ワシントン(読み)わしんとん(英語表記)George Washington

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ワシントン(George Washington)
わしんとん
George Washington
(1732―1799)

アメリカ合衆国初代大統領(在任1789~1797)。「建国の父」といわれる。[池本幸三]

農園経営

バージニア植民地ウェストモーランド郡出身。2月22日生まれ。主として父と義兄から教育を受け、土地測量官として出発。1752年、マウント・バーノン農園を義兄の遺産として相続した。フレンチ・アンド・インディアン戦争(1754~1763)では民兵軍士官として従軍、オハイオ川地方に進出するフランス軍に対し、イギリス軍に協力して戦い、戦功をあげた。1759年富裕な未亡人マーサ・カスティスと結婚して農園経営を拡大するとともに、バージニア代議会議員(1759~1774)を務めるなど、典型的なジェントルマン・プランターの道を歩んだ。彼は当時、黒人奴隷制に基づくタバコ生産に行き詰まり、穀物生産やマニュファクチュア、さらに西部土地投機に打開策をみいだそうとした。それだけに、七年戦争(1756~1763)後の本国による重商主義強化策、とりわけ植民地人の西部進出禁止策(1763年の国王宣言、1774年のケベック法)に反発し、しだいに独立、ひいては広大な西部を領土とするアメリカ帝国の樹立に傾くようになっていった。[池本幸三]

総司令官から大統領へ

1774年、大陸会議開催とともに、バージニア代表となり、翌年、イギリス本国との武力衝突が起こるや、13植民地全体の大陸軍の総司令官に推された。以来、約10年、地域割拠主義や反軍感情のなかで、無規律、貧弱な装備・補給の農民兵を訓練しつつ、ヨーロッパ一のイギリス正規兵およびドイツ人傭兵(ようへい)と戦った。正面衝突では再三敗北を喫したため、戦略的防衛に徹するようになり、機をみて奇襲を敢行し、持久戦に持ち込んだ。1777年末から半年に及ぶバレー・フォージの飢えと寒さの野営は、独立戦争の苦難を象徴する。1778年フランスとの同盟成功後、主戦場となった南部でゲリラ戦が活発化し、1781年コーンウォリス軍をヨークタウンに包囲して、これを降伏させ、事実上、独立戦争に終止符を打った。講和とともにふたたび農園生活に戻ったが、1787年フィラデルフィア連邦憲法制定会議には議長に推され、弱体な連合政府にかわるより強力な中央政府の樹立に貢献した。さらに1789年には、満場一致で合衆国初代大統領に選ばれ、1792年再選された。[池本幸三]

業績

大統領としては、概してハミルトンの財政政策によりつつ、フェデラリストと反フェデラリストとの均衡を図ったが、1794年の「ウイスキー反乱」(ペンシルベニア西部農民によるウイスキー課税反対、反中央権力の反乱)には、自ら出動して鎮圧し、国家の威信を示した。外交面では、フランス革命戦争が勃発(ぼっぱつ)(1789)するや、中立を宣言、またイギリスおよびスペインとそれぞれジェイ条約、ピンクニー条約を結んで、国交の調整に貢献した。大統領3選の弊害を考え、1796年引退を決意し、有名な「別離の辞」Farewell Addressを発表して、党争や外国との紛争を戒め、これが孤立主義外交の伝統の発端となった。1799年12月14日、マウント・バーノンで死去。合衆国議会は彼の死を悼んで、「戦争においても、平和においても第一人者、そして国民の心に浮かぶ最初の人」という賛辞を贈った。死の直後から彼を国民的英雄として神格化する動きが盛んとなり、多くの神話を生んだ。[池本幸三]
『今津晃著『ジョージ・ワシントン』(猿谷要・城山三郎・常盤新平編『人物アメリカ史 第一巻 自由の新天地 1620―1828』所収・1984・綜合社)』

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