海南(市)(読み)かいなん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「海南(市)」の意味・わかりやすい解説

海南(市)
かいなん

和歌山県北西部、紀伊水道に面する市。1934年(昭和9)黒江日方(ひかた)、内海(うつみ)の3町と大野村が合併して市制施行。旧町村が海草郡の南にあることから海南市とした。1955年(昭和30)亀川(かめがわ)、巽(たつみ)、北野上(きたのがみ)、中野上、南野上の5村を編入。2005年(平成17)下津町(しもつちょう)を合併。JR紀勢本線(きのくに線)、国道42号、370号、424号、阪和自動車道が通じる。長峰(ながみね)山脈の北麓(ほくろく)を西流して黒江湾に注ぐ日方川流域と、その東部和田川上流および貴志(きし)川中流、さらに下津湾に注ぐ加茂川流域などを市域とする。古くは春日(かすが)神社のある大野中が中心地で、熊野古道に沿う王子跡が残り、黒江湾の黒牛潟(くろうしがた)や名高(なだか)浦、藤白(ふじしろ)坂などは『万葉集』の歌などによく詠まれている。藤白王子社(現在は藤白神社)は後鳥羽(ごとば)院熊野御幸の際の歌会を書き留めた「熊野懐紙」で知られている。近世には黒江湾に面する日方、黒江の港町に諸国の廻船(かいせん)が集まり、黒江塗や日方の傘などの集散地として繁栄した。黒江塗はいまもあるが、プラスチック素地が多くなり、木地(きじ)職は家具職に転じている。日方の塩田や和傘も衰え、野上地区のシュロ加工を基にした縄、網やほうきたわしなど和雑貨集散地となった。1964年黒江湾を埋め立て、海南港を整備するとともに、電力、化学、石油の近代工場が立地した。下津港は臨海工業地域の中枢として国際拠点港湾「和歌山下津港」に指定されている。また、南部では果樹栽培が盛んで、とくに下津町地区のミカンが知られている。船尾には国指定名勝の琴ノ浦温山(おんざん)荘庭園、県立自然博物館がある。下津町上(しもつちょうかみ)に鎌倉時代の文化財が多い長保寺(大門、本堂、多宝塔は国宝)、梅田に釈迦堂が国宝の善福院がある。面積101.06平方キロメートル、人口4万8369(2020)。

[小池洋一]

『『海南市史』全5巻(1979~2000・海南市)』


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