曼荼羅はサンスクリット語でmandalaといい、本質、心髄、醍醐(だいご)を意味するマンダmaaと所有を表す接尾辞ラlaを合成した語である。過去受動分詞の完了を示すので、「本質を所有するもの」「本質を図示・図解するもの」の意である。仏教では、旧訳(くやく)で壇(だん)、新訳で輪円具足(りんえんぐそく)、聚集(しゅうじゅう)と訳す。
マンダラは、密教の法具の中心で仏画のジャンルに入るが、元来日本でつくられたものではなく、空海が中国から経典などとともに持ち帰った請来(しょうらい)品である。漢文で「曼荼羅」「曼陀羅」などと音訳する。用途の方法、目的によって分類すると、大きく両界(りょうがい)曼荼羅と別尊(べっそん)曼荼羅に分けられる。ただし浄土教絵画の浄土変相図も曼荼羅と呼称する。
また、宇宙の現象および形相論的説明として曼荼羅の表現を4種に分ける。すなわち、大(だい)曼荼羅、三昧耶(さんまや)曼荼羅、法(ほう)曼荼羅、羯磨(かつま)曼荼羅で、略して「大・三・法・羯」といい、四(し)曼荼羅という。空海の所説であるが、根拠は『大日経(だいにちきょう)』本尊三昧品(さんまいぼん)にある。
(1)大曼荼羅 マハー・マンダラmaha-maala。宇宙の全体を諸仏諸菩薩(ぼさつ)と見立て(六大の当体として表現)五大の色を与えられて表現した絵画、彫刻、工芸品の類をいう。
(2)三昧耶曼荼羅 サマヤ・マンダラsamaya-maala。諸尊の所持する種々の器具は仏の本誓(ほんぜ)を表すものであるから、その刀剣、輪宝(りんぽう)、蓮華(れんげ)などの器具のみをシンボルとして表現する。
(3)法曼荼羅 ダルマ・マンダラdharma-maalaは諸尊を種子(しゅじ)(梵字(ぼんじ))、真言(しんごん)の文字で表す。
(4)羯磨曼荼羅 カルマ・マンダラkarma-maala。宇宙の動きを実在の象徴的表現とみなし、立体的に諸尊を木造、銅造(鉄も)塑像などで表現する。
[真鍋俊照]
密教の両界曼荼羅は、いずれも大幅(縦・横1メートルから3メートル余)で、金堂あるいは灌頂堂(かんじょう)という比較的大きい建物の内部(内陣)に安置される。これにも2種あり、掛幅(かけふく)用と壇上に敷く敷(しき)曼荼羅に分けられる。今日では真言宗の寺院ならどんな小さなところでも、曼荼羅の1、2本はかならず常備しているのが通例である。正面に向かって右、東側に掛けるのを胎蔵界(たいぞうかい)(正しくは胎蔵)曼荼羅という。これは『大日経』を所依として図解したもので、女性的原理に基づく理の世界、あるいは物質的な世界観を表す。同じく向かって左、西側に掛けるのを金剛界(こんごうかい)曼荼羅といい、『金剛頂経』を所依として図解し、男性的原理に基づく智(ち)の世界、あるいは精神的な世界観を表す。
両者に添える壇は、おのおの別々に設けられており、堂全体の構想としては両方の真ん中に不二壇(ふにだん)を配置する。この中央の仲立ちによって、東の理の働き(機能)と西の智の働き(機能)はもともと「一つ」(二而不二(ににふに))にほかならない、と理論を組み立てるのである。考えてみれば、この世のあらゆる存在には、異なる二つの対立概念が働き合っており、その片方だけでは単独で成り立たない。曼荼羅の両界すなわち「理」と「智」も、その徳(働き)において表裏一体の関係にある。人間がこの世に生きながら仏になれると説く密教の最高の悟りの境地、つまり即身成仏(じょうぶつ)も、この胎蔵界と金剛界(胎金(たいこん)あるいは金胎(こんたい)両部と略称する)が融合していることによって可能になるという。その意味において両界曼荼羅は絶対的な価値を有する。胎蔵界と金剛界の画面は、えもいわれぬ深い調和に満ち美しく均整のとれた世界を画面上につくりだしている。その超絶的な美しさは、いってみれば、人間(男と女)の健康な肉体に宿る美しさにも似ている。さらにいえば、人間の身体ばかりでなく、生きとし生ける「もの」すべてを曼荼羅とみてみられないことはない。
[真鍋俊照]
胎蔵曼荼羅は『大日経』所説のもので、十二大院のグループから構成されている。仏像は曼荼羅内に合計410尊を描いている。十二大院の構成は次のとおりである。
〔1〕中台八葉院(ちゅうだいはちよういん) 画面の中央にあり、中心には蓮台(れんだい)の上に大日如来(にょらい)を大きく描く。八葉の赤い蓮華の花びらの上には四方四仏と四隅に四菩薩を配置している。ベースになっている八葉の蓮弁は、古代インドの医学書によると八弁の肉団心(にくだんしん)とよばれ、だれもがもっている心臓を表している。そのように、衆生(しゅじょう)(だれでも)が現実のこの世において仏の世界に置き換えられるような舞台である。その八方に広がる八弁は、周辺の十一院に血を通わせる出発点である。ここの目的は、力が働き合い、引っ張り合う加持(かじ)相応の宗教的な覚醒(かくせい)を得る場所である。
〔2〕遍智院(へんちいん) 中央のすぐ上にあり、大日如来が生仏(いきぼとけ)であるならば、その頭脳ともいうべき知慧(ちえ)を活用させるところである。ここには一切如来智印(いっさいにょらいちいん)(一切遍智印)とよぶ三角形と「まんじ」(卍)のシンボルが表現されている。このシンボルは理性を表し、人間の認識能力を内に秘めている。
〔3〕蓮華部院(れんげぶいん)(観音(かんのん)院) 観音菩薩のグループで、遍智院まで築き上げてきた頭脳的な知慧を感性の方面から慈悲によって高めてゆく場所。
〔4〕金剛部院(こんごうぶいん) 蓮華部院に対し知性の方面からさらにはぐくみ、迷いを断ち、優れた智慧を働かせるコントロール部門。
〔5〕五大院 蓮華部院と金剛部院の大悲および知慧を統一する働きをもつ。したがって不動明王などの真言(マントラ)を唱えて実際に苦しい修行をする。
〔6〕釈迦院(しゃかいん) 大日如来の変化(へんげ)した姿として釈迦が登場、仮の主役として法を説いてゆく。
〔7〕地蔵院 蓮華部院の左隣にあり、その機能も大いに関連する。つまり観音の慈悲に徹して、身を六道(地獄・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人間・天上)に置き、迷う人々を救済する役割を果たす。
〔8〕虚空蔵院(こくうぞういん) 虚空菩薩の福徳(幸福と利益)の願いを実現する世界。
〔9〕除蓋障院(じょがいしょういん) 金剛部院の右隣にあり、煩悩(ぼんのう)を取り除く作用をもつ。
〔10〕文殊院(もんじゅいん) 文殊菩薩の知慧を表し、人間の認識作用をもっとも高いレベルにまで仕上げてゆく。
〔11〕蘇悉地院(そしつじいん) 虚空蔵院の下にあり、人間を「悟り」の境地に案内するパイロットの役目をもつ。
〔12〕外金剛部院(げこんごうぶいん) 最外院(さいげいん)ともいい、六道の輪廻(りんね)(移り変わっても永久に滅びない)のすべての姿、状況がうつし出されている。これと中心の完成された大日如来とは、価値観において終局的に等しいということを説明し示唆する場面を描く。
[真鍋俊照]
金剛界曼荼羅は、『金剛頂経』所説のもので、画面を九会(くえ)とよび、九つに区画されたグループから構成されている。仏像と三昧耶形(さんまやぎょう)とよぶシンボルが描かれ、合計1461尊ある。胎蔵より画面・構成図は整然と区分され、シンプルである。以下、九つのセクションを、曼荼羅を観想(かんそう)する順にみてゆくことにする。
〔1〕成身会(じょうじんね) 羯磨会(かつまえ)ともいい、すべて(この世)の活動の中心となる。主役は縦・横に描かれた相互供養(くよう)の仏など37尊。
〔2〕三昧耶会(さんまやえ) 宝塔や金剛杵(こんごうしょ)などのシンボルのみで表現し、人間と仏と交感することを教える場所。
〔3〕微細会(みさいえ) 仏を金剛杵の中に描き、人間が瞑想(めいそう)しながら曼荼羅の内部に入ってゆくことを示す。
〔4〕供養会(くようえ) 大日如来と四方の仏たちと相互供養するようすを描き、その意義を教える。
〔5〕四印会(しいんね)
〔6〕一印会(いちいんね) 四方四仏が一体であることを示しながら、即身成仏を目ざす。
〔7〕理趣会(りしゅえ)
〔8〕降三世羯磨会(ごうさんぜかつまえ)
〔9〕降三世三昧耶会 欲だとか愛だとかの感情をむしろ生かして、煩悩を抑え、逆に「煩悩即菩提(ぼだい)」の境地に到達して、密教の如来という独自の理想像を完成する場所。
真言密教の儀式では、曼荼羅を眼前に掛け、前方に壇を設けて修法を行う。その儀式には、方位、所作、法具、それに声明(しょうみょう)などの音楽が伴う。儀式を儀式を行う内陣の空間には、音声と香りと目から入る五彩絢爛(けんらん)な「彩色」の融合の美しさが提示されるのである。わが国の古代の人々は、この立体的な曼荼羅に修法の演出が加味された儀式の荘厳なさまに陶酔したに違いない。密教でいう修行とは、まさに曼荼羅の世界の中に入ることである。それは、色彩の中に、音声の中に、所作、動作の中に、さらに、においの中にも自分自身が入り込むことである。
[真鍋俊照]
別尊曼荼羅は、密教の数多くの現世利益(げんぜりやく)に基づいて製作された個別の尊像曼荼羅で、祈祷(きとう)・修法を行う別尊法の本尊である。仏部、菩薩、明王、天部や経法(きょうぼう)に区分けされて、数多くの曼荼羅が現存する。中央に礼拝者の祈願にかなう本尊(例、一字金輪仏頂(いちじきんりんぶっちょう))配置し、周囲に七宝(しっぽう)が描かれる。同時に一字金輪法を行じ、この別尊曼荼羅の前で公家(くげ)、縁者一族などが止雨、除病、延寿を祈った。
別尊曼荼羅の現存する平安・鎌倉時代の作例は両界曼荼羅より比較的多く、伝釈迦曼荼羅図、虚空蔵曼荼羅図、仏眼曼荼羅図、尊勝曼荼羅図、一字金輪曼荼羅図、法華(ほっけ)曼荼羅図、童子経曼荼羅図、宝楼閣曼荼羅図、仁王経曼荼羅図、弥勒(みろく)曼荼羅図、八字文殊曼荼羅図、愛染(あいぜん)曼荼羅図、星(ほし)曼荼羅図、吉祥天曼荼羅、閻魔天(えんまてん)曼荼羅図、十二曼荼羅図などがある。
[真鍋俊照]
両界曼荼羅の原本となった『大日経』は7巻の漢訳が伝えられているが、サンスクリット本(未発見)は7世紀中ごろまたはそれ以前に北インドの地方で成立したと考えられている。『金剛頂経』は十八会十万頌あったうち初回のみが漢訳等で伝えられ、サンスクリット本(一部分発見)は7世紀後半に中・南インドで成立したという。チベットの曼荼羅は前述の金剛頂経系のものが大部分で、その古様の形式が西チベット(ラダック)に伝存している。様式的に〔1〕所作(しょさ)タントラ、〔2〕修行タントラ、〔3〕瑜迦(ゆが)タントラ、〔4〕無上瑜迦タントラの分類に基づく曼荼羅が考えられる。しかし、〔1〕は作壇法(さだんほう)など、〔2〕は『大日経』でともにほとんどない。〔3〕の中心が金剛界曼荼羅で、アルチ村(西チベットのレーGleの西)にあるゲールック派のアルチ・ゴンパ三層堂に13壁画の彩色画で残っている(時代は13~15世紀ころ)。ほかにラダックには悪趣清浄、一切智(いっさいち)大日、釈迦、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の曼荼羅がある。〔4〕は父(ふ)タントラ系の曼荼羅で、中尊は明妃(みょうひ)(配偶神)を伴う。母(も)タントラ系では法身普賢(ほっしんふげん)、持金剛、ヘーバジラHevajira、サンバラSavara、バジラバーラーヒーVajrāvārahīの曼荼羅がある。ほかに不二(ふに)タントラ系の曼荼羅も若干、伝存する。これらのものは壁画もあるが、大部分はタンカ(画軸)の形式で泥絵の具で描かれる。しかし、近年、良質の作品は国外に流出したものも多い。画法はインド様式、カシュミール・グゲ様式、中央アジア様式、中国カム(康)様式、チベット様式に区分される。なお高度な技術を要する立体曼荼羅(ルーラン・キンコルblos bsla dkyil khor)も若干現存するが、これは仏塔形式(チューテン)のもので、観想するものが大宇宙の真理と巨大な仏身とみなすチベット曼荼羅のシンボルである。
[真鍋俊照]
曼荼羅の形態は種々あり、有名なジャワの仏跡ボロブドゥールも、普賢金剛薩埵(ふげんこんごうさった)の立体曼荼羅であり、仏塔のチャイトヤCaityaであり、法界曼荼羅などの解釈がある。さらに曼荼羅の世界観をインドの宗教的意識として具現した図示・立体的な形態(工芸品)ではヒンドゥー教タントラでも用いられている。とくにヤントラyantraは、チャクラcakraともいい、宇宙の真実の相と心の相を組み合わせたもので、曼荼羅の輪円具足の趣(おもむき)に近似する。
[真鍋俊照]
曼荼羅は宇宙的次元に位置づけることにより、インド古来より大宇宙macrocosmosに対し自性(人)を小宇宙microcosmosにあてる。自性は限りない活動のエネルギーの源点であり、その力の発する状況から、曼荼羅の舞台として大宇宙と小宇宙が成り立っている。その相対的な曼荼羅の位置づけは「法身大日のイデアの世界(自性曼荼羅)であるとともに、われわれ実践者ないし認識主体の立場からみれば、それはあくまでもわれわれ自身のミクロ・コスモス(観想曼荼羅)であり、現象のシェーマ(形像曼荼羅)なのである。」(金岡秀友説)とみなすことができるという。しかも近年の研究では、密教の認識論のなかで曼荼羅の本質的な理論を、コンピュータ・グラフィクスを使いながら曼荼羅の哲学的レベルをさらに引き上げ、具現化し実践しようとする動きもある。
また、現代における曼荼羅への関心は、空海の著作等の密教ブームのなかでひとり歩きする傾向がみられ、さまざまな分野で語義のイメージ展開が行なわれている。とくに物質と精神の両面を結び付ける用具の役割も果たしている。その応用例をあげると、曼荼羅を素材にしたブックデザイン(杉浦康平ほか)がある。また現代のマインドミュージックなど音楽作品にシンセサイザーを使い宇宙空間を曼荼羅理論によって作曲したものも多い。(黛敏郎(まゆずみとしろう)、喜多郎(きたろう)ほか)。現代絵画では曼荼羅の型、彩色、構造などを作画のなかに展開している(前田常作ほか)。このほか演劇(前衛的なもの)、舞踏、ファッション、映画(実相寺昭雄ほか)、いけ花(松月堂古流の一部)、ビデオアート、メディテーションに影響を与えている。
[真鍋俊照]
『真鍋俊照著『密教曼荼羅の研究』(1970・美術出版社)』▽『真鍋俊照著『曼荼羅美の世界』(1980・人文書院)』▽『真鍋俊照著『曼荼羅の美術』(1981・小学館)』▽『石田尚豊著『曼荼羅の研究』(1975・東京美術)』▽『濱田隆著『曼荼羅の世界』(1979・美術出版社)』▽『松長有慶著『マンダラ』(1981・毎日新聞社)』▽『栂尾祥雲著『曼荼羅の研究』(1982・高野山大学密教文化研究所)』▽『頼富本宏著『マンダラの仏たち』(1985・東京美術)』▽『立川武蔵著『曼荼羅の神々』(1987・ありな書房)』▽『田中公昭著『曼荼羅イコノロジー』(1987・平河出版社)』▽『金岡秀友著『密教の哲学』(1989・平楽寺書店)』▽『小峰彌彦著『図解・曼荼羅の見方』(1997・大法輪閣)』▽『田中公明著『両界曼荼羅の誕生』(2004・春秋社)』
サンスクリットのマンダラmaṇḍalaを音訳したもので,曼陀羅とも書く。語基のmaṇḍaは〈心髄〉〈本質〉を意味し,接尾語のlaは〈得る〉の意味を有する。したがって曼荼羅は本来〈本質を得る〉という意である。本質を得るとは,仏の無上正等覚という最高の悟りを得ることであり,この真理を表現したのが曼荼羅であるとし,これは円輪のように過不足なく充実した境地であるため,円輪具足とも訳される。曼荼羅はまた悟りを得た場所,さらには道場を意味し,道場には壇を設けて如来や菩薩が集まるところから,壇や集合の意味を生ずる。そこから壇上に仏菩薩の像を集めて安置し,ひいては集合像を描いたものを曼荼羅と称するようになる。
大乗仏教が発達するにつれて,釈迦のみならず,すべての人が悟りうる種子(たね)(菩提心)を宿しており,それを育成することによって,みずからのうちにも悟りが開かれるとする考えが現れた。その境地を心に留めたものが自性曼荼羅である。経典の冒頭には,如来はその超能力によって,説法に集まった衆生に仏の世界を〈観せる〉が,のちに衆生も観想の法を段階的に修行することによって,みずからの力によって仏の世界を〈観る〉ことができるようになる,という話がある。このように観想によって仏の世界を心に描いたものを観想曼荼羅という。しかし想念を凝らし,仏を観ることはなかなかむずかしい。それゆえ観想によって得た仏の像を,壇上や画像に描いたり,あるいは壇上に仏像や三昧耶形(さんまやぎよう)などを配列したりする形像曼荼羅が作られるようになる。
古代インドにおいては呪句(陀羅尼dhāraṇī)をとなえ,印契(いんげい)(印相(いんぞう)mudrā)で修法を凝らす信仰がよく行われていた。釈迦はこの種の秘法を厳禁したが,大乗仏教はこれらをしだいに取り入れた。漢訳経典によれば,呪句は3世紀にみえはじめ,3世紀末~4世紀初めには,身(しん)・口(く)・意(い)の三密や,呪の経典が続出し,4世紀中ごろには観音呪法など,初めて呪に尊名が付せられるようになり,4世紀末の《観仏三昧経》になると,観想法も詳細になった。
一方,2世紀末から3世紀にかけて大乗仏教が発達し,《浄土経》《法華経》《華厳経》などの大乗経典が成立し,多数の如来や菩薩を生じ,各種の仏国土が出現した。《華厳経》では,教主の盧舎那仏を中心に無数の蓮華蔵世界が展開する大宇宙観を確立した。三十三身観音や梵天,帝釈(たいしやく)天,毘沙門(びしやもん)天,八部衆や陀羅尼をはじめ,多面多臂像が散見されるようになり,密教的要素がみえはじめる。5世紀中ごろ~6世紀末の訳経には,七重界の大壇を築く結呪界法が初出し,ヒンドゥー教の影響をうけた諸尊も出現しはじめ,6世紀前半梁代の訳《牟梨曼荼羅呪経》では根本の三印呪や壇場の作法が整備され,壇の中心に本尊をおさめ,これをめぐる眷属(けんぞく)像の描き方を記す〈画像法〉が現れるが,これは別尊曼荼羅の起源でもある。また忿怒(ふんぬ)の多面多臂像や,護摩をたく火炉,増益(方),息災(円),降伏(三角)などもみられる。近年インドのカシミールにおいてこの経の原本の梵文写本(5~6世紀)が発見され,インドにおいてもこのころに曼荼羅の原形が出現したとみなされる。南北朝~隋代になると,請雨法,十一面観音法などの像容を記した画像法のある諸尊法が現れるようになる。7世紀初めの初唐には,密教の金剛界において行われるような本尊を観想するための,ヒンドゥー教の瑜伽(ゆが)観法がみられ,これ以後,観想はますます発達する。7世紀中期の《陀羅尼集経》には,諸尊を集合した普集会壇が作られ,各種諸尊法の発達が著しく,仏部,金剛部,観音部の3部構成の大曼荼羅が出現し,8世紀初めの菩提流志(ぼだいるし)訳《不空羂索(ふくうけんじやく)神変真言経》や《一字仏頂輪王経》では,中尊はいまだ釈迦如来だが,他の諸尊の配置は,胎蔵曼荼羅成立直前のものにまで整備発達した。
このように曼荼羅は本来壇を中心とする個別の曼荼羅に源を発し,時代とともに離合集散しながらしだいに総合されてきた。そのきわまるところ,7世紀中ごろ,《大日経》が成立し,以後それにもとづく一大総合曼荼羅である胎蔵曼荼羅が描かれ,また7世紀から8世紀初めにかけて《金剛頂経》が作られ,それにもとづいて金剛界曼荼羅が描かれるようになった。密教ではこの時点で確立された大日如来を中心とする密教を純密,それ以前を雑密といって区別している。この純密が唐に入り,急速に整備統合され,左右均整のとれた胎蔵界,金剛界からなる双幅の両界曼荼羅が完成し,恵果(けいか)から入唐した空海に伝授されて日本に請来され,現図曼荼羅として流布されるにいたったわけである。
このような大乗仏教への密教的要素の浸透,仏教の変質の背景には,グプタ朝の滅亡により,それまで商工業者に支持されていた仏教やジャイナ教に代わって,農村に基礎をおく伝統的,保守的なバラモン教やヒンドゥー教が隆盛するという変動がある。衰微に向かう仏教が新時代に即応して生きるために,これら異教と妥協し,その修法を大胆に取り入れ,各種の曼荼羅を生ずるにいたったといえよう。
→両界曼荼羅
(1)法曼荼羅 呪という口称的な民間信仰の祈念の形式の中に,密教の三密(身・口・意)の口の凝集表現として,三鈷杵(さんこしよ)の中に尊像を封じこめたり(金剛界曼荼羅の微細会(みさいえ)),最も抽象化された梵字をつらねる(種子(しゆじ)曼荼羅)もの。(2)三昧耶曼荼羅 口を通しての音声的表現が最も抽象的なものとすれば,より具象化の進んだ仏の手に持つ持物(じぶつ)のようなシンボルは,仏の誓願の意志を示すには最もふさわしい。それを標幟(ひようじ),三昧耶形といい,これをもって表現したのが三昧耶曼荼羅である。(3)大曼荼羅 樹木,台座,仏足などで釈迦を表す長い仏像無表現時代の後に,はじめて仏像が出現したように,呪に始まりシンボルを媒介として仏を観る観想法が長く続き,のちに景観を背景に説法する叙景風の説会(せつえ)曼荼羅が出現した。これは密教以前の浄土曼荼羅(浄土変相)に多く,純密の中にも〈請雨経曼荼羅〉や〈菩提場曼荼羅〉など,古い変相系の曼荼羅が残存形態として混在している。この変相が図形化され,正面観の尊によって統一され,幾何学文的に構成されるとき密教の曼荼羅となる。これら仏像をもって表現される曼荼羅を大曼荼羅という。(4)羯磨(かつま)曼荼羅 社会における個と全体との親和性を重視し,互いに供養し合う尊像をもって構成したものが羯磨(行為karman)曼荼羅である。また彫刻の群像をもって立体的に構成した曼荼羅も羯磨曼荼羅という。以上大,三,法,羯の4種の形像曼荼羅を総称して四種曼荼羅と称し,金剛界曼荼羅の主要部を構成している。
インドでは地を選び,四隅に棒を立て,紐を回して結界し,その中に清浄な泥土をぬって壇を築き,表層に白土を塗り,諸尊を安置したり描いたりする。インドに古い曼荼羅が遺存しないのは,修法が終わるや直ちに破壊してしまうためである。チベットには壁画が多いが,中国や日本では,曼荼羅は多く絹や紙に彩画され,ときに金銀泥で描かれることもある。その多くは掛幅仕立で,灌頂(かんぢよう)の際などには,壇上に敷曼荼羅(諸尊は中心の如来に向かう)が敷かれる。四種曼荼羅のうち,尊像が描かれる大曼荼羅が,最も多く用いられる。
これらの曼荼羅は両界曼荼羅と別尊曼荼羅に大別される。両界曼荼羅は金・胎の一大総合曼荼羅であるが,別尊曼荼羅は,修法の目的に最もかなった本尊を中心に諸尊を構成した曼荼羅で,中尊に応じて次のようなものがある。(1)如来中心 法華,請雨経,宝楼閣,菩提場などの曼荼羅。(2)仏眼・仏頂中心 仏眼,一字金輪,六字経,尊勝,北斗などの曼荼羅。(3)菩薩中心 如意輪,八字文殊,弥勒,五大虚空蔵,五秘密などの曼荼羅。(4)明王中心 孔雀経,仁王経,愛染,十二天などの曼荼羅。(5)天中心 閻魔天,童子経,吉祥天などの曼荼羅。(6)垂迹(すいじやく)曼荼羅 春日,山王,熊野曼荼羅などがある。
前述のような経過で純密が成立して以後,8世紀中ごろから密教滅亡(1203)までを後期密教という。この間後期密教経典(タントラ)による曼荼羅が作られたが,これは当時,直接的には中国,日本に伝承されず,チベット,モンゴルに伝播し,元代にいたって朝鮮,中国に波及した。チベットではこの経典を無上瑜伽タントラと称し,これによって父タントラの秘密集会タントラが最も古く作られた。つづいて母タントラの曼荼羅が各種類生まれ,最後に両タントラを総合した時輪タントラ(無上瑜伽不二タントラ)が作られた。古い遺品としてインド北西端のラダック地区,アルチ寺三層堂壁画の曼荼羅(12~13世紀ころか)が知られる。
→タントラ
執筆者:石田 尚豊
スイスの精神科医,心理学者のC.G.ユングは,四つの門のある聖域を中心に幾何学的な図型を描くチベットの曼荼羅図に心理学的な意味を見いだしたことで知られる。ユングは自分自身の体験と多くの患者たちの観察の中から,しばしば曼荼羅と同様なイメージが,外的な世界からの情報とは関係なく,その人個人の内的なイメージとしてあらわれることに注目し,これを心理学用語として〈マンダラ〉と名づけ,その普遍性を証明しようとした。ユングによれば,曼荼羅様の図型は,意識の中核をなす自我とは別に存在する無意識の心の働きも含めた個としての人間の心理全体であるとともにその中心であり,さらに意識の領域と無意識の領域との調和をはかる超越的な機能をもつ自己の心理的イメージであるという。自己は普段は意識されないが,心理的危機に襲われたときなどに動きだし,曼荼羅様のイメージを伴って意識化されることがある。ユングはこのようなイメージが,西洋の神秘主義者のビジョン(幻視)にも豊富にみられ,さらに東洋の諸宗教では,瞑想的修行や儀礼の場などで,内なる超越性を導きだすために使われていることを知り,心理的実在としての自己の存在に確信をもつようになった。
執筆者:秋山 さと子
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サンスクリット語マンダラの音写。曼陀羅とも書く。原義は円形または方形の神聖な壇。大日如来(だいにちにょらい)を中心にした諸仏,諸菩薩(ぼさつ),明王(みょうおう)ほかを配置した図柄によって宇宙の本質的真理,仏の悟りの境地を示し,密教の世界観を表現する。瞑想(めいそう),観法(かんぽう)の手段に用い,壁に掛けたり,床に敷いた道場で密教修法や儀式が実践される。『金剛頂経』(こんごうちょうきょう)系の金剛界曼荼羅と『大日経』系の胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅が両部(両界)曼荼羅として重要である。チベット,ネパールにおいては多様なマンダラが発達し,色つきの砂マンダラが密教儀式に彩りを加える。持ち物で諸尊を表す三昧耶(さまや)曼荼羅,種子(しゅうじ)(梵字(ぼんじ))による法曼荼羅,特定の一尊のみを描いた別尊(べつそん)曼荼羅,また密教以外の阿弥陀浄土(あみだじょうど)曼荼羅や,垂迹(すいじゃく)曼荼羅などがある。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
曼陀羅とも。サンスクリットのマンダラの音訳。仏の悟りの境地を表現したもの。仏菩薩の集合する道場も意味することから,諸尊を一定の形式で整然と描いた集合図を曼荼羅といった。表現形式から,大曼荼羅・三昧耶(さんまや)曼荼羅・法曼荼羅・羯磨(かつま)曼荼羅の四種曼荼羅にわける。内容からは,諸尊すべてを集めた都会(とえ)曼荼羅,特定の諸尊からなる部会(ぶえ)曼荼羅,1尊中心の別尊曼荼羅などの区分がある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 占い学校 アカデメイア・カレッジ占い用語集について 情報
…太極は目に見えない宇宙の根源的実在だが,そこから陰陽の二気が生じ,さらにその二気が動くことから,水火木金土の五行が成立し,太極の動きと二気,そして五行の働きによって,男女が生まれ万物が生成するという原理を説明するために考えられた図形である。 1年の12ヵ月を表す図形や占星術の黄道帯も円形で表され,統合・分割・循環を意味するが,さらに中心と四方に広がる内的宇宙と完成を意味するものに,円と四角の組み合わされた図形である曼荼羅がある。曼荼羅は仏教では無上正等覚という最高の悟りの境地を表すもので,心理学者ユングによれば,中心・全体・調和を意味する超越的自己の象徴とされる。…
… 五分観には今一つたいせつなモデルがある。曼荼羅(まんだら)的五分観である。曼荼羅はインドに発したものであり,インドから北方にはチベットへ,南方にはジャワ,バリにまでその影響がみられる。…
…菩薩,とくに観音像の中には,この水瓶を手にした姿のものも少なくない。後者はおもに密教において,曼荼羅(まんだら)の諸尊の供養のために五宝,五香,五薬,五穀,香水などを収める容器として用いられ,宝瓶,賢瓶などともいわれる。いずれにしても,瓶は小乗の比丘の〈六物(ろくもつ)〉には含まれていないところから,とくに大乗になってから重視されるようになり,さらに密教において重要な法具とされるに至ったということができよう。…
…儀礼には念珠を用い,マントラ(神歌)が唱えられ,御詠歌に似たバジャンが熱狂的に歌われることもある。またヤントラという象徴的・神秘的図形が用いられ,卍(まんじ)がスワスティカー(幸福の印)として使われ,儀式を行うためにマンダラ(曼荼羅)と称する一定の円形の場所を設ける場合もある。宗教的なめでたさ(吉祥)の象徴として種々の花が用いられるが,とくに蓮華はその代表である。…
…仏事の法要名。曼荼羅供とも書く。略称は〈曼供(まんく)〉。…
…7世紀ころになると,体系的な密教経典である《大日経》《金剛頂経》などが成立した。これらの経典によって,除災招福などの現世利益を目的とした儀礼・呪法に,大乗仏教の思想性が付与され,修法の目的が成仏に変化し,教主がそれまでの釈尊から大日如来になり,さらに宗教体験の絶対世界を象徴的に表現する曼荼羅が生み出されたのである。以後8世紀から12世紀にかけて,密教はインドにおける全盛期を迎え,多くの経典・儀軌が作られた。…
※「曼荼羅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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