出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
神奈川県鎌倉市大町にある浄土宗の寺。「あんにょういん」ともいう。祇園(ぎおん)山長楽寺安養院という。1225年(嘉禄1)北条政子(まさこ)が夫源頼朝(よりとも)の菩提(ぼだい)を弔うため阿弥陀如来(あみだにょらい)を本尊として長楽寺を建立。政子の発願による最後の寺で、願行上人を開基とする。1333年(元弘3・正慶2)焼失したため、尊観が当寺を善導寺跡に再建、合併した。以後、安養院という。1673年(延宝1)再度焼失し、比企谷(ひきがやつ)の田代(たしろ)観音堂を移し合併再建した。現在の本堂は1928年(昭和3)の再建。千手観世音菩薩(せんじゅかんぜおんぼさつ)は坂東(ばんどう)三十三札所第3番霊場の観世音として庶民の信仰を集める。
[清水 乞]
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
… 南宋の国都臨安では,冬期に3日ないし5日に1回穀物を支給される貧民が5000人以上を数え,飢饉などの年には周囲よりの流入人口も加えておびただしい数にのぼった。救貧施設は,財源としての不動産などが有力者によって侵奪される場合が多く,必ずしも円滑に運営されなかったが,熱心な地方官や篤志家が出ると300人,500人を収養するよう施設が整備され,養済院,安養院などさまざまな名称がつき,また旅行中の病人のための安楽廬や,捨子の施設,慈幼局などに分化した。また施設の人員としては得度前の童行(どうぎよう)が多く加わっていた。…
※「安養院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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