さいたま(市)(読み)さいたま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「さいたま(市)」の意味・わかりやすい解説

さいたま(市)
さいたま

埼玉県南東部の市で、県庁所在都市。政令指定都市。2001年(平成13)浦和市、大宮市、与野市(よのし)が合併して成立。県庁所在地の旧浦和市、鉄道中心地として発達した旧大宮市、両市に囲まれた存在であった住宅・工業都市の旧与野市の3市は、それぞれJR東北本線に沿って北西―南東方向に連接して市街地を発達させ、一体的な生活圏を形成して県の行政、経済、文化の中心地をなしてきた。1984年(昭和59)旧国鉄(現、JR)大宮操車場が廃止されたのを契機跡地の再開発が計画され、1986年首都機能補完を目的とする業務核都市に浦和・大宮地域が指定されたのを受け、操車場周辺民有地・公有地を含めて47.4ヘクタールの「さいたま新都心」開発が始まった。1990年代に入って本格的に工事が進み、2000年5月まち開きが行われ、スポーツ・文化・商業などの総合施設「さいたまスーパーアリーナ」を中核とする業務用高層ビル街となり、新築の合同庁舎には首都圏の広域行政などを営む国の機関が多数移転、JRさいたま新都心駅も開業した。こうした動きを背景に旧3市域を中心とする広域行政の需要が高まり、合併によるさいたま市誕生に至ったものである。この合併で新市域は面積168.33平方キロメートルとなり、人口は100万を超えた。旧浦和市役所はさいたま市役所に変更された。2003年政令指定都市に移行し、西、北、大宮、見沼(以上、旧大宮市域。ただし大宮区の一部を除く)、中央(旧与野市域および新都心)、桜、浦和、南、緑(以上、旧浦和市域)の9区が設けられた。2005年岩槻市(いわつきし)を編入し、岩槻区を設ける。

 JR東北・上越新幹線をはじめ、東北本線(宇都宮線)・高崎線、埼京線・川越線、武蔵野線、京浜東北線の各在来線のほか、東武野田線が通じ、2001年には埼玉高速鉄道が開通して営団地下鉄(現、東京地下鉄)南北線に乗り入れ、都心との交通はさらに至便となった。そのほか大宮から伊奈町の内宿まで埼玉新都市交通(ニューシャトル)が通じている。東北自動車道浦和、岩槻インターチェンジがあり、首都高速道路埼玉大宮線、東京外環自動車道、国道16号、17号、同新大宮バイパス、122号、298号、463号が通じる。

 旧市域の西縁は荒川、東縁は綾瀬(あやせ)川で限られ、間を芝川など数条の水路が南流し、おおむね低平であるが、北部から中央部にかけて大宮台地、足立(あだち)台地が占める。岩槻区は岩槻台地と元荒川、綾瀬川などの沖積低地からなる。都市化が著しく農業は衰退しているが、野菜、植木などの都市近郊型農業が営まれ、北区には盆栽業者が移住してできた盆栽村がある。旧浦和市、旧大宮市は中山道(なかせんどう)の、旧与野市は中山道脇往還(わきおうかん)の、また緑区の大門(だいもん)は日光御成(おなり)街道の宿場町として発達し、鉄道開通後に工業が立地、第二次世界大戦後は東京のベッドタウンとして住宅地化が進展した。食品、印刷、情報関連、自動車関連などの工業が立地する。桜区大久保には国立埼玉大学、緑区美園には埼玉スタジアム2002がある。大宮区の氷川神社(ひかわじんじゃ)は平安時代から名がみえる古社で、8月の例大祭、12月の大湯祭はにぎわう。大門に残る本陣表門は県史跡。緑区の見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)は閘門(こうもん)式運河の遺構で国史跡(1982年指定)。田島ヶ原のサクラソウ自生地は特別天然記念物(1952年指定)。面積217.43平方キロメートル、人口132万4025(2020)。

[編集部]

『『さいたま市史料叢書』全6冊(2002~2007・さいたま市)』


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