東風(読み)コチ

デジタル大辞泉 「東風」の意味・読み・例文・類語

こち【東風】

東の方から吹いてくる風。ひがしかぜ 春》「―吹くや山一ぱいの雲の影/漱石
[類語]春一番春風しゅんぷう春風はるかぜ花嵐薫風風薫る緑風やませ涼風すずかぜ涼風りょうふう秋風野分き木枯らし空風寒風季節風モンスーン貿易風東風ひがしかぜ西風偏西風南風みなみかぜ南風はえ凱風北風朔風雨風波風風浪風雪風雨無風微風そよ風軟風強風突風烈風疾風はやて大風颶風暴風爆風ストーム台風ハリケーンサイクロン神風砂嵐つむじ風旋風竜巻トルネード追い風順風向かい風逆風横風朝風夕風夜風松風まつかぜ松風しょうふう山風山颪谷風川風浜風潮風海風陸風熱風温風冷風

あゆ【東風】

あいのかぜ」に同じ。
英遠あをの浦に寄する白波いや増しに立ちしき寄せ来―をいたみかも」〈・四〇九三〉

こち‐かぜ【東風】

こち(東風)」に同じ。

とう‐ふう【東風】

東から吹いてくる風。ひがしかぜ。春風。こち。

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精選版 日本国語大辞典 「東風」の意味・読み・例文・類語

こち【東風】

〘名〙 東の方から吹いて来る風。特に、春に吹く東の風をいう。ひがしかぜ。こちかぜ。《季・春》
拾遺(1005‐07頃か)雑春・一〇〇六「こち吹かばにほひおこせよ梅花あるじなしとて春を忘るな〈菅原道真〉」
[語誌](1)上代には確例はない。中古には、「散りきてもとひぞしてまし言の葉をこちはさばかり吹きしたよりに」〔蜻蛉‐上〕のように秋の風とする例もある。「塵袋‐一」の「春は東より来れば、東風ははるかせ也」と、五行説を背景とした説明を参酌すれば、春の風に定着したのは、中世からであろう。
(2)挙例の道真の和歌は、「大鏡‐二」では、筑紫下向直前の逸話だが、のちに、この和歌をもとに飛梅説話が成立した。

とう‐ふう【東風】

〘名〙
① 東の方から吹いて来る風。ひがしかぜ。こち。
菅家文草(900頃)三・宿舟中「寄宿孤舟上、東風不便行」
② 特に、春に東から吹く風。はるかぜ。春の風。
文華秀麗集(818)中・奉和折楊柳〈巨勢識人〉「楊柳東風序、千条揺颺時」 〔礼記月令

あゆ【東風】

〘名〙 東の風。あゆのかぜ。とうふう。こち。
万葉(8C後)一八・四〇九三「英遠(あを)の浦に寄する白波いや増しに立ち重(し)き寄せ来(く)安由(アユ)をいたみかも」

こち‐かぜ【東風】

〘名〙 =こち(東風)《季・春》
貫之集(945頃)一〇「こち風にこほりとけなばうぐひすのたかきにうつる声をつげなん」

ひがし‐ふう【東風】

〘名〙 義太夫節語り口名称道頓堀東側にあった豊竹座の始祖豊竹若太夫曲風で、はなやかさが特徴。→にしふう(西風)

ひがし‐かぜ【東風】

〘名〙 東の方から吹いてくる風。こち。ひがし。〔書言字考節用集(1717)〕

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普及版 字通 「東風」の読み・字形・画数・意味

【東風】とうふう

東の風。春の風。明・方孝孺〔次韻写懐~十七首、十四〕我と東風と、と爲らん 太の春に却せしむるにびんや 一觴一咏、佳景に酬ゆ 也(ま)た未だ他の世上の人に(ゆづ)らず

字通「東」の項目を見る

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東風」の意味・わかりやすい解説

東風
ひがしふう

義太夫節豊竹座の芸風をいう。座祖豊竹若太夫はすべての切場を語っていたことから,その芸風がおのずから豊竹座の芸風となった。呼称は同座が道頓堀の東寄りにあったことに由来する。若太夫は天性の美しい声と華麗な節回しで女性の描写にすぐれていただけでなく,男性の豪快な表現もよくしたことから,全体に派手で音楽的な表現を得意とする。竹本座に対抗して互いに興隆し,人形浄瑠璃の黄金期を築いた。今日まで東風の曲として伝承されるものに『嬢 (むすめ) 景清八島日記』の3段目切「日向島」,『和田合戦女舞鶴』の3段目切「市若切腹」,『苅萱桑門筑紫 (かるかやどうしんつくしのいえづと) 』の3段目切「守官酒」などがある。また,愁嘆が最高潮に達したときに用いられる「大オトシ」という曲節は東風の曲に限って用いられる。

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とっさの日本語便利帳 「東風」の解説

東風

東から吹いてくる風、特に春に吹く東風。しばしば悪天の前兆となる。

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世界大百科事典(旧版)内の東風の言及

【風】より

…図11は地球上の平均風系の粗い模型である。赤道付近には赤道無風帯があり,それより高緯度側に偏東風のいわゆる貿易風帯があり,それより高緯度側に中緯度高圧帯があり,さらに高緯度側に偏西風帯がある。それより高緯度側に高緯度低圧帯があり,極のまわりは極東風帯となっている。…

【豊竹若太夫】より

…45年(延享2)65歳で引退し,84歳の高齢で没。美音にめぐまれ,音楽性の強いはなやかな芸風は〈東風〉と称する豊竹座の様式をうみ,作者に紀海音(きのかいおん)を擁して,竹本座と対抗して人気を二分した。一代の当り芸は2年ごしの興行で豊竹座の名声と財政を盤石たらしめた《北条時頼記》(1726初演)など。…

【人形浄瑠璃】より

…竹本座の座頭2世義太夫(竹本政太夫,播磨少掾)は質実剛健な語り口(西風と呼ぶ。音階的には陰旋法)で男性を語るに適し,初世豊竹若太夫は花やかな語り口(東風,陽旋法)で女性の表現に適していた(近石泰秋《操浄瑠璃の研究》参照)。 この期を代表する作者は並木宗輔(千柳)である。…

【義太夫節】より

…太夫はそれぞれ竹本,豊竹姓を名のるのみならず,それぞれに共通した様式のもとに結束を固めていた。こうした流派様式を,竹本座は西風(にしふう),豊竹座は東風(ひがしふう)とよんだ。西風は地味で写実的で劇的表現にすぐれ,東風ははなやかで旋律的表現にすぐれていた。…

【浄瑠璃】より

…98年(元禄11)筑後掾受領,1705年(宝永2)11月の《用明天王職人鑑》以後,竹田出雲(座本),近松門左衛門(作者),辰松八郎兵衛(人形),竹沢権右衛門(三味線)を擁し活躍した。その没後は竹本政太夫(《吉備津彦神社史料》《熊野年代記》に筑後掾悴義太夫の名があり,政太夫は2世義太夫とされてきたが3世か)が近松作品を深く語り分け,豊竹座の若太夫(豊竹若太夫,越前少掾)も紀海音の義理にからむ作風を巧みに観客の時代感覚に訴えて,西風(竹本),東風(豊竹)が競演し,浄瑠璃の近世意識が最高に発揮された。 享保(1716‐36)後半からの人形機巧の発達,舞台装置の発達は浄瑠璃の脚本化,舞台装置の歌舞伎化を招く。…

【風】より

…【堀 信夫】
[義太夫節]
 義太夫節の様式を示す〈風〉には,座の風と太夫個人の風とがある。座の風とは竹本座豊竹座の様式で,竹本座を西風,豊竹座を東風と称する。両者は基本的芸術理念,音階,旋律法,旋律型,三味線の音色や奏法などに相違がみられる。…

※「東風」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」