全体があるから個が存在するという論理によって国家利益を優先させる権力思想、国家体制、またそうした体制を実現しようとする運動の総称。歴史的には、とくに1920年代から1940年代中葉にかけて、イタリア、ドイツ、日本などに登場したファシズムの思想をさす。しかし、第二次世界大戦後の「冷戦構造」激化の時代には、米ソが互いの政治体制を非難して(アメリカ側は「スターリン体制」、旧ソ連側は「マッカーシズム」と攻撃)全体主義と呼び合っていた。
[田中 浩]
全体主義は、イタリア、ドイツ、日本などのような後れて資本主義の成立した国々が、欧米の先進諸国に対抗して強力な権威国家の確立を目ざすために国民を指導した政治原理である。これらの国々は、ほとんど植民地をもたず、また経済的基盤が脆弱(ぜいじゃく)であったから、第一次大戦後から世界大恐慌の時期にかけて未曽有(みぞう)の経済的危機に陥った。そこで、伊・独・日3国においては、ファシズム、ナチズム、天皇制ファシズムなどの政治原理によって、独裁制に基づく政治支配を通じて国民的意志統一を図り、国内経済の発展と海外侵略による資源の獲得を追求する政策をとる必要があった。そのような政策を根拠づけた思想原理が全体主義である。もっとも、この全体主義の内容は、伊・独・日3国の間でもかなりの違いがみられるが、ここでは、いくつかの共通点について述べておく。
まず第一には、全体主義は国家の経済に対する全面的な統制・監督を是認する思想として特徴づけることができる。この点では、全体主義は一見、非資本主義的で、社会主義的計画経済と類似しているようにみえるが、似て非なるものである。なぜなら、ここでは、私的企業のイニシアティブは原則として維持されるが、階級闘争は断固として否定され、労資協調による国家の監督・指導の下に生産力を高めるという新しい方式が考案されていたからである。全体主義国家とは、「国家が社会(経済)を飲み尽くすという意味で全体的である」というシュミットのことばは、全体主義の性格を正しく指摘したものといえよう。
全体主義の第二の特徴としては、その偏狭な民族主義的狂信主義があげられる。ムッソリーニが、マルクスの階級理論に対して民族の神話を優位に置き、ローゼンベルクが、国家は民族維持の手段にすぎず、国家は変化するが民族は不変である、と述べているのがその例である。ここから、ナチズム特有の「血の純潔」「血と土」「反ユダヤ主義」などの主張が導き出される。また戦時期日本における「天孫民族」「八紘一宇(はっこういちう)」の思想も民族主義的狂信主義の一種といえよう。
さらに全体主義の第三の特徴としては、反個人主義、反自由主義、反民主主義、反議会主義、反マルクス主義などがあげられる。全体主義国家において人権や自由が抑圧され、政党、労働組合などのすべての政治・社会集団の活動が否定されたのは、それらが強力な国家統一の目的に反するものとみなされたからである。
[田中 浩]
ファシズム国家は、第二次大戦後、地球上からその姿を消した。ファシズムは、その後も全体主義の亡霊として人々の間で語られたが、やがて、米ソの対立激化とともに、全体主義概念やその用語法も変容した。
一つは、資本主義陣営が社会主義国家の政治体制をさして、個人の人権や自由を認めない全体主義国家とよぶ場合である。この攻撃は、1930年代に始まるスターリンの粛清や第20回ソ連共産党大会(1956)におけるフルシチョフのスターリン的官僚主義批判などによって一時期大いにその効果を発揮したが、その後のソ連におけるスターリン主義清算への努力もあって、現在、ファシズム国家と社会主義国家を全体主義として同一視する極端な傾向は影を潜めた。他方、1950年代に入って、アメリカで思想・信条の自由を抑圧したマッカーシズムによる「赤狩り」をさして、社会主義の側からアメリカを全体主義国家と非難する用法もみられた。
このようなきわめてイデオロギッシュな全体主義概念は、第二次大戦直後の米ソ、米中の対立激化のなかで生まれたものであるが、1950年代後半以降の緊張緩和と平和共存論の台頭によって、また1989年の「冷戦終結宣言」以後、相互に敵を攻撃する用語法としてはしだいにその有効性を失いつつある。もっとも、今日においても、自由と民主主義を抑圧する権威主義的支配形態としての全体主義をめぐる問題は十分に解決されたものとはいえない。そうした危険性は、議会制民主主義をたてまえとする資本主義国家や全人民国家を標榜(ひょうぼう)する社会主義国家においても潜在的に存在しているし、アジア・アフリカ・中近東・中南米などの政治的安定を欠き、軍事政権や独裁政権が支配している第三世界の国々においては、いまだに切実な現代的問題であるといえよう。
[田中 浩]
『ハンナ・アーレント著、大久保和郎・大島通義・大島かおり訳『全体主義の起原』全3冊(1972~1974/新装版・1981・みすず書房)』▽『田中浩「全体主義」(『経済学大辞典』Ⅲ所収・1980・東洋経済新報社)』▽『田中浩著『カール・シュミット』(1992・未来社)』
〈個〉に対する〈全体〉(国家,民族,階級など)の優位を徹底的に追求しようとする思想・運動・体制をいう。この言葉の起源は,イタリアのファシズムの最高指導者ムッソリーニが,運動の目標として1924年ころから掲げた〈全体主義国家〉の概念に求められる。〈全体主義〉という表現がファシズムに対する弾劾の言葉として初めて登場したのは,1929年11月2日の《タイムズ》(ロンドン)といわれる。この概念はその後,39年8月の独ソ不可侵条約の成立を経て,イタリアのファシズム,ドイツのナチズムとソビエトのスターリン体制の支配の共通の特質を抽出して告発する言葉となり,40年代初頭には,E.レーデラーの《大衆の国家》(1940),ノイマンSigmund Neumann(1904-62)《恒久の革命》(1942)など全体主義理論の古典的著作が生まれた。第2次大戦後,とりわけ50年代のいわゆる米ソ冷戦期には,〈全体主義〉理論は,〈自由世界〉を擁護して〈共産主義〉を告発する理論として流布し,H.アレントの《全体主義の起源》(1951)やフリードリヒCarl J.Friedrich(1901-84),ブレジンスキーZbigniew K.Brzezinski《全体主義独裁と専制支配》(1956)がその代表的著作として東西のイデオロギー的対抗のなかで大きな影響力を発揮した。
今日まで最も普及している〈全体主義〉のイメージは,フリードリヒの六つの指標を内容とするものである。そこでは,(1)単一の国家公認のイデオロギーの支配,(2)独裁政党による支配,(3)秘密警察によるテロ支配,(4)国家による情報の独占,(5)武器の独占,(6)中央統制経済という六つの特徴をあげ,共産主義体制もファシズム体制と基本的に性格を同じくするものとされる。そしてこの立場からする共産主義もしくは社会主義イメージは,その後ソルジェニーツィンらによる強制収容所体制の暴露や,今なお多くの社会主義国家に見受けられる厳しい情報管理を根拠として,広く定着したままである。しかし他方では,(1)歴史研究の立場から,〈全体主義〉理論が支配体制の一枚岩的性格を強調するあまりに体制内部の亀裂や矛盾を無視してしまったり,さまざまの形で現れる全体主義支配の事実上の限界を十分に認識できなかった行過ぎが指摘されているし,(2)60年代のデタントの時期に流行した〈近代化〉論の立場からは,社会主義国家における〈全体主義〉を後発国型の工業化・近代化の付随現象として位置づけ,さらにはスターリン以後のソビエト体制については,〈全体主義〉体制の弛緩ないし,それからの離脱が始まりつつあるのではないか,という認識も示されている。また,(3)〈全体主義〉理論の復権を目ざすシャピロLeonard Schapiroの《全体主義》(1972)のように理論の部分的修正による再構築をはかろうとするものも出てきている。(4)さらに近年,先進諸国にあらわになった〈管理社会〉的状況もまた,それに歯止めがきかなくなってしまえば新しい〈全体主義〉といえるのではないか,という問題も出されてきている。
執筆者:山口 定
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個人の自由を否定し,国家ないし社会の全体を一元的に支配統制することを原理とする政治思想,もしくは政治形態。絶対主義,専制主義と異なり,近代社会の民主主義に対抗して,特に第一次世界大戦後に現れた。独裁制を採り,民族ないし国家の非合理的美化を行い,対外的には侵略的で,国内的には権力によるいっさいの社会活動の暴力的統制がなされる。ナチズムがその典型とされるが,ファシズムや日本の高度国防国家も全体主義を称した。1930年代から第二次世界大戦時まではこれら3国に限定されていたが,戦後になり,ナチズムと並んでソ連の共産主義体制をも全体主義とみる見方が欧米学界に広がった。
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…しかし,19世紀の後半以降になると,工業化と都市化とにともなって,階級対立の激化,利害の多元化と分極化,さらには大衆社会化の進行などがもたらされ,ひいては議会制の前提となっていた国民の同質性もしだいに失われるようになった。20世紀における議会制の無力化と全体主義の台頭とは,このような事態の深刻化を象徴的に示すものである。全体主義的な政治体制のもとにおいては,政治的・宗教的寛容,さらには思想の自由が脅威にさらされることはいうまでもないが,現代の状況下にあっては,自由主義的な体制についても楽観は許されない。…
…とくにテクノロジーの発達した現代社会においては,治者は大量伝達手段の広範な活用によってあらかじめ世論を操作し,投票や大衆運動の形で表明される民意を容易に操縦しうる。その最も徹底した形が,20世紀前半に現れた全体主義的支配であったことはいうまでもない。 全体主義とは,現実の社会に対立が生じているといないとにかかわらず,人間の思考様式そのものを変えることによって,人々に対立など存在しえない新しい社会に住んでいるのだと信じさせる企てである。…
…経済も個々の企業活動が全体を形づくっているのではあるが,全体としての経済の動きが大きく作用していて,マクロの経済をミクロの経済に還元できないと考えられつつある。しかし,生物が種として生存していることは事実としても,党派や社会や民族や国家に最高の価値が付与され個人はその部分ないし要素に過ぎないとみなされると全体主義totalitarianismになる危険がある。その場合には個人に究極の価値を置く考え方は個人主義であるとして批判されることになる。…
…つまり,ファシズムの支配体制は,第1次大戦とロシア革命と世界恐慌という世界史的条件と,〈上からの近代化〉の道を歩むなかで矛盾をため込んだ後発諸国との出会いの所産であったと考えられる。 ファシズムの支配体制については,通常,強力なファシズム運動が政権を掌握して,カリスマ的指導者による個人独裁,一つの党,一つのイデオロギーによる全体主義支配が樹立されるものと考えられている。しかし,今日では,そうした全体主義支配はファシストの夢ではあっても,必ずしも十分には実現されなかったことが明らかにされてきている。…
※「全体主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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