デジタル大辞泉 「法家」の意味・読み・例文・類語
ほう‐か〔ハフ‐〕【法家】
2 中国、戦国時代の諸子百家の一。法による厳格な政治を行い、君主の権力を強化し、富国強兵をはかろうとする政治思想。また、その説を説く学者。申不害・
中国、戦国時代の諸子百家の一派。法を基準として信賞必罰の政治を行い、旧来の貴族の特権を認める礼を排除して権力を君主に集中し、富国強兵を図ることを主張する一連の政治家、思想家をさす。利を好み害を悪(にく)むのが人間の本性だとする人間観にたち、教化を考えずに賞(利)と罰(害)を伴う法の適用による臣民の統御を唱えた。儒家(じゅか)の徳による感化の狭い領域支配に対して、法の一律的適用の支配は広範な領域の統治に適したもので、全国の統一的支配、中央集権化の時代の趨勢(すうせい)に合致した。秦(しん)の後の漢(かん)代は儒教国家だとされるが、実質は法家的政治が行われた。また法家は、個に対する全体、家に対する国、臣民に対する君主の優位を主張する。思想家として有名なのは、李悝(りかい)の法思想を継承した商鞅(しょうおう)、術の考察に優れた申不害(しんふがい)、勢を重視した慎到(しんとう)、以上の三者の考えを総合した韓非(かんぴ)などがいる。著作は『商君書』(『商子』)、『慎子』、『韓非子』、『管子』などが現存する。
[澤田多喜男]
中国,古代に発達した,君主統治の中心に〈法・勢・術〉をおく思想家と著述をさす。実定法による治民策は春秋末期の宗法制・礼楽秩序の壊頽に対応して,子産(鄭の執政)や范宣子(はんせんし)(晋の卿(けい))の刑律公開がある。戦国初期の魏の,李悝(りかい)(克)の《法経》制作による富国策と楚の呉起(?-前381)の法治による君権強化策は,同時に起こった。両者をうけて,商鞅(しようおう)の変法は,隣保・家族制や軍功爵による集権支配と官僚制,土地改革などの富国強兵策とを,法制をしいて秦で強行した。以後,韓の申不害(?-前337)は〈刑名(実功と言辞)〉審合で臣下を統御し〈術〉によって黄老風に権力意志を〈無為〉に隠匿(カムフラージュ)する独裁術を唱え,斉の稷下(しよくか)学士(稷門)の慎到は客観的な力関係と権力の掌握行使の方策が〈勢〉威にあると説いた。
戦国末期の韓非子は,儒家の徳治主義を排するが荀子流〈礼〉の実在を法権の超越的実在に入れ替え,〈法・勢・術〉3者を総合して権勢を君主に集中独裁させ,官僚を爪牙に駆民統治をめざす法治思想を集大成した。秦の始皇帝の全国統一で,韓非子の同門李斯(りし)は,この法治政策を実施し,漢初には統一政権の保持は黄老思想で,緊急の駆民治安は酷吏刑名で,という両法家路線が並行した。前漢中期以後,天人相関の名分論を掲げる儒家思想が国教に立つと,それを基底で支え補完する役割を担った。
→諸子百家
執筆者:戸川 芳郎
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諸子百家の一つ。諸家の空疎に走る思想を排し,法を重んじて信賞必罰を期し,権力を君主に集中して国を治めることを説いた。管仲(かんちゅう)が祖と仰がれ,申不害(しんふがい),商鞅(しょうおう)らがその代表で,韓非(かんぴ)によって大成された。これを秦の統一政策に実施したのが李斯(りし)である。この法治主義は漢初まで受け継がれたが,儒家の徳治主義が政治原理となるに及んで衰微した。
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明法家(みょうぼうか)とも。律令学を世襲する法曹官人集団。狭義には明法博士・判事に任命される者をさす。当初は讃岐・惟宗(これむね)氏などが有力であったが,家業が最終的に確立する11世紀後半以降は中原・坂上両氏の独占するところとなった。平安時代以降,太政官に直属して法的判断の求められるさまざまの機会に答申活動に従事した。
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…大同の世は後世,しばしば革命の原動力になったが,そこでは〈天下を公と為(な)す〉がゆえに,人は自分の親や子だけを大事にせず,不幸な人々に援助の手をさしのべ,財貨も私蔵しないし,労力も自分のためだけに使わないという(《礼記》礼運篇)。 思想史上からいえば,公・私の対立をするどく提起したのは法家であった。《韓非子》五蠹(ごと)篇にいう,〈むかし蒼頡(そうけつ)(伝説上の文字の制作者)が文字を作ったとき,自分のためばかり営(はか)るのを厶(私のもとの字)とし,厶に背(そむ)くことを公とした。…
…
[思想,芸術]
この《官吏心得》は,戦国末の秦で公布されたものであるが,その内容は上述の商鞅の著書とされる《商君書》(成立は戦国末)と共通する思想がみられ,また荀子の思想の影響がみられる。荀子は儒家といわれ,商鞅は法家といわれる。このように戦国末には異なった思想がいくつもみられるが,その源流は春秋末に出た孔子である。…
…ことに〈儒墨〉(儒家学団と墨家集団)とが並称され,その二大勢力を誇ったさまを伝えている。また,〈諸子〉を陰陽之術,儒者,墨者,法家,名家,道徳の6専家に分類したのは,前漢初期,司馬遷の父,司馬談の〈六家(りくか)之要指〉(《史記》太史公自序)にはじまる。そこには,この6家の長所と短所が要領よく紹介され,道家を他の5家の長所をかねる卓越した術芸とするのにひきかえ,儒家はより劣った学術にすぎず,墨家集団はすでに没落したことを告げている。…
…統一後,秦はそれまでの社会体制を大改革し,郡県制を制定,官僚組織を整備するなど中央集権的国家体制をしき,これらの制度はのちの中国各王朝に引きつがれることになる。また秦は法律による統治を理想として,法家思想に基づく信賞必罰主義をとった。急激な変革,厳しい法による人民支配の強化から,2代目皇帝胡亥即位の翌年(前209)早くも農民反乱(陳勝・呉広の乱)を招いた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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