尾上 菊五郎(5代目)(読み)オノエ キクゴロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「尾上 菊五郎(5代目)」の解説

尾上 菊五郎(5代目)
オノエ キクゴロウ


職業
歌舞伎俳優

本名
寺島 清

別名
初名=市村 竹松,前名=市村 羽左衛門(13代目)(イチムラ ウザエモン),市村 家橘(4代目),俳名=梅幸

屋号
音羽屋

生年月日
弘化1年 6月4日

出生地
江戸 浅草猿若町(東京都 台東区)

経歴
父は12代目市村羽左衛門で、母は3代目尾上菊五郎二女。嘉永2年(1849年)市村九郎右衛門を名乗り「恵閏初夏藤」の蔦の者橘の市松役で初舞台を踏み、4年弱冠7歳で13代目市村羽左衛門の大名跡襲名して市村座座主となる。安政4年(1857年)河竹新七(河竹黙阿弥)作「鼠小紋東君新形」の初演蜆売三吉を演じたが、事前に深川まで蜆売の実態を見学に行くほどの熱の入り様で、幕末の名優といわれた4代目市川小団次に認められた。一方で初代花柳寿輔に師事し、踊りも学ぶ。文久2年(1861年)の河竹新七作「青砥稿花紅彩画」(白浪五人男)の初演では弁天小僧菊之助役に抜擢され、終生の当たり役とした。3年4代目市村家橘に改名。明治元年市村座を弟の市村竹松(坂東家橘)に市村座を譲って14代目市村羽左衛門の名跡を継がせ、自身は5代目尾上菊五郎を襲名。2年中村座座頭。以後、小団次の写実的芸風と自身の創意工夫とを合わせて独自の技芸を編み出し、9代目市川団十郎、初代市川左団次とともに“団菊左”と並び称せられて明治歌舞伎界の頂点を極めた。20年には井上馨邸において団十郎、左団次らと明治天皇の御前で「勧進帳」「高時」を演じ、歌舞伎の高尚さと芸術性、歌舞伎俳優の地位の向上に貢献。団十郎が演劇改良(活歴)を主導すると、それに対抗して文明開化の時代に即応した散切物を数多く上演するが、古くからの歌舞伎に親しんできた江戸っ子識者の間では不評で、興行的には失敗。晩年は活歴で頓挫した団十郎と共に古典歌舞伎に戻ってその様式的完成に大きく寄与した。当たり役はほかに「仮名手本忠臣蔵」の勘平、「塩原太助一代記」の塩原太助、「義経千本桜」の忠信・いがみの権太、「盲長屋梅加賀鳶」の梅吉、「水天宮利生深川」の筆屋幸兵衛などで、世話物を得意とし、とくに生世話物の写実的演技に秀でた。「茨木」「土蜘」など能や狂言に題材をとった演目も多い。また、市川団十郎家の「歌舞伎十八番」に対抗し、菊五郎家のお家芸である「新古演劇十種」を選定した。著書に「尾上菊五郎自伝」がある。

没年月日
明治36年 2月18日 (1903年)

家族
長男=尾上 菊五郎(6代目),三男=坂東 彦三郎(6代目),父=市村 羽左衛門(12代目),祖父=尾上 菊五郎(3代目)

伝記
歌舞伎―研究と批評〈43〉特集 歌舞伎の反射鏡としての新派団菊以後明治キワモノ歌舞伎 空飛ぶ五代目菊五郎明治人物閑話歌舞伎百年百話明治人のお葬式人と芸談―先駆けた俳優たち幼少時代文化のクリエーターたち―江戸・東京を造った人々九代目団十郎と五代目菊五郎森銑三著作集〈続編 第6巻〉 人物篇〈6〉 歌舞伎学会 編伊原 青々園 著矢内 賢二 著森 銑三 著上村 以和於 著此経 啓助 著馬場 順 著谷崎 潤一郎 著東京人編集室 編小坂井 澄 著森 銑三 著(発行元 歌舞伎学会,雄山閣〔発売〕青蛙房白水社中央公論新社河出書房新社現代書館演劇出版社岩波書店都市出版徳間書店中央公論社 ’09’09’09’07’07’01’99’98’93’93’93発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

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