戦後派文学にまつわる最大の同人雑誌。1946年(昭和21)1月創刊。数回の休刊を挟み、64年8月終刊。全185冊。創刊時点の同人は本多秋五(ほんだしゅうご)、平野謙(けん)、山室静(やまむろしずか)、埴谷雄高(はにやゆたか)、荒正人(あらまさひと)、佐々木基一(きいち)、小田切秀雄(おだぎりひでお)の7人。いずれもプロレタリア文学運動の最末期のなかで青春期を体験。その運動の挫折(ざせつ)、転向の状況を目撃し、戦時下の「暗い谷間」の心理的圧迫に耐えつつ、友情を深め、『批評』『構想』『現代文学』などの同人雑誌に拠(よ)り、第二次世界大戦の敗戦をまって一挙に蓄積したエネルギーの火を点火した。歴史を展望しながら、政治に対する文学の自律を宣言した本多の『芸術 歴史 人間』が創刊号の巻頭論文。平野の島崎藤村(とうそん)の『新生』論、埴谷の『死霊(しれい)』などを掲載。続いて荒の『第二の青春』、佐々木の『個性復興』などを刊行。中野重治(しげはる)との間に「政治と文学」論争を勃発(ぼっぱつ)させた。野間宏(ひろし)や椎名麟三(しいなりんぞう)らの仕事をいち早く評価、ついで二度にわたって同人を拡大し、花田清輝(きよてる)、平田次三郎、野間宏、福永武彦、加藤周一、中村真一郎、安部公房(こうぼう)、武田泰淳(たいじゅん)、原民喜(たみき)らが参加、戦後派の拠点とみなされるようになったが、同人の間での意見も分かれ、やがて最初の同人に復した。のちには新進評論家や小川国夫、辻邦生(つじくにお)、立原正秋(たちはらまさあき)ら新人に発表の場を与えた。島崎藤村や北村透谷(とうこく)らの『文学界』、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)や志賀直哉(しがなおや)らの『白樺(しらかば)』に匹敵する同人雑誌の雄。日本近代文学館刊の復刻版(120冊、1981~82)がある。
[紅野敏郎]
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戦後の文芸雑誌。1946年1月創刊,64年8月終刊。通巻185冊。近代文学社発行。本多秋五,平野謙,山室静,埴谷雄高,荒正人,佐々木基一,小田切秀雄により創刊された。敗退期のマルクス主義文学運動と戦時下の重圧を体験した同人たち共通の発想が,戦後出発の独自性となる。〈政治〉からの文学の自律とエゴイズムを拡充した高次のヒューマニズムを唱え,マルクス主義文学運動批判を展開,世代論,主体性論,戦争責任論,転向論などにわたり戦後の文学思想のテーマ設定者となる。2度の同人拡大により野間宏ら30名を擁する〈戦後文学〉の一大勢力となるが,57年の拡大同人解散前後から新進に舞台を提供し18年の歴史を閉じた。この間の主要作には本多秋五《芸術 歴史 人間》,平野謙《島崎藤村--〈新生〉覚え書》,荒正人《第二の青春》,埴谷雄高《死霊》,野間宏《青年の環》,原民喜《壊滅の序曲》,安部公房《壁》,遠藤周作《白い人》,奥野健男《太宰治論》ほかがある。
→戦後文学
執筆者:中山 和子
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…1945年の日本の敗戦の結果,連合軍の占領下におかれたとはいえ表現の自由は戦中よりも著しく増大し,まず既成作家の復活が正宗白鳥,永井荷風,川端康成らの作品発表としてあらわれ,それより下の世代では昭和10年代作家の活動が坂口安吾,太宰治ら〈無頼(ぶらい)派〉の作品および高見順,伊藤整らの内省にみちた再出発としてあらわれた。しかし文学運動として注目されたのは,戦前のプロレタリア文学を継承する雑誌《新日本文学》を創刊した中野重治,佐多稲子,蔵原惟人らの活動,およびその運動を内在的に批判しながら個人の自由な開花をめざした《近代文学》派の批評活動であった。荒正人,平野謙らを含む後者は戦後の新文学を生みだす基盤をつくり,やがて野間宏,椎名麟三,武田泰淳らの登場をうながした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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