日本歴史地名大系 「浦村」の解説
浦村
うらむら
元弘三年(一三三三)一〇月七日、三浦和田(黒川)茂実は後醍醐天皇より金山・
浦村
うらむら
- 三重県:鳥羽市
- 浦村
志摩半島の北東部にあり、東は
浦村
うらむら
- 宮崎県:えびの市
- 浦村
浦村
うらむら
正保国絵図では高六七九石余。天保郷帳では高九九二石余。来馬組に属した。寛政二年(一七九〇)には家数一七五・人数七〇〇、牛一三六・馬七八、船数八(「来馬組家数人数等相約帳」正井家文書)。
浦村
うらむら
浦村
うらむら
浦村
うらむら
浦村
うらむら
浦村
うらむら
- 新潟県:新発田市
- 浦村
浦村
さかきうらむら
- 高知県:宿毛市
- 浦村
小筑紫港が大きく南に切れ込んだ湾奥にある漁村(浦方)。「栄喜」とも書く(西郡廻見日記)。「土佐州郡志」は「東限小尽浦、西限西泊浦界、南限芳生野沢村、北至海際、東西二里、有港北向、其縦二百五十間・横百四十間、戸凡十四、船数艘、其土黒」と記す。
天正一七年(一五八九)の榊浦地検帳によると検地面積七町二反余、屋敷数一三うち居屋敷九。
浦村
うらむら
浦村
うらむら
浦村
うらむら
浦村
うらむら
浦村
うらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報