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マン Mann, Heinrich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マン
Mann, Heinrich

[生]1871.3.27. リューベック
[没]1950.3.12. カリフォルニア,サンタモニカ
ドイツの小説家,評論家。トーマス・マンの兄。富裕な穀物商の家に生れ,出版社に勤めたのち,イタリア,フランスに滞在,特にフランスの思想,教養から深い影響を受けた。ウィルヘルム体制下の権威主義的な社会に攻撃を加えた時代批判の小説で知られる。第1次世界大戦中は急進的デモクラシーを唱道して弟トーマスとさえ対決。 1930年プロシア・アカデミーの文芸部門の長となる。 33年チェコスロバキアを経てフランスに亡命,反ファシズム運動を行う。 40年アメリカに逃れ,49年東ドイツ・アカデミー院長に任じられたが,帰国を前にして死亡。『逸楽郷にて』 Im Schlaraffenland (1900) ,『ウンラート教授』 Professor Unrat oder das Ende eines Tyrannen (05) ,『小さな町』 Die kleine Stadt (09) ,3部作『帝国』 Das Kaiserreich (14~25) ,歴史小説『アンリ4世の青春』 Die Jugend des Königs Henri Quatre (35) ,『アンリ4世の完成』 Die Vollendung des Königs Henri Quatre (38) などのほか,『精神と行動』 Geist und Tat (31) などの文明批評,政治評論がある。

マン
Mann, Horace

[生]1796.5.4. マサチューセッツ,フランクリン
[没]1859.8.2. オハイオ,イエロースプリングズ
アメリカの教育家。「アメリカ公教育の父」と呼ばれており,その改革案は多くの点で現代公教育の基盤をなしている。貧困と逆境のなかで育ち,ようやくブラウン大学に入学を許され,1819年卒業。生涯の仕事として法曹界入りを希望し,23年弁護士となる。 27~33年マサチューセッツ州議会議員,35~37年同州上院議員,37~48年同州教育委員会初代教育長。この間公立学校制度の改革,教師の待遇改善などを行い,またアメリカ合衆国初の師範学校の創設 (1839) に尽力した。のち連邦下院議員 (48~53) ,アンティオーク大学学長 (52~59) をつとめ,教育改革に貢献した。

マン
Mann, Klaus

[生]1906.11.18. ミュンヘン
[没]1949.5.22. カンヌ
ドイツの小説家。トーマス・マンの長男。 18歳で文筆生活に入り,ベルリンで劇評家,ジャーナリストをしていたが,1933年アムステルダムに亡命。同地で亡命者の雑誌『集合』 Die Sammlungを発行。 36年渡米し帰化,アメリカ兵としてアフリカ戦線で戦った。行動的に自由の世界を切り開こうとしたが,フランスで自殺した。第2次世界大戦後の混乱のなかで精神の無力に絶望した世代の典型といえる。小説『悲愴交響曲』 Symphonie pathétique (1935) ,自叙伝『転回点』 The Turning Point (42) などがある。

マン
Mann, Thomas

[生]1875.6.6. リューベック
[没]1955.8.12. チューリヒ
ドイツの小説家,評論家。 H.マンの弟。富裕な穀物商の家に生れたが,1891年の父の死後家運は傾いた。 93年ミュンヘンに移り,保険会社に勤務しながら,ミュンヘン大学で美術史,文学史などを聴講。 1933年亡命,38年アメリカに逃れた。第2次世界大戦後はスイスに定住。ショーペンハウアー,ニーチェ,ワーグナーらの影響を受け,完成された文体と,神話への志向,パロディーの駆使などにより,20世紀の最も重要な作家の一人に数えられる。最初の小説『ブッデンブローク家の人々』 Die Buddenbrooks (1901) における市民性と芸術性,生と精神の対立は,短編『トーニオ・クレーゲル』 Tonio Kröger (03) ,『ベニスに死す』 Der Tod in Venedig (12) などにも形を変えて追究され,彼の終生のテーマとなった。『魔の山』 Der Zauberberg (24) ,『ファウスト博士』 Doktor Faustus (47) などは,文化・時代分析の書ともいえよう。ほかに4部作『ヨーゼフとその兄弟たち』 Joseph und seine Brüder (33~43) ,『ワイマールのロッテ』 Lotte in Weimar (39) ,『選ばれし人』 Der Erwählte (51) ,『詐欺師フェーリックス・クルルの告白』 Bekenntnisse des Hochstaplers Felix Krull (54) ,政治評論『非政治的人間の考察』 Betrachtungen eines Unpolitischen (18) など。 29年ノーベル文学賞受賞。

マン
Mann, Thomas(Tom)

[生]1856.4.15. ウォリックシャー,フォールズヒル
[没]1941.3.13. ヨークシャー,グラシントン
イギリスの労働運動指導者。通称トム・マン。 1881年合同機械工労働組合に加入。 89年ロンドンの港湾労働組合初代委員長となり,最低賃金制,8時間労働制,労働権を要求して港湾ストライキを指導。独立労働党の結成に尽力し,94~97年全国書記。 96年国際船舶・港湾・河川労働組合連盟を創設し,初代委員長となった。 1916年イギリス社会党に加入,20年にはイギリス共産党の創立に加わった。

マン
Mun, Albert, Comte de

[生]1841.2.28. セーヌエマルヌ,リュミニー
[没]1914.10.6. ボルドー
フランスの政治家。キリスト教社会主義者。 1870年普仏戦争の際,メッスで捕虜となったが,そのときキリスト教的社会活動に献身することを決意。 71年「労働者カトリック・クラブ」を設立,81年より雑誌『カトリック協会』を発行した。ブーランジェ事件に共鳴し,反教権主義政策に反対した。 97年アカデミー・フランセーズ会員に選ばれた。

マン
Mun, Thomas

[生]1571.6.17. 〈洗礼〉ロンドン
[没]1641.7.21. 〈埋葬〉ロンドン
イギリスの経済著述家。イタリア,レバント貿易に従事したのち,1615年東インド会社理事。同社の貿易がイギリスの鋳貨を流出させるとの非難にこたえて『イギリスの東印度貿易に関する一論』A Discourse of Trade,from England unto the East-Indies: Answering to Diverse Objections which are usually made against the Same (1621) を著わし,さらに『東インド会社の請願と進言』 The Petition and Remonstrance of the Governor and Company of the Merchants of London,trading to the East-Indies (28) を公刊して会社を弁護,また 30年頃に執筆した『外国貿易によるイギリスの財宝』 England's Treasure by Foreign Trade (公刊 64) で個別的貿易差額説に基づく重金主義を批判し,全般的貿易差額説に立つ重商主義経済理論を展開した。

マン
Man

コートジボアール西部の町。マン県の県都。ブワケ西南西約 280kmに位置。ダン族の交易中心地で,カカオ,コーヒー,木材,畜産物などを集散。南方に豊富な鉄鉱石鉱脈が発見され,ヨーロッパ,アメリカ,日本の協力により,1980年代に開発が始まった。象牙細工伝統工芸も有名。国内空港がある。人口8万 8294 (1988) 。

マン
Mann, Delbert Martin, Jr.

[生]1920.1.30. カンザス,ローレンス
[没]2007.11.11. カリフォルニア,ロサンゼルス
アメリカ合衆国の映画監督,テレビドラマ演出家。テレビでの低予算の手法を映画に応用し,『マーティ』Marty(1955)や『独身者のパーティ』The Bachelor Party(1957)といったテレビドラマの映画化作品を制作した。2作とも脚本はパディ・チャイエフスキーによる。『マーティ』は予想外にヒットし,アカデミー賞作品賞と監督賞を受賞した。長編映画とテレビ映画を数多く手がけ,NBCで放送された高視聴率ドラマシリーズ「フィルコ・テレビジョン・プレイハウス」Philco Television Playhouseでは 100以上のドラマを制作した。また,1969~71年には全米監督協会の会長を務めた。

マン
MAN AG

ドイツのエンジン,機械会社。 1986年 M.A.N.マシネンファブリク・アウクスブルク=ニュルンベルク (持株会社) とグーテホフヌングスヒュッテとの合併により設立。トラックやバス,印刷機械,鉄鋼の生産を中心にプラント建設,ディーゼルエンジン,タービン,ボイラ,土木機械などを手がける。輸出は全体の約6割,そのほぼ半分がヨーロッパ向けである。年間売上高 213億 5400万マルク,総資産 140億 2200万マルク,従業員数6万 2564名 (1997) 。

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デジタル大辞泉の解説

マン(man)

人。男性。「マンウオッチング」「マンツーマン
名詞の下に付いて複合語をつくり、それを職業にしている人、それに関係している人、の意を表す。「ガードマン」「銀行マン

マン(Mann)

(Heinrich ~)[1871~1950]ドイツの小説家・批評家。の兄。ナチス時代、フランス・米国亡命、反ファシズム闘争を展開した。作「ウンラート教授」「アンリ四世」など。
(Thomas ~)[1875~1955]ドイツの小説家。の弟。ナチス政権成立後、米国に亡命、ヒューマニズムの立場からナチズム批判を続けた。生と精神との対立・調和の問題を追求し、1929年ノーベル文学賞受賞。作「ブッデンブローク家の人々」「トニオ=クレーゲル」「ベニスに死す」「魔の山」「ファウスト博士」など。トマス=マン。

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百科事典マイペディアの解説

マン

米国の映画監督。カリフォルニア生れ。低予算のスリラー映画を手がけた後,J.スチュアート主演の西部劇《ウィンチェスター銃'73》(1950年)で注目される。その後も《怒りの河》(1951年),G.ミラーを主人公とした音楽伝記映画の代表的作品《グレン・ミラー物語》(1954年),《遠い国》(1954年)など,スチュアートとのコンビは8作に及んだ。

マン

ドイツの作家。T.マンの兄。初期には小説《ウンラート教授》(映画《嘆きの天使》の原作)など。早くから西欧的民主主義反戦の立場に立ち,《臣下》(1914年)などで第二帝国の体制を批判。

マン

米国の教育行政家。教師,弁護士を経て,マサチューセッツ州下院議員,上院議員,上院議長(1837年)。1837年米国で最初の教育委員会設置の立法を推進し,1848年まで同州教育長に在任(この間の12冊の年次報告書は著名)。

マン

ドイツの作家。リューベックの穀物商の家に生まれる。《ブデンブローク家の人びと》で文名を確立。短編《トニオ・クレーガー》(1903年),死に魅せられた芸術家の肖像《ベニスに死す》(1912年)を経て,第1次大戦では評論《非政治的人間の考察》(1918年)などで,英仏の文明国に対して,ドイツ精神を擁護,保守的ロマン主義の立場を主張。
→関連項目北杜夫ファウストフィッツナーマン

マン

英国の重商主義経済学説の代表者,東インド会社理事。イギリス東インド会社貿易が金銀を流出させるとの非難に対して,東インド商品の再輸出により流出金銀以上の利潤がもたらされるとの貿易差額説を唱えた。

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デジタル大辞泉プラスの解説

マン

日本の特撮テレビ番組『ウルトラマン』(1966~67)に登場する巨大変身ヒーロー、ウルトラマンの俗称

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世界大百科事典 第2版の解説

マン【Heinrich Mann】

1871‐1950
ドイツの作家。トーマス・マンの兄。北ドイツの商都リューベックの豪商の家に長男として生まれたが,作家生活の初めから社会主義的傾向を示し,いわゆる〈ウィルヘルム期〉の権威主義的,俗物主義的な諸現象に対する痛烈な批判者であった。第1次大戦の勃発にさいしてにわかにドイツ的,国民的なものへの共感を表明した弟トーマスに対して,ハインリヒはヨーロッパ的,普遍的立場を堅持してエッセー《ゾラ論》(1915)で弟に批判を加え,兄弟のあいだに深刻な亀裂が生じた。

マン【Horace Mann】

1796‐1859
アメリカの教育行政家,政治家。〈アメリカ公立学校の父〉といわれる。マサチューセッツ州フランクリンに生まれる。1819年ブラウン大学卒業,23年弁護士となり,マサチューセッツ州下院議員(1827‐33),上院議員(1833‐37),および上院議長(1837)として慈善事業,医療事業,社会事業関係の立法に尽くした。また,37年同州においてアメリカで最初の教育委員会の創設の立法を推進し,みずからその教育長を12年間にわたって務めた。

マン【Klaus Mann】

1906‐49
ドイツの小説家評論家。トーマス・マンの長男。18歳の頃から,第1次大戦後の,可能性をはらんだ混沌の申し子のように,新進の流行作家として,創作,評論に多彩な活動ぶりを示したが,折から勢力を強めてきたナチズムに鋭い対決姿勢を示し,作家の社会的責任についての認識と行動を深めていった。1933年の亡命はそうした信念と活動の帰結で,35年にアメリカへ移るまではアムステルダムで雑誌《集合》を刊行して,亡命者結集の精神的中心をなしていた。

マン【Thomas Mun】

1571‐1641
イギリスの重商主義理論家。イギリス東インド会社の重役で,同社が銀を大量に輸出することに対する批判にこたえて,《外国貿易によるイングランドの財宝》(1664)を著し,輸入された東インド物産が他国に再輸出されることで,同社がむしろイギリスの国際収支の改善に貢献していると主張。個別取引の差額を問題にする立場から全体としての収支を考える〈貿易差額〉論への重商主義理論の展開の契機となった。【川北 稔】

マン【Thomas Mann】

1875‐1955
ドイツの作家。北ドイツの商都リューベックの穀物商会を営む豪商の家に生まれた。作家のハインリヒ・マンは兄で,父の死後,家族とミュンヘンに移り住んだ。19歳の頃から創作にふけり,1898年短編集《小男フリーデマン氏》を刊行,次いで1901年に発表した長編《ブデンブローク家の人びと》によって作家としての地歩を確実なものにした。03年には《トニオ・クレーガー》を含む短編集《トリスタン》,05年には唯一の戯曲《フィオレンツァ》を発表するが,重厚な文体の作品にはショーペンハウアー,ワーグナー,ニーチェの影響がうかがわれる。

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大辞林 第三版の解説

マン【man】

人。男。多く、名詞の下に付いて複合語をつくり、それを職業とする人、それにかかわりのある人、その集団の一員などの意を表す。 「宣伝-」 「ジャズ--」 「早稲田-」 〔女性を表すウーマンに対して、男性だけを表す場合がある〕

マン【Mann】

〔Anthony M.〕 (1906~1967) アメリカの映画監督。西部劇などで1950年代のハリウッドで活躍した。代表作「裸の拍車」「グレン=ミラー物語」「ウィンチェスター銃 '73 」など。
〔Heinrich M.〕 (1871~1950) ドイツの小説家。文明批評家。フランス・アメリカに亡命して反ナチズム闘争の先頭に立った。崩壊する市民社会を風刺的に描いた小説「ウンラート教授」「臣下」、歴史小説「アンリ四世」、回想録「一時代を検閲する」など。
〔Horace M.〕 (1796~1859) アメリカの教育改革者。上院議員を経てマサチューセッツ州初代教育長となる。公立学校の施設改善、教員の待遇改善・資質向上などに尽力。
〔Thomas M.〕 (1875~1955) ドイツの小説家。の弟。市民と芸術家、生と精神の対立・超克を追求。また、ヒューマニズムの立場から一貫してナチスを批判。スイスとアメリカに亡命。作「ブッデンブローク家の人々」「大公殿下」「魔の山」「ファウスト博士」「選ばれた人々」、短編小説「トニオ=クレーガー」など。

マン【MAN】

〖metropolitan area network〗
複数の LAN どうしを接続した(または LAN を比較的広域に拡大した)高速ネットワークのこと。ビル内、大学の敷地内、企業の地域内事業所、都市全体などをカバーする。メトロポリタン-エリア-ネットワーク。 → ランWAN

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367日誕生日大事典の解説

マン

生年月日:1571年6月17日?
イギリスの経済著述家
1641年没

マン

生年月日:1885年11月17日
ベルギーの政治家,社会学者
1953年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内のマンの言及

【臣下】より

…ハインリヒ・マンの長編三部作《帝国》の第1部で,1911年から雑誌に逐次発表され,14年第1次世界大戦の勃発直前に完成した(これに《貧しき人びと》《頭》が続く)。この作品のドイツ帝国批判はきわめてきびしく,出版社は開戦当初の愛国的熱狂をおもんばかって,単行本の刊行を控えたほどだったが,18年刊行されるやたちまち10万部も売れた。…

【嘆きの天使】より

…スタンバーグに発見されたマルレーネ・ディートリヒが一躍スターとなったことでも知られる。帝制ドイツの教育制度と教育者のまやかしの権威と偽善性を告発したハインリヒ・マンの小説《ウンラート教授――ある暴君の末路》(1905)の映画化で,ふとしたことからキャバレー〈青い天使〉(《嘆きの天使》の原題)の歌手(ディートリヒ)の色香に迷う道学者ぶった謹厳な高校教師(エミール・ヤニングス)の堕落とその末路を描く。ディートリヒによる〈セックスの化身〉とそのサディズムによって世界中で大ヒット,パリでは封切り後まもなく映画の題名と同じ名のナイトクラブがオープンしたと伝えられる。…

【反ファシズム】より

…日独伊三国軍事同盟締結と大政翼賛会,大日本産業報国会の結成は,40年のことであったが,このときにはすでに反ファシズムの組織と言論は皆無に近かった。【鈴木 正節】
【国際的な反ファシズム文化運動】
 国際的な反ファシズム文化運動の先駆としては,反戦を掲げてロマン・ロランとバルビュスが呼びかけ,ゴーリキー,アインシュタイン,ドライサー,ドス・パソスらが発起人に名を連ねる,1932年8月アムステルダムの国際反戦大会に29ヵ国2200名を集め,翌年パリで第2回大会を開催した〈アムステルダム・プレイエル運動〉,フランスの急進社会党代議士ベルジュリが主唱し,J.R.ブロック,ビルドラックらの協力した33年5月結成の〈反ファシズム共同戦線〉,ジッド,マルローらによる〈革命作家芸術家協会〉の33年における反ファシズム運動などがあげられる。しかし,それが政治的立場を超えた知識人の統一運動として定着するのは,34年の2月6日事件をまたなければならない。…

【アメリカ合衆国】より

…ことに,ホワイト・ハウス事務局の補佐官は,大統領の政策決定に大きな影響力をもち,大統領とこれらのスタッフに広範な権限が集中され,ついにはニクソン大統領時代の〈帝王的大統領〉制との批判をうけるまでにいたる。 副大統領は,大統領と共に選出されるが,大統領事故ある場合の大統領職継承権第1位にあり,事実第2次大戦以降トルーマン,ジョンソン,フォードの各大統領は副大統領から昇格している。従来,副大統領は平常は上院議長の役割のみの閑職とされていたが,現在では多忙な大統領の代役をつとめることが多くなった。…

【学校】より

…これは地域の実情を考慮した制度であり,順次9年制への移行がすすめられた。 早くから複線型の学校制度を脱却したのはアメリカであり,H.マン(1796‐1859)は自然法的権利としての教育を受ける権利を強調し,この考えから公教育費の増額,学校数を増加させる運動がすすんだ。さらにこれを受けて,1860年代には統一基礎学校としての初等学校(コモン・スクールcommon school)がつくられ始め,19世紀末には,これに中等学校(ハイ・スクールhigh school)を接続させる方式がとられるようになった。…

【女子教育】より

…その後,オーエンに刺激されたウィルダースピンSamuel Wilderspin(1792‐1866)は1824年にインファント・スクール(幼児学校)協会を設立し,イギリス各地に幼児学校を普及させたが,これらの学校の一部はのちにイギリス公教育制度の一環に組み込まれていった。一方,アメリカでも,産業革命の進展と深くかかわりながら,男子とともに女子にも教育をという動きが,無月謝公立学校運動の父と呼ばれたH.マンらの努力で30年代から展開された。彼は,教育権思想を下敷きにしたうえで,教育の振興が男女を問わずすぐれた労働者を育て,労働者自身の幸福を保証するだけでなく,工場主にも多くの利益をもたらすことを事実に即して訴え続けた。…

【サンディカリスム】より

… アメリカにおけるIWW(世界産業労働者)の運動も本来土着的な運動が思想的表現を借用したものである。イギリスではT.マンらのシンディカリスト・リーグがサンディカリスム型(イギリスではトレード・ユニオニズムと呼ばれた)の運動を指導し,港湾労働者などの間に影響力を与えた。イタリアにおける同種の試みは社会党内少数派のものにとどまり,労働組合運動に影響を与えることはなかった。…

【重商主義】より


[重金主義から貿易差額主義への転換]
 この転換は,第1次土地囲込み運動と国内産業の発展とに基づいて進行し,直接には1620年に始まる毛織物輸出の不振と国内の貨幣不足とを契機とする〈外国為替論争〉(歴史上最初の経済論争)によって表面化した。この論争は,重金主義者G.deマリーンズと貿易差額論者E.ミッセルデンおよびT.マンとの間で行われ,前者が直接的,個別的な貿易統制政策による貨幣的富の国外流出防止と流入促進とを主張したのに対し,後者は総括的貿易バランス論を主張し,最終的にはマンの主著《外国貿易によるイングランドの財宝》(1664,死後出版)によって体系化された。A.スミスはこのマンの主著を〈すべての他の商業国の経済学の基本的命題になった〉ものと評価し,それ以来この著書は長いあいだ重商主義の古典とみなされてきた。…

【商人】より

…イギリス,オランダ,フランスなどの対立は貿易差額主義に基づく重商主義の理論を生み出し,商人の利益と国家の利益を結びつける見解が生じた。その代表的論者がイギリスのトーマス・マン(1571‐1641)である。彼は著書《外国貿易によるイングランドの財宝》(1664刊)において〈外国貿易は国王の偉大な歳入であり,わが王国の栄誉であり,貿易商人のりっぱな職業であり,わが国の貧民の仕事の供与者であり,わが国土の開発者であり,わが国の水夫の養成所である〉と述べている。…

【屍鬼二十五話】より

…本書はインドの内外に伝わり,多大の影響を与えた。特に〈首のすげかえ〉の物語はゲーテ(《パリア》の〈聖譚〉)に着想を与え,またトーマス・マンはこの物語に基づいて短編小説《すげかえられた首》を書いた。【上村 勝彦】。…

【トニオ・クレーガー】より

…1903年に発表されたトーマス・マンの短編小説。〈トニオ・クレーゲル〉とも呼ばれる。…

【ファウスト】より

…悪魔は彼に魔術の世界を開く鍵を伝授し,数々の奇跡を実行する能力を彼に授けたのである。これに続いてまずイギリスのC.マーロー(1588)が,ドイツではレッシング(断片),ゲーテ,F.M.クリンガー(1791),N.レーナウ(1836),ハイネ(1851,バレエ台本),20世紀に入って,トーマス・マンの《ファウスト博士》(1947),バレリーの《モン・フォースト》(1946)がこのテーマを扱い,ファウスト伝説を豊富にした。ファウスト〈テーマ〉は救済型と破滅型に分かれるが,ゲーテのファウストのみが救済され,他はそれぞれの時代思潮からとられたテーマに従って一般に破滅型である。…

【ブデンブローク家の人びと】より

…1901年に刊行されたトーマス・マンの最初の長編小説。北ドイツのハンザ同盟都市リューベック指折りの豪商で父は市参事会員という有力者の家に生まれた作者は,出版社主S.フィッシャーのすすめをうけて自身の一族をモデルにこの作品を完成したが,20代前半の作者の手になるとは思えない完成度を示し,この作品を対象に1929年のノーベル賞が授与されている。…

※「マン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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