尾上菊五郎(5代)(読み)おのえ・きくごろう

朝日日本歴史人物事典 「尾上菊五郎(5代)」の解説

尾上菊五郎(5代)

没年:明治36.2.18(1903)
生年:弘化1.6.4(1844.7.18)
幕末明治期の歌舞伎役者俳名梅幸,3代目菊五郎の次女とはの婿12代目市村羽左衛門の次男で,本名は寺島清。嘉永2(1849)年竹松を名乗って初舞台。市村座の座元,役者として13代目市村羽左衛門を継ぎ,4代目家橘を経て,明治1(1868)年5代目菊五郎を襲名。幼少から生世話物名人といわれた4代目市川小団次の指導を,また初代花柳寿輔に日本舞踊の教えを受けた。安政4(1857)年に14歳で演じた河竹黙阿弥作「鼠小紋東君新形」(通称「鼠小僧」)の蜆売三吉や,19歳で演じた文久2(1862)年上演の同「青砥稿花紅彩画」の弁天小僧役が出世芸となる。以後,9代目市川団十郎,初代市川左団次と共に団菊左と並び称され,明治劇壇を代表する3頭目のひとりとして活躍した。特に5代目菊五郎は二枚目の立役,女形技芸に優れ,家の芸として伝承されてきた写実的な演技を生かして,黙阿弥と提携した世話物,特に生世話物に本領を発揮した。 9代目団十郎の活歴物に対抗した散切物(文明開化の時代に即応して,従来の世話物の手法を踏襲しながら新風俗を大胆にとり入れた作品群。丁髷を切った散切り頭の人物が,西欧服装,持ち物などを身につけて登場するところからつけられた名称)を数多く上演した。しかし江戸末期から歌舞伎を愛好してきた観客に皮相な風俗劇は愛好されず,その後は9代目団十郎とともに古典歌舞伎の形式を重んじた様式的な型の完成に積極的に取り組み,優れた業績を残した。また能狂言に材をとった松羽目物の舞踊劇「茨木」「土蜘」なども作り,市川家の「歌舞伎十八番」「新歌舞伎十八番」に対抗して,尾上菊五郎家の「新古演劇十種」を制定した。その写実的な芸風は,大正昭和期歌舞伎を代表する長男の6代目菊五郎,15代目羽左衛門に受け継がれていった。<参考文献>伊原敏郎『明治演劇史』,伊坂梅雪編『五代目菊五郎自伝』

(藤波隆之)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾上菊五郎(5代)」の解説

尾上菊五郎(5代) おのえ-きくごろう

1844-1903 幕末-明治時代の歌舞伎役者。
天保(てんぽう)15年6月4日生まれ。12代市村羽左衛門の次男。13代市村羽左衛門,4代市村家橘(かきつ)をへて,慶応4年5代菊五郎を襲名。9代市川団十郎とともに「団菊」とよばれ,名優として知られた。世話物で写実芸をみせ,家の芸「新古演劇十種」を制定した。明治36年2月18日死去。60歳。江戸出身。本名は寺島清。幼名は市村九郎右衛門。俳名は梅幸。屋号は音羽屋。

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