ラムゼー(読み)らむぜー(英語表記)Sir William Ramsay

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラムゼー」の意味・わかりやすい解説

ラムゼー(Sir William Ramsay)
らむぜー
Sir William Ramsay
(1852―1916)

イギリスの化学者。グラスゴーの生まれ。グラスゴー大学で文学を学び1869年卒業。ついでタトロックRobert Tatlock(1837―1934)の研究室で分析化学に従事し、化学を志す。1870年ハイデルベルク大学ブンゼンに師事し、1872年チュービンゲン大学でフィティッヒの指導で博士号を取得。1874年グラスゴー大学助手となり、ピリジン誘導体の生成など有機化学分野の研究を行い、のちに物理化学の研究に転じた。1880年ブリストル大学化学教授に迎えられ、1881年には学長に任命される。ブリストル大学では助手にヤングSydney Young(1857―1937)を得て液相気相系の研究を行い、圧力と液体の融点に関するラムゼー‐ヤングの法則を発見(1886)、のちにシールズJohn Shields(1818―1879)と協力して液体温度と表面張力との関係を扱ったラムゼー‐シールズ式を発表(1893)するなど化学量論の諸定理を発見した。

 1887年ロンドン大学化学教授に迎えられ、気体密度の精密測定を精力的に行い、1894年レイリーと共同で希ガス元素アルゴンの存在を発見、これが一原子分子であることを明らかにした。翌1895年にはクレーベ石を加熱し放出される気体の吸収スペクトルを測定し、ヘリウムを同定した。これらの発見から周期表に原子価ゼロの希ガス元素グループが存在することを予測し、トラバーズの協力のもとで液体空気を注意深く分留することにより、1898年にはクリプトンネオンに次いでキセノンを発見。1903年にはソディと協力してラドンを単離して周期表中0(ゼロ)族を完成させた。

 その後もソディらと協力し、ラジウムからヘリウムが放出されることを確認、放射性元素崩壊理論の研究を行った。1912年退職後も自宅に実験室を設備し研究に没頭した。1881年学士院会員に選出された。1904年には希ガス元素の研究によりノーベル化学賞を授与された。主著に『System of inorganic chemistry』(1891)、『The Gases of the Atmosphere』(1896)、『Elements and Electrons』(1912)などがある。

[後藤忠俊]


ラムゼー(Norman Foster Ramsey)
らむぜー
Norman Foster Ramsey
(1915―2011)

アメリカの物理学者ワシントン市に生まれる。コロンビア大学で数学と物理学を学び、1935年に卒業、ケンブリッジ大学に留学ののち、コロンビア大学でラービの指導を受ける。第二次世界大戦中はマサチューセッツ工科大学MIT)でレーダー開発に従事、のちマンハッタン計画(原子爆弾開発計画)にも参加した。終戦後、教授としてコロンビア大学に戻ったが、1947年ハーバード大学に移り分子線研究室を創設、1986年まで務めた。

 分子線を利用して核磁気共鳴四極子モーメントなどの研究を行い、それらを精密に測定する方法(分離振動場法またはラムゼー共鳴法とよばれる)を発明した。この方法により、分子線の高分解能分光を得ることが可能となり、原子周波数が高精度で測定できるようになった。さらに水素原子線メーザーの開発に成功した。この気体メーザーはきわめて精度の高い発振器で、周波数を10-12のレベルで測定可能となり、原子時計に応用されるようになった。これらの業績により、1989年にノーベル物理学賞を受賞、イオン捕捉(ほそく)技術を開発したデーメルト、パウルとの同時受賞であった。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラムゼー」の意味・わかりやすい解説

ラムゼー
Ramsay, Sir William

[生]1852.10.2. グラスゴー
[没]1916.7.23. ハイウィカム
イギリスの化学者。ドイツに留学 (1870) ,ハイデルベルク大学の R.ブンゼンのもとに学び,帰国後アンダーソン大学助手 (72) ,ブリストル大学教授 (80) ,ロンドン大学教授 (87) 。ロイヤル・ソサエティ会員 (88) 。 1886年の圧力と融点の関係式 (ラムゼー=ヤングの規則) ,93年の表面張力と温度の関係式 (ラムゼー=シールズの式) の発見など化学量論に関する貴重な業績,アルカロイドの生理作用に関する研究などが知られるが,彼の最大の業績は,J.レイリーとの共同になるアルゴンの発見をはじめとする,ヘリウムネオンクリプトンキセノン (94~98) ,ラドン (1912) と不活性気体元素の理論的予測と実験的確認である。また,F.ソディとともにラジウムからできる放射物資がヘリウムを生成することを明らかにし,元素転換の事実を証明した (03) 。 1902年ナイトの称号を贈られ,04年ノーベル化学賞を受賞。

ラムゼー
Ramsey, Norman Foster

[生]1915.8.27. ワシントンD.C.
[没]2011.11.4. マサチューセッツ,ウェーランド
アメリカ合衆国の物理学者。1940年コロンビア大学で物理学の博士号を,1954年にケンブリッジ大学で理学博士号を取得した。アメリカの各大学で教鞭をとり,1947年ハーバード大学に招かれ,1966年にはヒギンズ記念物理学教授に就任した。1949年,離れた 2ヵ所にかけた電磁場分子線を通して磁気共鳴(ラムゼー共鳴)を起こすことにより,原子や原子核をきわめて高い精度で調べられることを見出した。またマイクロ波を同調させて超精密な時間計測を可能にし,今日,時間標準の決定に使われているセシウム時計の開発に道を開いた。1950年代には水素メーザーの研究にも業績を上げた。ハンス・G.デーメルト,ウォルフガング・パウルとともに 1989年にノーベル物理学賞を受賞した。

ラムゼー
Ramsey, Frank Plumpton

[生]1903.2.22. ケンブリッジ
[没]1930.1.19. ケンブリッジ
イギリスの哲学者,数学者。ケンブリッジ大学で数学を修め,同大学講師をつとめた。 A.ホワイトヘッドと B.ラッセルによる命題関数の理論の修正とそこに示されているタイプ理論の簡約化を主張。また L.ウィトゲンシュタインの初期思想の影響を受け,そのトートロジー理論や説明理論を発展させた。主著『数学の基礎と論理学的諸論文』 The Foundations of Mathematics and Other Logical Essays (1931) 。

ラムゼー
Ramsay, George

[生]1800.3.19. パートシャー,エイルス
[没]1871.2.22. エイルス
イギリスの哲学者,経済学者,医師。ケンブリッジのトリニティ・カレッジ卒業。経済学面では大陸の諸思想を取入れてリカード派の理論を批判した。主著"An Essay on the Distribution of Wealth" (1836) 。理論的には,古典派経済学から一歩脱却する資本の絶対性の否認,可変資本と不変資本の区別とそれに基づく資本の有機的構成の高度化,フランス経済学からイギリス経済学への企業家という概念の導入などがあげられる。資本主義確立期のイギリスにおける貧困者の存在を経済学的に問題とし,その解決の道を経済学そのものに求めた点に彼の業績があるが,必ずしも大きな影響力をもったとはいえない。

ラムゼー
Ramsay, Sir Bertram Home

[生]1883.1.20. ハンプトン
[没]1945.1.2. パリ
イギリスの海軍軍人,大将。 1898年海軍兵学校入学,第1次世界大戦中は中佐でドーバー海峡の駆逐艦隊を指揮した。 1935年少将となり,海軍参謀総長となったが3年で引退。第2次世界大戦でドーバー海峡司令官として復帰,ダンケルク撤収作戦 (ダンケルクの戦い ) を,各種船舶 850隻を動員してやりとげ,英仏その他の連合軍 33万 8000人以上をドイツ軍の追撃から救った功によりナイト爵に叙せられた。その後も北アフリカ作戦,シチリア島上陸作戦,ノルマンディー上陸作戦と,イギリス海軍を率いて転戦した。 45年パリ上空で墜落死。

ラムゼー
Ramsey, Arthur Michael

[生]1904.11.14. ケンブリッジ
[没]1988.4.23. オックスフォード
イギリスの聖職者。第 100代カンタベリー大主教。ケンブリッジ大学,カデストン神学大学で学び,各地で牧師をしたのち,1940年ダラム大学,50年ケンブリッジ大学の神学教授。 52年ダラム主教,56年ヨーク,61年カンタベリー各大主教。教会統一に尽力し,66年教皇パウルス6世と正式に会見,平和の口づけをかわした。新約聖書の研究にも力を注いだ。 74年引退。主著『福音とカトリック教会』 The Gospel and the Catholic Church (1936) 。

ラムゼー
Ramsay, Allan

[生]1713.10.13. エディンバラ
[没]1784.8.10. ドーバー
スコットランドの肖像画家。詩人 A.ラムゼーの子。エディンバラで学んだのち,1734年にロンドン,36~38年にイタリアで修業。帰国後はロンドンで活躍したが,55~57年には再びイタリアに旅行。 60年代は王室の肖像画などを描きながら,文豪 S.ジョンソンらと交友をもち,古典の研究や政治問題の論争などに関心を示した。主要作品は『ミード博士像』 (1747,ロンドン,ファンドリング病院) 。

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