オペラ座(読み)オペラざ

精選版 日本国語大辞典 「オペラ座」の意味・読み・例文・類語

オペラ‐ざ【オペラ座】

(L'Opéra) パリにある国立歌劇場。一六七一年開場。現在のネオバロック風建築は一八七五年完成

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デジタル大辞泉 「オペラ座」の意味・読み・例文・類語

オペラ‐ざ【オペラ座】

l'Opéra de Parisフランス、パリにあるパリ国立歌劇場通称。1669年に開設された王立音楽アカデミーに起源し、以降は名称変更と移転を繰り返す。現在のネオバロック様式の建築は、J=L=ガルニエ設計で1875年に完成。ガルニエ宮

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百科事典マイペディア 「オペラ座」の意味・わかりやすい解説

オペラ座【オペラざ】

パリ中心部にあるフランス第一のオペラバレエ劇場。1669年ルイ14世によって創設された王立音楽舞踊アカデミーが起源(1671年活動開始)。ミラノスカラ座ウィーン国立歌劇場,モスクワのボリショイ劇場などと並び称される伝統を誇る大劇場だが,前2者がオペラの殿堂として有名なのに対し,オペラ座とボリショイはむしろバレエのほうでその名をとどろかせている。当初の建物は失われ,現在の建物はC.ガルニエの設計により14年の歳月をかけて建築,1875年開場した壮麗なもの。イタリア式馬蹄型の舞台としては最大のものの一つ。客席の天井画は1964年,当時の文化大臣マルロー発案シャガールが描いた。博物館・図書館を付設。1989年にはフランス革命ゆかりの地バスティーユに第二のオペラ劇場〈オペラ・バスティーユ〉が誕生し,従来の建物〈パレ・ガルニエ〉と両方の劇場で公演が催される。→ヌレーエフリファール
→関連項目エルスラーオーベールオーリックカドリーユカマルゴカンプラグリジゴセックコッペリアコンセルバトアールジゼルシャリアピンジャンメールスペシフツェワタリオーニデンマーク王立バレエ団ドリーブパリプティプティパブルノンビルベルディペローマイヤーベーア森下洋子ラ・シルフィードランパルロス・アンヘレスローヤル・バレエ団

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世界大百科事典 第2版 「オペラ座」の意味・わかりやすい解説

オペラざ【オペラ座 l’Opéra de Paris】

パリのオペラ,バレエ専門の国立劇場。国立音楽・舞踏アカデミーAcadémie nationale de Musique et de Danseと称し,その起源は,1671年ペランPierre Perrinがルイ14世勅許を得て創立した王立音楽・舞踏アカデミーにさかのぼる。現在の劇場はその時点から数えて13番目に当たり,19世紀の劇場・歓楽街であったいわゆるグランブールバール右寄り地点に位置する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オペラ座」の意味・わかりやすい解説

オペラ座
おぺらざ

パリ・オペラ座

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世界大百科事典内のオペラ座の言及

【オペラ】より

…初演1955年11月5日,ベートーベン《フィデリオ》。 オペラ座l’Opéra de Paris(正式名はパリ国立歌劇場Théâtre nationale de l’Opéra de Paris)1671年王立音楽・舞踏アカデミーにおいてペランとカンベールによる《ポモーヌ》公演が始まり。1875年,現在の劇場完成(1862着工,2167席,建築設計C.ガルニエ)。…

【オペラ】より

…初演1955年11月5日,ベートーベン《フィデリオ》。 オペラ座l’Opéra de Paris(正式名はパリ国立歌劇場Théâtre nationale de l’Opéra de Paris)1671年王立音楽・舞踏アカデミーにおいてペランとカンベールによる《ポモーヌ》公演が始まり。1875年,現在の劇場完成(1862着工,2167席,建築設計C.ガルニエ)。…

【オペラ】より

…ワーグナーの手で建設されたバイロイト祝祭劇場は,作曲家であり演出家でもあったワーグナーが,自分の理想を実現するために構想したもので,舞台とその後方に接続する大道具格納庫の巨大さが目を奪う。ミラノのスカラ座,ウィーン国立歌劇場,パリのオペラ座,ニューヨークのメトロポリタン歌劇場など,世界的に著名なオペラハウスは,いずれも目をみはるほど整備された舞台機構をもっている。一方,一幕物形式あるいは小規模なオペラを上演するためには,かえって小づくりな室内風のオペラハウスが適合する場合があり,ミラノのスカラ座に併設されたピッコラ・スカラ(小スカラ)は,その典型的な例である。…

【ガルニエ】より

…ラブルーストらより約1世代遅れてエコール・デ・ボザール(国立美術学校)の教育を受け,1848年23歳でローマ大賞を受ける。パリのほか南フランスにもいくつかの作品を残したが,とりわけパリのオペラ座(1875)が知られる。ほかにモンテ・カルロのカジノ(1882),ビッテルVittelの温泉(1884)などがあり,いずれも雄大なスケールでネオ・バロック建築の名にふさわしい。…

【ネオ・バロック様式】より

…ビスコンティLudovico Visconti(1791‐1853)とルフュエルHector M.Lefuel(1810‐81)は,ルーブル宮殿新館でイタリア・バロック風の彫塑的な壁面とマンサード屋根を組み合わせ,これは,いわゆる〈第二帝政式〉として流行した。また,C.ガルニエのオペラ座(1861‐74)はその豪華壮麗さで世界を驚かせ,当時帝国主義的競争の渦中にあった先進諸国は,ネオ・バロック様式こそ国家の威信を最もよく表現する建築様式とみなして,いっせいに採用するようになった。ブリュッセルの高等裁判所(1866‐83),ウィーンの王立劇場(1874‐88),ベルリンの帝国議事堂(1884‐94)などはその代表作として著名である。…

【パリ・オペラ座バレエ団】より

…パリのオペラ座所属のバレエ団。1661年王立舞踊アカデミーとしてルイ14世により設立され,71年王立音楽アカデミーと合体した。…

※「オペラ座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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