朝日日本歴史人物事典 「市川団十郎(8代)」の解説
市川団十郎(8代)
生年:文政6.10.5(1823.11.7)
江戸後期の歌舞伎役者。7代目団十郎と妻すみ(芝居茶屋福地善兵衛の娘)の長男。2代目市川新之助,6代目市川海老蔵を経て天保3(1832)年に団十郎を襲名。俳名三升,団栗,白猿など。団十郎家の後継者として期待され,誕生の翌月に舞台に出る。美貌で上品,愛嬌があり,幕末期江戸歌舞伎界では最高の,熱狂的な人気を博した。団十郎家伝来の荒事をはじめ,時代物,世話物ともに広く演じるとともに,容貌風姿を生かした若殿様,若旦那役という類例のない新しい芸境を創りあげた。当たり役では助六,鳴神上人,岡部六弥太,足利光氏,児雷也,向う疵の与三郎,春日屋時次郎などが知られる。江戸追放中の父の無事を祈り,母や家族の面倒をよくみているとして弘化2(1845)年,北町奉行所から親孝行を表彰された。人気絶頂時に大坂で出演直前に自殺。おびただしい種類の死絵および『追善・三升格子』その他の追悼出板物が刊行されている。その死因をめぐってさまざまな説が取沙汰された。杉本苑子『はみだし人間の系譜』など,いくつかの小説に描かれている。<参考文献>川上邦基編『八代目団十郎集』(『演劇文庫』3編)
(池上文男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報