〈小歌劇〉の意。この名称はすでに17世紀中ごろに小規模のオペラに使われていた。18世紀を通じてイタリアのオペラ・ブッファやインテルメッツォのドイツ語版や編曲に,フランスのボードビルやオペラ・コミックに,またジングシュピールや人気オペラのパロディに使われ,J.G.ワルターやJ.マッテゾンも〈小さなオペラ〉と定義している。しかし19世紀中ごろから対話・歌・舞踊から成る1~3幕の娯楽的な〈喜歌劇〉をさすようになった。こうした変化はフランスにあらわれ,オッフェンバックの《地獄のオルフェ(天国と地獄)》(1858)や《うるわしのエレーヌ》(1864)によってオペレッタの典型が作られ,第二帝政期のパリで熱狂的に受け入れられた。それは単純な形式(シャンソン,クープレ等),民謡の旋律,舞踏(カンカン,ギャロップ,ボレロ,ワルツ等)を結合し機知にあふれたパロディ風の喜劇的なものであった。彼の作品はウィーン,ベルリン,ロンドンで上演され,おのおのの郷土劇と結合し新しい展開をみせる。ウィーンではまずズッペが《寄宿学校》(1860)でウィーン風オペレッタの基礎を開き,J.シュトラウスの《こうもり》(1874)と《ジプシー男爵》(1885)によって黄金時代を迎える。洗練された題材,舞踏(とくにワルツ)と高度な音楽技法の駆使によってW.R.ワーグナーの楽劇に対抗する人気を博した。20世紀に入りレハールF.Lehár(1870-1948)の豪華なサロン劇《メリー・ウィドー》(1905)や人情喜劇《ほほえみの園》(1929)をはじめ数多くの作品が作られた。一方ベルリン風オペレッタはリンケR.Lincke(1866-1946)の《ルーナ夫人》(1899)に始まり風刺や活力あふれる簡潔なオペレッタが書かれ,第2次大戦後はアメリカのミュージカルの逆輸入によって1948-65年に130以上ものオペレッタが作曲された。イギリスでも1875年ころからA.S.サリバンが《ミカド》(1885)その他の風刺的作品で評判をとり,彼の作品はニューヨークで上演されアメリカにオペレッタ旋風を送る。V.ハーバートはJ.シュトラウスのオペレッタにならった作品を書いたが,J.カーンの《ショー・ボート》あたりからミュージカルへと移っていった。
→オペラ →ミュージカル
執筆者:井形 ちづる
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…18世紀以降は,これに対して,イタリアではオペラ・ブッファopera buffa(道化オペラの意),フランスではオペラ・コミックopéra comique(喜歌劇,のちにはせりふを含むオペラを意味する),イギリスではバラッド・オペラballad opera(俗謡オペラ),ドイツではジングシュピールSingspiel(歌芝居)など,より庶民的な性格の強いオペラのタイプが興ったが,それらに共通するのは,正歌劇や抒情悲劇の貴族性と形式ばった様式に対する反動とパロディの精神であった。つづく19世紀には,作品の規模,壮大な舞台効果,シリアスな情緒において,かつてない高みに登ろうとした〈グランド・オペラgrand opéra〉に対して,再び庶民的な気軽さと息抜きを求めるオペレッタが興った。このような経緯は,当初から町人の芸術として発達してきた歌舞伎には見られないところである。…
…先行芸術であるオペラのレチタティーボの代りに,音楽を伴わないせりふがあるという意味で,音楽性だけでなく文学性をも重視した演劇形態であるといえる。同じく先行芸術であるオペレッタと形式的には酷似しているが,題材の点でミュージカルのほうが庶民的で現実的である。他方,イギリスではミュージック・ホール,アメリカではミンストレル・ショー,バーレスク,ボードビルなどの大衆芸能にも依存して発達したが,これらの芸能が個々の出演者の芸や個々の場面によって観客に訴えたのに対して,ミュージカルは作品全体の魅力をも重視し,一貫した物語をもつ。…
※「オペレッタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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