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イスラム文化 イスラムぶんか

百科事典マイペディアの解説

イスラム文化【イスラムぶんか】

18世紀ごろまでのイスラム帝国内の文化的所産の総称。アラビア語イスラムを基調とするが,イスラム帝国の世界的性格を反映して,キリスト教,ユダヤ教,ゾロアスター教などの各宗教と,ペルシア人,トルコ人,ギリシア人などの知的活動も含まれる。
→関連項目テル・サラサート

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

イスラム文化
いすらむぶんか

イスラム文化は7世紀にアラビアで発展の緒につき、アラブの大征服によって他地域の文化に接触すると、それらを取り入れてしだいに変化し、発展してきた。しかし、どこまでも、イスラム教の精神と、聖典コーランの用語であるアラビア語とが二つの根本的要素であることは変わらなかった。発展を遂げたイスラム文化には統一性と多様性との2性格が目につくというのも、このような発展過程をたどってきたためであろう。[前嶋信次・杉田英明]

諸文化の摂取時代

古いアラビアの伝統文化をもって半島から進出し、シリアやエジプトを征服したムスリム・アラブの人々は、古くからそれらの地域を支配していたビザンティン帝国の文化と接触した。ウマイヤ朝時代(661~750)はシリアが政治の中心となったから、この時代に早くもギリシア系統の学問や工芸を受け入れ、総合的なイスラム文化がまず発達し始めた。アッバース朝時代(750~1258)となって、政治の中心がイラクに移ると、長年その地方を支配してきたペルシア系の制度、文化が盛んに取り入れられた。またアラビア語を学んで多分にアラブ化したペルシア人のなかから各方面で頭角を現す者が輩出し、イスラム文化の発展に寄与するところが大きかった。
 一方、ギリシアの古典類の研究や、その翻訳事業もますます盛んとなり、9世紀はその最高潮の時代であった。とくに第7代カリフのマームーンの時代は、都バグダードに建てられた「知恵の家」(バイト・アルヒクマ)を中心にギリシア語古典の翻訳が盛んであったが、それらは、哲学、天文学、数学、医学、地理学などをおもな分野とし、文学作品の翻訳はほとんど行われなかった。この事業にはシリア人、ことにネストリウス派のキリスト教徒の貢献が著しく、一度シリア語に訳されたものから、アラビア語に訳されることも多かった。文学関係では、ササン朝時代の中世ペルシア語からの翻訳にもっともみるべきものが多い。アラビア語散文の発展に功績の著しかったイブヌル・ムカッファーの『カリーラとディムナ』(動物寓話(ぐうわ)集)その他が代表的なものであり、『アラビアン・ナイト』(『千夜一夜物語』)の母体である『千物語』(『ハザール・アフサーナ』)なども中世ペルシア語から、9世紀中にアラビア語に訳されていた。また、サンスクリット語によるインドの天文学、医学その他の文献も早く8世紀後半からアラビア語に訳され始めた。アッバース朝の初めから第5代のハールーン・アッラシードの時代にかけて、歴代のワジール(宰相)を出していた中央アジア出身のバルマク家は、インド医学やイラン文化を取り入れることに中心となって活動した。また、アッバース朝の初期から、中国の製紙の技術が中央アジアを経てイスラム世界に広まったが、絵画や織物などの面でも、中国から若干の影響があった形跡がある。中央アジアを経て仏教思想もイスラム世界にある程度まで伝わったことが認められている。
 このように外来文化の摂取が流行した時代は、ムゥタジラ派という合理主義を重んずるイスラム神学の一派が勢力を張った時代とほぼ一致し、カリフのマームーンはその学派の保護者として有名であった。[前嶋信次・杉田英明]

黄金時代

第10代のカリフ、ムタワッキルal-Mutawakkil(822―861/在位847~861)は、ムゥタジラ派を抑え、アッバース朝の政策は保守、反動の方向に傾いたが、自由探求の精神は異端派たるシーア派のなかに活路を求めた。アッバース朝はその後、衰微の一途をたどり、10世紀に入ると、イスラム世界の統治者とは名義のみで、実際はイラクの一部分に対して実権をもつばかりとなった。しかし、イランにはブワイフ朝、イラク北部とシリアにはハムダーン朝、エジプト、シリア南部、アラビアの一部にはファーティマ朝という三つのシーア派政権が並び立ち、10世紀を中心に11世紀初期にかけて、イスラム文化の黄金時代を現出した。すでに翻訳時代を脱し、イスラム世界独自の諸科学、哲学が打ち立てられ、各方面で世界一流の学者たちが不朽の生命をもつ著作を世に送り出しつつあった。歴史学のタバリー、マスウーディー、医学のラージーやイブン・シーナー、哲学のキンディーやファーラービー、そのほか、単にイスラム世界のみでなく、世界の学術史を飾る人々が枚挙にいとまのないほどに現れている。たとえば、中央アジアのブハラの近くで生まれたイラン系のイブン・シーナーはギリシアの流れをくむ医学、哲学その他諸学で最高峰と目され、哲学方面の著書46種以上、医学書44種、天文学その他の科学書81種を残した。ことに『(魂の)治癒の書』という哲学全書は、イスラム世界のみでなくヨーロッパの学界にも大きな影響を与え、『医学の基準』という医学全書は12世紀にラテン語に訳されてから、17世紀ごろまでヨーロッパの各大学で医学を学ぶ者の文字どおり基準となった。ひとり哲学、科学方面のみでなく純文学の面でも、散文、韻文ともに多くの文学者が無数の傑作を生んで今日に至っているが、日本にはまだ十分に紹介されていない。このような知的活動は11世紀に入っても衰えなかったが、セルジューク・トルコの西アジア征服に始まるトルコ人やモンゴル人の支配時代に入ると、イスラム文化はようやく保守、停滞の時代に移る傾向を示した。
 イスラム文化の高潮期に生きたフワーリズミーAb‘Abd allh Muammad ibn Amad al-Khwrizm(10世紀)は『諸学の鍵(かぎ)』という著書のなかで、当時の学問をシャリーア(イスラムの道または法)の諸学とアジャム(異国)の諸学とに2大別し、イスラム法学、神学、アラビア語文法学、書記学、詩学、歴史学などを前者のおもな学問とし、医学、天文学、数学、動物学、地理学、音楽、倫理学、家政学、政治学などを後者に入れている。社会的にはイスラム諸学が優位を占めたけれども、12世紀以来、盛んにヨーロッパに取り入れられ、近代の科学、技術の発達に計り尽くせぬ貢献をしたのは、別にアラビア哲学、アラビア科学ともよばれる後者のほうが主であった。[前嶋信次・杉田英明]

東西の二つのイスラム世界――マシュレクとマグレブ

日の昇るところを意味するマシュレクはエジプト以東のイスラム世界をさし、日の沈むところを意味するマグレブということばで北アフリカ以西をよぶようになった。バグダードに都するアッバース朝に対し、スペインのコルドバを都とする後(こう)ウマイヤ朝が8世紀後半から興り、10世紀に入ると英主アブドゥル・ラフマーン3世の下に全盛期を迎えた。その死後も嗣子(しし)ハカムal-akam2世(915―976/在位961~976)の下で繁栄し、そのあとは宰相マンスールがよくこの王朝の権威を維持して1002年のその死のときにまで及んだ。これら3人はみな学問、芸術の保護奨励に努めたから、それまでは、東方イスラム世界に学ぶ一方のごとくみえた西方イスラム世界からも、一流の学者、文人、芸術家が輩出するようになり、コルドバは西ヨーロッパ最大の都市となり、その文化もまた最高のものとなった。ハカムは史上でもまれにみる好学の君主で、宮殿内の書庫には40万巻に達する文献が集められ、それらを熟読することをなによりの楽しみとしていたといわれている。
 909年ごろからチュニジアに興り、969年にエジプトとシリアを征服し、カイロ城を築いて首都としたファーティマ朝も、好学の気風が旺盛(おうせい)で、カリフ、ムイッズal-Mu‘izz(931―975/在位953~975)のときには40の書庫をもつ図書館がカイロにつくられたが、ギリシアの諸科学の文献のみで1万8000部もあったという。またその孫ハーキムal-Hkim(985―1021/在位996~1021)が在位中の1005年に同じくカイロにつくったダール・アルヒクマ(知恵の館)も閲覧室、講義室を備えた図書館で、学者たちは年金を受けて研究に没頭することができたという。
 コルドバの後ウマイヤ朝は1031年に滅び、そのあと政治的には混乱したが、文化的には百花相競う趣のあった小王朝分立時代が続いた。しかし1086年以後、イベリア南部はモロッコ地方に興ったベルベル人のムラービト朝、次いでムワッヒド朝の支配下に置かれた。これらは厳格なスンニー派の信奉者たちであった。またファーティマ朝は1171年にはスンニー派のアイユーブ朝にとってかわられた。1055年にはブワイフ朝にかわってセルジューク朝がバグダードに入って実権を握り、スンニー派の保護政策をとった。こうしてイスラム文化は東西両世界とも大幅な変化を示すことになった。[前嶋信次・杉田英明]

新時代の担い手

11世紀中ごろから13世紀中にかけては、その前の黄金時代ほどの輝きこそないが、イスラム文化はまだかなりの活気を維持していたという点から、イギリスのハミルトン・ギブHamilton Alexander Rosskeen Gibb(1895―1971)のごとく、これを「白銀時代」とよぶ人々もある。この時代にはマドラサとよばれるイスラム諸学の大学が各地に建てられ、それらの出身者たちは社会の中堅たるウラマー階級をつくり、絶大な勢力をもつようになった。セルジューク朝の宰相ニザーム・アルムルクがバグダードその他に建てたニザーミーヤ学院はもっとも有名であり、またファーティマ朝がカイロにつくったアズハルのモスクに付設されたマドラサは現存する世界最古の大学で、イスラム諸学の一大中心として知られている。
 イスラム神秘主義といわれるタサッウフ(スーフィズム)は9世紀ごろから盛大となり、12世紀以後は多くのタリーカ(スーフィー僧団)が発達し、またこの派の人々による優れた詩編なども、イスラム文化に光彩を添えている。13世紀後半から15世紀にかけては、一般には文化活動は萎縮(いしゅく)したが、シリアのイブン・タイミーヤ、チュニジアのイブン・ハルドゥーンなどの大物を散発的に出している。16世紀にはトルコ人のオスマン帝国、イラン人のサファビー朝、モンゴル・トルコ系のムガル帝国などが栄え、イスラム文化は全般的には第二の全盛期を迎えたといえるが、アラブ人などは400年間に近い衰微時代に入っていた。[前嶋信次・杉田英明]

近現代の諸相

18世紀を通じてイスラム諸国家の衰退が進み、ヨーロッパ勢力の圧倒的な影響下に置かれ始めると、イスラム世界の人々は近代化の問題といやおうなく直面せざるをえなくなった。新たなヨーロッパ文化の流入に伴って、伝統的なイスラム文化が変容を遂げていったのは当然である。
 新知識普及の土台となったのは、ヨーロッパから導入されたアラビア文字による活版印刷の技術である。イスタンブールでは早くも1727年に、またアラブ・イラン世界ではともに19世紀初頭に、カイロやテヘランに印刷所が設立された。石版印刷術もこれと並行して、19世紀前半には移入されている。それらをもとに19世紀なかば以降、各地で新聞・雑誌が創刊され、出版が開始され、知識人による思想や意見の表明・伝達の場が確保された。他方、伝統的なマドラサに対し、ヨーロッパ近代の学校制度を模範とした洋式学校も18世紀以降、政府や個人によって設置され、ヨーロッパ人教師の招聘(しょうへい)や留学生の派遣も行われるようになった。洋式の美術学校や音楽院の活動も各地で始まった。
 諸芸術のなかで、旧来の伝統を比較的よく保持し続けた分野は音楽と書道であろう。もっとも、音楽ではエジプトのムハンマド・アブドゥルワッハーブMuammad‘Abd al-Wahhb(1910ごろ―1991)らの近代歌謡のように、西洋音楽の楽器や手法を取り入れて革新を図った例があり、書道は第二次世界大戦後、現代美術との融合による新たな展開をみせている。これに対し、文学においては19世紀後半以降、小説がヨーロッパ諸語からアラビア語・ペルシア語・トルコ語などに翻訳され始め、模倣から創作へと発展を遂げて、やがて詩にかわるもっとも重要な文学範疇(はんちゅう)となるに至る。エジプトのナジーブ・マフフーズやイランのヘダーヤト、トルコのヤシャル・ケマル(1922/1923―2015)らはその代表的作家である。詩に関しては、韻律や脚韻を伴った伝統的・古典的な作品と並行して、ヨーロッパの影響を受けた新たな自由詩・散文詩・無韻詩も多くつくられるようになった。
 美術の領域では、18世紀以降、伝統的な装飾絵画にかわってフレスコ画や油絵、あるいは彫刻の技術が導入されている。オスマン朝の画家・建築家オスマン・ハムディ・ベイOsman Hamdi Bey(1842―1910)や、エジプトの彫刻家マフムード・ムフタールMamd Mukhtr(1891―1934)は、ともにパリ留学の経験を生かしてそれぞれの分野の先駆者となった。建築においても、20世紀前半までは都市部を中心にヨーロッパ風の様式が広く普及したが、第二次世界大戦後は土着の民族的伝統を意識し、環境に機能的に適合した新たな様式を主張するエジプトのハサン・ファトヒーasan Fat(1900―1989)のような建築家が登場するに至っている。
 他方、1895年にフランスで発明された映画はただちにイスラム世界でも紹介・上映が始まり、各地に映画館が設立された。エジプトでは1920年代から、その他の諸国でも第二次世界大戦後に映画制作が本格化、ラジオやテレビの普及とも相まって、かつての講釈師による語り物の伝統にとってかわってゆく。また、演劇の分野では、19世紀なかば以降イスタンブールやカイロに劇場が建設され、西洋近代演劇の移入が開始された。ベイルートのマールーン・アンナッカーシュMrn al-Naqqsh(1817―1855)やカイロ出身のヤァクーブ・サンヌーウYa‘qb ann‘(1839―1912)は、アラビア語による最初の劇作家として知られている。
 こうした近代化の過程では、イスラムをどう位置づけるかが政治や社会とかかわる大きな思想上の問題となった。その結果生まれたのが、イスラムを近代の諸現実・価値に適合させてゆこうとするモダニズム(近代主義)の立場と、逆にイスラムを現実に押しつけ、それによって現実を正してゆこうとするファンダメンタリズム(原理主義)の立場との二大潮流である。前者の代表的思想家としては、イラン出身のアフガーニーやエジプトのムハンマド・アブドゥフMuammad‘Abduh(1849―1905)、インドのサイイド・アフマド・ハーンやムハンマド・イクバール、また後者の例としてはエジプトのハサン・アルバンナーasan al-Bann(1906―1949)とその「ムスリム同胞団」、パキスタンのマウドゥーディーSayyid Ab al-A‘l Mawdd(1903―1979)とその「ジャマーアテ・イスラーミー」(イスラム集団)などがあげられる。第二次大戦後は、エジプトのアシュマーウィーMuammad Sa‘d al-‘Ashmw(1932― )やパキスタン出身のファズルル・ラフマーンFal al-Ramn/Fazlur Rahman(1919―1988)、アルジェリア出身でフランスで活動するアルクーンMuammad Arkn(アラビア語)/Mohammed Arkoun(フランス語)(1928―2010)など、ネオ・モダニストとよばれる思想家の活動も注目されている。[杉田英明]
『伊東俊太郎著『近代科学の源流』(1978・中央公論社自然選書) ▽ナギーブ・マフフーズ著、塙治夫訳『現代アラブ小説全集4・5 バイナル・カスライン』上下(1978、1979・河出書房新社) ▽イブン・スィーナー著、五十嵐一訳『科学の名著8 医学典範』(1981・朝日出版社) ▽サーデク・ヘダーヤト著、中村公則訳『盲目の梟』(1983・白水社) ▽前嶋信次著『イスラム文化と歴史』(1984・誠文堂新光社) ▽前嶋信次著『新版 西アジア史』(1987・山川出版社) ▽五十嵐一著『東方の医と知――イブン・スィーナー研究』(1989・講談社) ▽ラルフ・S・ハトックス著、斎藤富美子・田村愛理訳『コーヒーとコーヒーハウス――中世中東における社交飲料の起源』(1992・同文舘) ▽八尾師誠編著『銭湯へ行こう・イスラム編――お風呂のルーツを求めて』(1993・TOTO出版) ▽鈴木董著『食はイスタンブルにあり――君府名物考』(1995・NTT出版) ▽中村廣治郎著『叢書・現代の宗教15 イスラームと近代』(1997・岩波書店) ▽佐藤次高著『世界史リブレット17 イスラームの生活と技術』(1999・山川出版社) ▽杉田英明著『世界史リブレット18 浴場から見たイスラーム文化』(1999・山川出版社) ▽前嶋信次著、杉田英明編『前嶋信次著作選1 千夜一夜物語と中東文化』(2000・平凡社) ▽竺沙雅章監修、間野英二編『アジアの歴史と文化9 西アジア史』(2000・同朋舎) ▽アフマド・Y・アルハサン、D・R・ヒル著、多田博一・原隆一・斎藤美津子訳『イスラム技術の歴史』(2001・平凡社) ▽ディミトリ・グタス著、山本啓二訳『ギリシア思想とアラビア文化――初期アッバース朝の翻訳運動』(2002・勁草書房) ▽杉田英明著『葡萄樹の見える回廊――中東・地中海文化と東西交渉』(2002・岩波書店) ▽佐藤次高編『新版世界各国史8 西アジア史1 アラブ』、永田雄三編『新版世界各国史9 西アジア史2 イラン・トルコ』(2002・山川出版社) ▽ハミルトン・A・R・ギブ著、井筒豊子訳『アラビア人文学』(講談社学術文庫) ▽イブヌ・ル・ムカッファイ著、菊池淑子訳『カリーラとディムナ――アラビアの寓話』(平凡社東洋文庫) ▽前嶋信次・池田修訳『アラビアン・ナイト』全18巻・別巻1(平凡社東洋文庫) ▽イブン・ハルドゥーン著、森本公誠訳『歴史序説』全4冊(岩波文庫) ▽井筒俊彦著『イスラーム文化――その根柢にあるもの』(ワイド版岩波文庫) ▽前嶋信次著『アラビアン・ナイトの世界』(平凡社ライブラリー) ▽前嶋信次著『アラビアの医術』(平凡社ライブラリー)』

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