犬養 毅(読み)イヌカイ ツヨシ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「犬養 毅」の解説

犬養 毅
イヌカイ ツヨシ


肩書
第29代首相,政友会総裁

別名
号=犬養 木堂(イヌカイ ボクドウ)

生年月日
安政2年4月20日(1855年)

出生地
備中国都窪郡庭瀬(岡山県岡山市)

学歴
慶応義塾〔明治13年〕中退

経歴
父は庭瀬藩(岡山)藩士。明治8年上京、15年立憲改進党創立に参加し、「報知新聞」「朝野新聞」で反政府活動に従事。大隈重信参謀として、23年初の総選挙から18回連続して代議士に当選。憲政党憲政本党、立憲国民党総理、政友会ののち、大正11年革新倶楽部の党主となり、護憲運動普選運動を進める。第2次山本内閣の逓信相、13年第1次加藤内閣の逓信相。15年一時引退。昭和4年政友会総裁、6年首相になるが、軍部急進派の青年将校の不興を買い、7年5.15事件で射殺された。尾崎行雄と並んで“憲政の神様”と称される。その一方では、漢詩文や書にも長け、文人としても内外に重んじられた。著書に「木堂先生韻語」がある。

受賞
勲一等旭日桐花大綬章〔昭和7年〕

趣味
刀剣

没年月日
昭和7年5月15日

家族
息子=犬養 健(政治家・小説家) 孫=犬養 道子(評論家) 犬養 康彦(共同通信社長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「犬養 毅」の解説

犬養 毅
イヌカイ ツヨシ

明治〜昭和期の政治家,漢詩人 首相;政友会総裁。



生年
安政2年4月20日(1855年)

没年
昭和7(1932)年5月15日

出生地
備中国都窪郡庭瀬(岡山県岡山市)

別名
号=犬養 木堂(イヌカイ ボクドウ)

学歴〔年〕
慶応義塾〔明治13年〕中退

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日桐花大綬章〔昭和7年〕

経歴
父は庭瀬藩(岡山)藩士。明治8年上京、15年立憲改進党創立に参加し、「報知新聞」「朝野新聞」で反政府活動に従事。大隈重信の参謀として、23年初の総選挙から18回連続して代議士に当選。憲政党、憲政本党、立憲国民党総理、政友会ののち、大正11年革新倶楽部の党主となり、護憲運動、普選運動を進める。第2次山本内閣の逓信相、13年第1次加藤内閣の逓信相。15年一時引退。昭和4年政友会総裁、6年首相になるが、軍部急進派の青年将校の不興を買い、7年5.15事件で射殺された。尾崎行雄と並んで“憲政の神様”と称される。その一方では、漢詩文や書にも長け、文人としても内外に重んじられた。著書に「木堂先生韻語」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「犬養 毅」の解説

犬養 毅 (いぬかい つよし)

生年月日:1855年4月20日
明治時代-昭和時代の政治家。内閣総理大臣
1932年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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