百科事典マイペディア 「東宝[株]」の意味・わかりやすい解説
東宝[株]【とうほう】
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…太平洋戦争敗戦直後のアメリカ軍占領下,東宝映画会社と同社砧(きぬた)撮影所を拠点とする日本映画演劇労働組合(日映演)の間に生じた4度の労働争議をいうが,一般にはこのうち1948年4~10月に争われた第3次争議を指す。争点は,人事に関する同意約款などを含んだ団体協約の改訂,および赤字克服のための人員整理をめぐってであったが,会社側の事実上のねらいは,撮影所に強い影響力をもっていた共産党細胞の排除にあった。…
… 1935年には,極東映画が元東亜キネマの甲陽撮影所で映画製作を始め,大阪古市に白鳥撮影所を設立した(1936)のち,37年,極東キネマとして新発足したが,40年,大宝映画に買収され,同社は41年に映画製作を中止するに至った。
[東宝の設立とトーキーの歩み]
1930年代には,やがて日活,松竹と並ぶ大会社になる東宝が生まれた。東宝成立は日本のトーキー映画の歩みとともにある。…
…32年には松竹蒲田撮影所で初の現代劇《金色夜叉》にも貫一の役で出演している(田中絹代がお宮を演じた)。 37年,松竹を退社して新興会社の東宝の引抜きに応じたため有名な刃傷事件が起こり,暴漢のかみそりにより左頰に傷を負うが,それを機に本名の長谷川一夫を名のり,入江たか子と共演の東宝映画《藤十郎の恋》(1938)で再起。相手役の女優も山田五十鈴(《鶴八鶴次郎》1938,《蛇姫様》1940,《婦系図》1942),李香蘭(山口淑子。…
…横浜生れ。日本映画に〈プロデューサー・システム〉を導入して,東宝の映画事業の基盤をつくり,また日本の〈アート・シアター〉の命名者,創立者としても知られる。 大正の中期から昭和の初期にかけて外国映画の輸入をし,映画評論や脚本を書き,F.モルナールの《リリオム》の翻案といわれる村田実監督《街の手品師》(1925)のシナリオライターとして,創立10年余りをへて新しい知識と才能を求めていた日活に招かれた。…
※「東宝[株]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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