デジタル大辞泉
「馬耳東風」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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ばじ‐とうふう【馬耳東風】
- 〘 名詞 〙 ( 馬の耳に東風が吹いても感じないという意から ) 人の意見や批評などを心にとめないで、聞き流すこと。他人のことばに耳をかさないこと。ばにとうふう。ばじふう。ばにふう。
- [初出の実例]「選挙人の過半は馬耳東風で、少しも感覚なく」(出典:雪中梅(1886)〈末広鉄腸〉下)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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馬耳東風
馬の耳は東風が吹いても感じないということから、人の言うことに耳をかさないで、聞き流すこと。
[使用例] 自分は、どういうものか、女の身の上噺というものには、少しも興味を持てないたちで、それは女の語り方の下手なせいか、つまり、話の重点の置き方を間違っているせいなのか、とにかく、自分には、つねに、馬耳東風なのでありました[太宰治*人間失格|1948]
[使用例] この齢になってそんな氏素性のわからないものに乱心遊ばすなんて、私たちまで外聞が悪くって仕様がないわ、などと口をきわめて攻撃したものである。しかし昌方は馬耳東風で妾宅通いを続けた[舟橋聖一*好きな女の胸飾り|1967]
[解説] 唐代の詩人・李白の詩(「答王十二寒夜独酌有懐」)が原典といわれます。世間の人は詩を理解しない、「東風の馬耳を射るがごとし」(=東風が馬の耳をなでるようだ)というのです。「東風」は春風のこと。中国の五行説で、方角の東は季節の春に当たるからです。
元の時代の蕭士贇という学者によれば、この詩はでたらめで、李白の作ではないといいます。だとしても、遅くとも宋の時代にはあった詩です。
また、宋代の詩人・蘇軾の詩(「和何長官六言次韻」)にも「馬耳東風」が出てきます。自然の美しさを街の人に説いてもわかってもらえない、「何ぞ馬耳東風に殊ならん」(=ほとんど馬耳東風だ)と嘆いています。蘇軾の書きぶりから見て、この詩よりも前に「馬耳東風」ということばはあったようです。
日本では「馬の耳に風」と言い、さらに「馬の耳に念仏」の形を派生しました。四字熟語が日本のことわざのルーツになっている例です。「どこ吹く風」も似た意味の慣用句です。
出典 四字熟語を知る辞典四字熟語を知る辞典について 情報
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馬耳東風
馬の耳に東風が吹いても馬は何も感じないように、人の意見や批評などに心もとめず、聞き流してしまうこと。何を言ってやっても少しもききめのないことのたとえ。
[使用例] 芳子が寒いといおうが、暑いといおうが〈略〉馬耳東風になった[今日出海*天皇の帽子|1950]
出典 ことわざを知る辞典ことわざを知る辞典について 情報
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馬耳東風
馬の耳に東風。馬の耳元を風が吹きすぎでもするように、人の話をまともに聞こうとしないこと。
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
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