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ハーン ハーンHahn, Eduard

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ハーン
Hahn, Eduard

[生]1856.8.7. リューベック
[没]1928.2.14. ベルリン
ドイツの経済史家,民族学者。家畜飼育が非経済的な動機に由来すると論じた。たとえば,牛は供犠という宗教目的のために飼育されたのであり,犂は男根によって土地を切り開くという生殖器崇拝に起因し,実用的な犂耕農業は後発したものとしている。著書"Von der Hacke zum Pflug" (1919) 。

ハーン
Hahn, Ferdinand

[生]1926.1.18. カイザースラウテルン
ドイツのプロテスタント神学者。新約聖書学者。マインツゲッティンゲンハイデルベルクの諸大学に学び,『キリスト論的尊称』に関する研究で 1961年 G.ボルンカム教授のもとにハイデルベルクで博士号を取得,次いで 63年『新約聖書における伝道理解』の研究で教授資格を取得し,キール大学教授,マインツ大学教授を経て,ミュンヘン大学新約聖書学教授。マイヤーの新約聖書注解書"Kritische-exegetische Kommentar über das Neue Testament"の編集責任者で,カトリックの新約聖書学者との協同の業績も少くない。ドイツ東亜伝道会 DOAMの責任者。主著"Die Frage nach dem historischen Jesus" (1962,共著) ,"Christologische Hoheitstitel" (63) ,"Das Verständnis der Mission im Neuen Testament" (63) ,"Der Prozess Jesu nach dem Johannes Evangelium" (70) ,"Rückfrage nach Jesus" (74,共著) 。

ハーン
Hahn, Ludwig Albert

[生]1889.10.12. フランクフルトアムマイン
[没]1968.10.4. チューリヒ
ドイツの銀行家,経済学者。マールブルク,ハイデルベルク両大学で哲学,法学を学び,卒業後フランクフルトで弁護士となった。 1919年ドイツ証券銀行頭取。 20年『銀行信用国民経済的理論』 Volkswirtschaftliche Theorie des Bankkreditsを著わし,銀行の信用創造が積極的に国民経済に与える効果を論じた。 28年フランクフルト大学名誉教授。ナチス政権下アメリカに亡命。 50年ケインズ理論を批判する『ケインズ一般理論の基本的誤謬』 Die Grundirrtümer von Lord Keynes' General Theory of Employment,Interest and Moneyを著わして,古典的な反インフレーション理論を展開した。

ハーン
Hahn, Otto

[生]1879.3.8. フランクフルトアムマイン
[没]1968.7.28. ゲッティンゲン
ドイツの化学者。 1901年マールブルク大学で学位取得。 04年ロンドンに行き,ロンドン大学の W.ラムゼーのもとでラジオトリウムを発見。ベルリン大学を経て,新設のカイザー・ウィルヘルム化学研究所の放射化学の主任となり (1911) ,所長 (28) をつとめた。第1次世界大戦中は,化学兵器の専門家として従軍。戦後ベルリン大学時代からの協同研究者 L.マイトナーとともに新しい放射性元素プロトアクチニウムを発見。 34年から E.フェルミの研究に興味をもち,ウラン中性子を照射する実験を開始。 38年 F.シュトラスマンとともにウランの原子核が分裂することを発見した。第2次世界大戦後,原子爆弾投下を知らされ非常に驚き,核実験および核兵器の反対運動に努力した。 44年にノーベル化学賞を受賞した。

ハーン
Hearne, Samuel

[生]1745. ロンドン
[没]1792.11.
イギリスの旅行家。 1768~72年ハドソン湾会社のためアメリカ大陸北部 (現カナダの北西領) を探検。旅行記は死後刊行された (1795) 。

ハーン
Herne, James A.

[生]1839.2.1. ニューヨークトロイ
[没]1901.6.2. ニューヨーク
アメリカの俳優,劇作家。本名 James Ahern。女優である妻とともに舞台に立ったのち,劇作家として活躍。代表作は D.ベラスコとの共作『樫の心』 Hearts of Oak (1879) のほか,『マーガレットフレミング』 Margaret Fleming (90) 。

ハーン

小泉八雲」のページをご覧ください。

ハーン
Hahn,Frank Horace

[生]1925. ベルリン
ドイツ生れのイギリスの経済学者。 1945年ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス卒業。同校で 50年博士号取得。バーミンガム大学を経て 60年ケンブリッジ大学,67年ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授。 72年ケンブリッジ大学教授。一般均衡理論の専門家で,一般均衡の安定性に関する研究に多大の貢献がある。また本来実物経済を扱う一般均衡理論に貨幣を導入することを研究。 68年アメリカ計量経済学会会長。主著に K.J.アローと共著の『一般競争分析』 General Competitive Analysis (1971) や,『貨幣とインフレーション』 Money and Inflation (82) などがある。

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百科事典マイペディアの解説

ハーン

ドイツの化学者。ベルリン大学教授,マックス・プランク協会総裁(1946年―1960年)等を歴任。1904年―1905年ラムゼーのもとで放射性元素の研究を行い,ラジオトリウムを発見,次いでラザフォードのもとでラジオアクチニウム,1906年E.フィッシャーのもとでメゾトリウム,1918年L.マイトナーとともにプロトアクチニウム,1921年核異性体ウランZを発見。
→関連項目マイトナー

ハーン

作家,評論家,随筆家。ギリシア生れの英国人。19歳で米国に渡り,新聞記者となった。1890年来日,松江中学に赴任し,小泉節子と結婚。日本の文化,風土を愛して1895年帰化し小泉八雲を名乗った。

ハーン

遊牧民の族長,遊牧民国家の君主の称号。ハン,カーン(カン)とも。元来はアルタイ系のトルコ諸族やモンゴル系の北アジア遊牧民族の間で用いられ,カガンkhaghan(漢字転写で可汗)がもとの形。
→関連項目カガン(可汗)クリルタイ単于ダヤン・ハーンチンギス・ハーン

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世界大百科事典 第2版の解説

ハーン【Lafcadio Hearn】

1850‐1904
文芸評論家,小説家。日本名は小泉八雲。ギリシアのレフカス島でイギリス進駐軍の軍医チャールズブッシュハーンと島の女ローザとの間に生まれた。幼時ダブリンに移ったが母と生別し,大伯母に育てられた。フランスのイブトーとイギリスのアショーのカトリック系の学校で教育を受けたが,家庭の崩壊,カトリック神父に対する反発,左眼の失明,大伯母の破産などの不幸に遇い,19歳のとき,イギリスを捨てアメリカに文無しで渡り,シンシナティで苦労しながら新聞記者として名をなした。

ハーン【Otto Hahn】

1879‐1968
ドイツの核化学者。フランクフルト・アム・マインの生れ。若いころから化学に興味をもち,マールブルクおよびミュンヘン大学に学ぶ。1904年ロンドンに留学,W.ラムゼーの指導を受けて放射性物質に興味をもち,05年モントリオールのE.ラザフォードの研究室に移り,さらに06年にはベルリン大学のE.フィッシャーの研究室に入って放射性物質の単離の研究を続けた。この間,ラジオトリウム(1905),ラジオアクチニウム(1906),メソトリウム(1907)を発見している。

ハーン【khān】

遊牧民の族長の称号。ハン,カーン(カン)とも呼ばれる。もともとはアルタイ系のトルコ,モンゴル系の北方遊牧民モンゴル高原において使っていた称号で,カガンqaghan(漢字の転写で〈可汗〉)ないしは,それがつづまったカンqan(〈汗〉)がもとの形である。4世紀末の柔然の族長,社崙(しやろん)が丘豆伐可汗Kültebüri Qaghanと称したのが史料にみえる最初で,その後,北アジア,中央アジアに建国したトルコ系の突厥帝国内で広く用いられた。

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大辞林 第三版の解説

ハーン【Otto Hahn】

1879~1968) ドイツの化学者。放射物質を研究し、ラジオトリウム・ラジオアクチニウム・プロトアクチニウムなどを発見。また、シュトラスマンとともに中性子によるウランの核分裂を発見。

ハーン【Lafcadio Hearn】

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世界大百科事典内のハーンの言及

【怪談】より

…ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の短編小説集。1904年アメリカ,イギリスで刊行。…

【顔】より

…C.H.シュトラッツは日本人の顔の本質的な特徴を顔の楕円形が伸びて長細くなる傾向だとした(《生活と芸術にあらわれた日本人のからだ》)。L.ハーンは〈日本美術に描かれた顔について〉の中で,日本絵画では顔の表情を描かず紋切型だと指摘した上で,西欧近代画やギリシア芸術と比較し,日本絵画がギリシア美術に共通すること,個人の表情のもつ意味は道徳と関係しないことを共に認めていることを述べている。人相学【池沢 康郎】。…

【日本研究】より

…19世紀の文献学の隆盛期に日本学は〈盆栽的学問orchid science〉への傾向を強めた。この間フランス,イギリスの外交官のなかからは,L.パジェスをはじめ,E.M.サトー,W.G.アストンのような優れた日本学者となる人々が輩出し,B.H.チェンバレンをはじめ御雇外国人として来日したJ.マードック,L.ハーン(小泉八雲),アペールVictor George Appert,ブスケGeorge Hilaire Bousquet,サンソムGeorge Bailey Sansom(1883‐1965)らも日本の現実に基づいた研究の成果をあげたが,イギリス人を除いては本国の大学に戻れなかった。サンソムはイギリスでは教職に就かず,1935年,のちにハーバード大学と並んでアメリカの日本研究の中心の一つとなるコロンビア大学で教えた。…

【ハエ(蠅)】より

…俳句には小林一茶のものをはじめとして数多くの句がある。L.ハーン(小泉八雲)が《新著聞集》の〈亡魂蠅となる〉を訳した〈蠅の話〉(《骨董》所収)では,玉という女中が死んでから,冬だというのに追っても追っても室内に入ってきて主人のまわりを飛びまわる大きなハエに印をつけ,家から遠く離れたところで放してまた戻るかどうかを調べることになっている。これこそまさに,現在さかんに行われているマーキングによる調査の古い記録であるというべきであろう。…

【核分裂】より

…遅い中性子によって起こるウランの核分裂では,核分裂破片の質量比がほぼ95:140の場合がいちばん多い。
[発見と研究の歴史]
 1938年O.ハーンは,F.シュトラスマンとともに,天然に存在するもっとも重い元素であるウラン(原子番号92)に中性子を照射し,その結果生ずる微量な反応生成物を注意深く化学分析して,ウランのほぼ半分の質量をもつバリウム(原子番号56)の存在をつきとめた。かつてのハーンの共同研究者L.マイトナーは,この実験結果を伝え聞くや,O.R.フリッシュとともに,この現象を,原子番号92のウランが原子番号56のバリウムと原子番号36のクリプトンに割れる核分裂として説明した。…

【マックス・プランク協会】より

…そこで,ドイツ物理学界の長老でKWGとも縁の深かったプランクの名まえが選ばれ,46年,イギリス占領地区で,マックス・プランク協会の設立が宣言された。初代総裁にはO.ハーンが就任した。その後,マックス・プランク協会は,西ドイツの復興とともに発展・拡大を遂げ今日に至っている。…

【イスラム美術】より

…(2)マドラサ ウラマー育成の高等教育施設で,構造としては,中庭に面した各辺の中央に,教場や礼拝場として使われるイーワーンを設け,その間に階上・階下ともに学生が起居する個室が配置される。(3)修道場(リバートribāṭ,テッケtekke,ハーンカーkhānqā,ザーウィヤzāwiya) 呼称はさまざまであるが,いずれもスーフィー(神秘主義者)が称名などの修行を行う修道場のことで,リバートは,元来は国境地帯につくられた砦をさした。建築的には,マドラサや下記のキャラバンサライと同様な構成をとる。…

【中央アジア】より

…このような〈遊牧帝国〉とも呼びうる強大な国家が,中央アジア史上に華々しい活動を見せた,匈奴突厥(とつくつ),ウイグル,モンゴル帝国等の諸国家である。 これらの遊牧国家ないし遊牧帝国の君長は,それぞれの国家ないし帝国の形成にあたって,その形成の中核となった特定の一氏族の成員の中から選出され,単于(ぜんう)ないしハーンの称号を名のったが,これらの君長の選出や,外国遠征等の国家の重要事は,その国家の構成メンバーである諸部族の支配者たち,すなわちベグないしノヤンと呼ばれた遊牧貴族たちから成る国会(クリルタイ)の議を経て決定された。すなわち遊牧国家の君長は,彼らが特定の氏族のみから選出されるというところに由来するある種のカリスマ性を具有していたにせよ,十分の統率力をもちあわせぬ場合には,ただちに遊牧貴族らによって交替させられるという意味において,決して絶対的な君主ではなかった。…

※「ハーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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