翻訳|reportage
新聞,雑誌,放送などにおける現地からの報告で,元来はフランス語で〈探訪〉を意味する。略して〈ルポ〉ともいう。テレビ・ルポ,フォト・ルポルタージュという言葉が示すように映像的なものも含まれるが,それについては〈ドキュメンタリー映画〉〈ドキュメンタリー写真〉の項目を参照されたい。ルポルタージュの語はノンフィクションと同義的に用いられる場合もあるが,後者のほうが包括的な概念で,ルポルタージュはそれに含まれるものの,ジャーナリズムのなかに位置づけるのが妥当であろう。広義には新聞記事の大半もルポルタージュといえるが,通常は中・長編のものをさす。すぐれたルポルタージュは結果として文学となりうるが,あくまでも事実に基づいた記録,報告に重点が置かれる。
19世紀半ばにロンドンの貧民街の実態を調査,記録したH.メーヒューの仕事などもルポルタージュといえるが,ルポルタージュの発達はアメリカのJ.リードとチェコのE.E.キッシュの活躍に負うところが大きい。リードはロシア十月革命での見聞を《世界をゆるがした10日間》(1919)として記録し,韋駄天(いだてん)記者と呼ばれたキッシュは第1次大戦前後のプラハとベルリンをはじめ,ヨーロッパ各地に取材したルポルタージュを残した。その後のルポルタージュの歴史ではアメリカが傑出しており,J.ガンサーの《ヨーロッパの内幕》(1936),E.P.スノーの《中国の赤い星》(1937),A.スメドレーの《中国の歌ごえ》(1943),D.ハルバースタムの《ベトナム戦争》(1965)などのルポルタージュが生まれている。日本では,志賀重昂(しげたか)や三宅雪嶺らの雑誌《日本人》に1888年に連載された高島炭鉱の鉱夫に関する〈虐風状況の報道〉がルポルタージュの先駆とされる。戦前では横山源之助の《日本之下層社会》(1899),細井和喜蔵の《女工哀史》(1925),戦後では杉浦明平の《ノリソダ騒動記》(1953),石牟礼道子の《苦海浄土》(1969)を代表作として挙げることができよう。今日ルポルタージュは隆盛期を迎えているといえるが,その背景には,日々生起する社会的事件を追うジャーナリズムが,速報性を重視するため,問題の掘下げが犠牲にされたり,官庁などの発表もののみに依存しがちであるという事情がある。すぐれたルポルタージュは事件や問題の発見,事実に基づく取材と構成,現状への批判精神といった条件を備えるものであろう。
→ノンフィクション
執筆者:笠原 武
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