総則編に規定されていた妻の無能力が廃止され,旧法第2章の戸主および家族の全章が削除され,父だけがひとり親権者となる規定が改められて,子の父母は共同して親権を行うものとされ,相続については,家督相続の規定を適用せずに遺産相続の規定によることとされた。これによって〈家〉に関する規定と男女間の不平等について定めた規定が廃止されたのである。これが,47年12月22日に成立し,翌年1月1日から施行された〈民法の一部を改正する法律〉,すなわち現行の改正民法に継承され,今日に至っているのである。しかし,改正に際しては〈家族生活の尊重〉を説く学者・政治家から強い抵抗があり,それとの妥協の結果として,親族間の扶(たす)け合い義務を定めた730条や祭具などの特別承継(祭祀財産)を規定した897条のように,〈家〉制度的観念のなごりと考えられるような規定も現存している。
〈家〉制度的観念は,法制度だけではなく現代の日本社会にも根強く残っている。結婚式や葬式を何々家と何々家の結婚式,何々家の葬式とすることが依然として多い。また墓石正面の表示を見ても〈何々家之墓〉とか〈何々家先祖代々之墓〉となっているのがつねである。近年,憲法改正論議とともに家族制度復活論が台頭し,復活論者は〈夫婦親子を中心とする血縁的共同体を保護尊重し,親の子に対する扶養および教育の義務,子の親に対する孝養の義務の規定,および農地相続に家産制度を採用する〉ことを提唱している。しかし,現行民法をこの提唱の趣旨に沿って改正することは,時代の進歩に逆行するものであろう。
→家 →家族政策 →戸籍 →民法
執筆者:山中 永之佑
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
家族の構成や機能についての法律、慣習、道徳などの諸規範の総体をいう。狭義には明治の民法によって規定された法制上の「家(いえ)」に関する制度を意味した。もとより第二次世界大戦後の民法改正(1947)で、この意味での「家族制度」は解消した。しかし、慣習としての家制度は明治の民法以前から、近世以来長期にわたって日本の社会における家族の制度として、民法改正後さえ希薄化しつつもなおみられた。現代日本の家族制度は、民法上の「家」制度廃止後、とくに1960年代の高度経済成長期を経て核家族を中心とする小家族を本位とするものに移行した。従来の、狭義の「家族制度」は、異なる文化をもつ社会がさまざまな時代に示した多種多様な家族制度の一つの形にすぎない。民族により、また時代により異なる家族制度は、観点によって多様な分類が可能である。
父親のいないのが常態と報告されているヘヤー・インディアン(カナダ北西部の寒冷地に住む狩猟民)のような特例的社会がまれにあるとしても、人類は、一般的に婚姻による夫婦がやがてはそのもとに出生あるいは養取による子と、その成人独立までは同居し、家族生活を長期にわたって営むことを常態とする。国家や大小の地域社会ないしは宗教団体における社会的規範が、社会生活の安定に必要とみた形の秩序を、法律や慣習や道徳によって保障しようとするとき、その社会で営まれるべき家族生活の準拠すべき制度が成立する。現存する家族の制度を、まず婚姻に関する制度からみれば、単婚(一夫一妻婚)か複婚(一夫多妻か一妻多夫)か、婚姻の相手を一定共同社会の範囲外に求める族外婚か、その逆の族内婚かなどというようなことが、その社会で許容され、あるいは禁止されるかが婚姻制度として決まっている。家族内の権威構造についても父権制、母権制、家父長制、夫婦パートナーシップ制などがあり、家産相続については一子相続制や均分相続制がある。同居や扶養のあり方についても、父系拡大家族、母系拡大家族、系譜家族、核家族などの異なる制度が、その時代その社会での家族制度となっている。中国や韓国などでは古来夫婦別姓であるが、日本の夫婦別姓への民法改正案(1996)とは意味が異なる。
[中野 卓]
明治の民法における法制上の「家」制度は、日本の近代における一時期に限られたものであり、同一戸籍に属する戸主の親族関係者すべてにより構成される団体であった。それは現実に共同生活を営む家族集団とはかならずしも一致しなかった。現在の民法では、個人の尊厳と両性の平等に基づき、成年に達した男女の自由な合意により一戸籍単位が編成される。かつて、新夫婦はその双方の両親いずれかの側の戸籍に婚入し、あるいは婚入(婚入か婿入)したうえで分家するという形で戸籍上登録されたのとは大きな変化である。しかし、現行戸籍単位もまた、かならずしも実際の家族生活の実態をそのまま示すものではない。子夫婦が親夫婦と当初は別居した家族単位も、のちには双系老親と選択的に同居する場合を含む柔軟な形の制度が生じえた。
[中野 卓]
『神谷力著『家と村の法史研究』(1976・御茶の水書房)』▽『中野卓著『商家同族団の研究』(1978・未来社)』▽『中野卓編『明治43年京都――ある商家の若妻の日記』(1981・新曜社)』▽『原ひろ子著『ヘヤー・インディアンとその世界』(1989・平凡社)』▽『『日本家族制度と小作制度』(中野卓他編『有賀喜左衞門著作集Ⅰ・Ⅱ』所収・2000・未来社)』
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…改正前の民法旧規定における家族制度の中心的概念で,〈家〉の統率者,支配者。戸主とは,いわゆる家督相続によって得られた地位にほかならないのであり,家督相続は原則として長男の単独相続とされた。…
※「家族制度」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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