慶尚道(読み)けいしょうどう(英語表記)Kyǒngsang-do

精選版 日本国語大辞典 「慶尚道」の意味・読み・例文・類語

けいしょう‐どう ケイシャウダウ【慶尚道】

高麗(こうらい)李氏朝鮮ころ朝鮮半島の南東部に置かれた道。北西部に太白山脈が、西境小白山脈が走り、洛東江が貫流する。古代辰韓の地で、慶州には新羅首都が置かれていた。韓国併合後に南北二つの道に分けられた。

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改訂新版 世界大百科事典 「慶尚道」の意味・わかりやすい解説

慶尚道 (けいしょうどう)
Kyǒngsang-do

朝鮮半島の南東部の地方。朝鮮八道の一つで嶺南地方とも呼ばれる。現在,韓国の行政区分上,慶尚南道と慶尚北道大邱広域市,釜山広域市,蔚山広域市に五分されている。人口は慶尚北道(道庁所在地は大邱)261万,慶尚南道(道庁所在地は昌原)306万,大邱市247万,釜山市352万,蔚山市105万(いずれも2005)にのぼり,5地域合計の人口は韓国全人口の27%をこえる。

北および西を1000m級の小白山脈がさえぎり,東部には脊梁太白山脈が幅広く走っている。南は海岸線の複雑なリアス海岸となっており,前面海上には巨済島,南海島など大小多数の島が浮かぶ。太白山脈の東側の狭い地域を除く本道のほとんどが北端の太白山に発し,ゆるやかに南流する洛東江流域となっている。洛東江は多数の支流に沿って,安東金泉,大邱,晋州など大小の盆地平野を発達させ,河口部には沖積平野の金海平野を形成している。日本海に面する東海岸は山脈が海岸近くまで迫り,浦項蔚山(うるさん)を除くと狭い海岸平野しかみられない。年平均気温は14℃あり,1月は0℃前後と北部地方に比べ温和であるが,夏には内陸盆地において35℃をこすこともまれでない。とくに大邱は1942年に40℃を記録し,朝鮮の暑極とされている。

古代三国の一つ新羅は本道中東部の慶州に発し,本道の地域を根拠地として隆盛して676年朝鮮半島最初の統一王朝を樹立した。高麗王朝中期の11世紀ころ五道制がしかれ,ほぼ本道の領域に慶尚道が設置された。李朝時代初に今日の慶尚道の区域が確定され,李朝時代末の1896年に南・北道に分割され,南北の道庁所在地がおのおの晋州,大邱に置かれた。李朝時代,本道の山間地に,儒教の教育機関である書院が設立され,その出身者が派閥を形成し,中央で政権をめぐって激しく争い,士禍党争を頻発させた。以来,慶尚道は保守的でありながらも権力志向的な風土をもつとされている。

洛東流域の盆地や下流の金海平野は朝鮮有数の水田地帯だが,近年まで人工灌漑が普及せず,干水害の常襲地帯だった。1970年代に入り,安東ダム,陝川ダムなどによって多目的の大規模貯水池が建設され,水利条件が改善されている。役牛・肉牛用の朝鮮牛飼育が盛んで,金泉,大邱の牛市場は全国的に有名である。大邱を中心とする一帯はリンゴ,昌寧はトウガラシの全国の市価を左右する主産地であり,豊基は朝鮮半島南部の朝鮮人参の特産地となっている。太白・小白両山地では各種の薬草が採集され,大邱で全国一の薬草市が開かれる。日本植民地時代から大邱,釜山を中心に食品,繊維などの軽工業がかなり発達してきたが,朝鮮戦争後には被災を免れた唯一の工業地帯として,砂糖,綿・毛織物工業,合板工業など衣食住に直接関連する諸工業が多数建設された。とくに大邱は繊維関係の工場が集中し,韓国第一の繊維産業地帯に成長した。1960年代以降の工業化過程にあっては,蔚山,馬山,浦項,昌原など本道の沿岸各地に大規模な工業団地が形成された。また内陸の亀尾には電子,繊維を中心とする輸出工業団地が設立された。こうして本道は今日,ソウル,仁川を中心とする京仁地域につぐ韓国の工業地帯となっており,浦項,蔚山,釜山,馬山などが国際貿易港として発展している。
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