カント(年譜)(読み)かんとねんぷ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カント(年譜)」の意味・わかりやすい解説

カント(年譜)
かんとねんぷ

1724 4月22日、東プロイセンの首都ケーニヒスベルク(現、ロシア領カリーニングラード)に生まれる
1732 敬虔主義の教育方針に基づくフリードリヒ学舎に入学
1740 ケーニヒスベルク大学(現、イマヌエル・カント・バルト連邦大学)に入学。神学、哲学、数学、自然科学を学ぶ
1747 最初の論稿『活力測定考』。大学の学業を終え、以後10年近くケーニヒスベルク近郊の諸家庭で家庭教師をつとめる
1755 『天界の一般自然史と理論』出版(カント‐ラプラスの星雲説)。9月、ケーニヒスベルク大学私講師となり、論理学、数学、物理学形而上学、自然地理学など広範囲の科目を講義
1763 『神の存在の唯一可能な証明根拠』出版。初めて学界の注目をひく
1764 ベルリン・アカデミーの懸賞論文『自然神学道徳の諸原則の判明性』、M・メンデルスゾーンに次いで次席に入り公刊
1765 王立図書館副館長に就任
1766 『視霊者の夢』出版。本書には「人間理性の限界の学」の構想がみえる
1770 3月、ケーニヒスベルク大学論理学および形而上学の正教授に就任。就任論文『可感界と可想界の形式と原理
1772 2月、教授就任論文の増補改訂の計画が『純粋理性批判』の構想に発展したことが、M・ヘルツあて書簡にみえる
1776 ケーニヒスベルク大学で教育学の講義を開講
1781 『純粋理性批判』出版
1783プロレゴメナ』出版。本書は『純粋理性批判』への誤解を解くべき入門書
1785 『人倫の形而上学の基礎づけ』
1786 夏学期、ケーニヒスベルク大学総長に就任。『自然科学の形而上学的原理』
1788 夏学期、ふたたび総長を務める。『実践理性批判』出版。本書は当初『純粋理性批判』再版付録として予定したもの
1790 『判断力批判』
1792 『単なる理性の限界内における宗教』
1794 10月、勅書により以後宗教に関して公に語ることを禁じられやむなく受諾
1796 7月、論理学の講義を最後に講義活動から退く
1797 『人倫の形而上学』
1798学部争い』『人間学』。「自然科学の形而上学的原理から物理学への移行」を計画、結局実現に至らず膨大な遺稿として残る
1804 2月12日、老衰により死去

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

自動車税・軽自動車税

自動車税は自動車(軽自動車税の対象となる軽自動車等および固定資産税の対象となる大型特殊自動車を除く)の所有者に対し都道府県が課する税であり、軽自動車税は軽自動車等(原動機付自転車、軽自動車、小型特殊自...

自動車税・軽自動車税の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android