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カメルーン カメルーン Cameroun

6件 の用語解説(カメルーンの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カメルーン
カメルーン
Cameroun

正式名称 カメルーン共和国 République du Cameroun。面積 47万6350km2。人口 2007万3000(2011推計)。首都 ヤウンデアフリカ大陸中西部,大西洋ギニア湾に臨む国。

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デジタル大辞泉の解説

カメルーン(Cameroun)

アフリカ大陸中部、ギニア湾に面する共和国。首都ヤウンデココアコーヒーなどを産する。もとはドイツの植民地だった。フランスイギリス信託統治領を経て1960年に独立。人口1929万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

カメルーン

◎正式名称−カメルーン共和国Republic of Cameroon。◎面積−47万5650km2。◎人口−1941万人(2010)。◎首都−ヤウンデ(182万人,2005)。

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世界大百科事典 第2版の解説

カメルーン【Cameroun】

正式名称=カメルーン共和国République du Cameroun面積=47万5442km2人口(1996)=1361万人首都=ヤウンデYaoundé(日本との時差=-8時間)主要言語=フランス語,英語,多くの民族語通貨=CFA(中部アフリカ金融協力体)フランFranc de la Coopération Financière en Afrique Centrale中部アフリカ,ギニア湾に面した共和国。

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大辞林 第三版の解説

カメルーン【Cameroun】

アフリカ西部、ギニア湾に面する共和国。もと、フランスとイギリスの信託統治領。1960年独立。ココア・コーヒー・ヤシ油を産出する。住民は黒人。主要言語はフランス語・英語・バミレケ語。首都ヤウンデ。面積47万5千平方キロメートル。人口1630万( 2005)。正称、カメルーン共和国。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カメルーン
かめるーん
Republic of Cameroon英語
Rpublique du Camerounフランス語

アフリカ大陸の中部にある国。正式名称はカメルーン共和国Rpublique du Cameroun(フランス語)。国土は南北に長い三角形の形状をなし、西はナイジェリア、東はチャド、中央アフリカ、南はコンゴ共和国、ガボン、赤道ギニアの各国と国境を接し、南西はギニア湾に面する。面積47万5442平方キロメートル、人口1700万(2004推計)、1998万8219(2010推計)。首都はヤウンデ。
 自然、人文社会の両面にわたり、ブラック・アフリカにみられる諸特徴を備えているので、ミニ・アフリカとよばれる。平和、労働、祖国を国是とする。国旗の緑、赤、黄の3色は熱帯雨林(緑)とサバンナ(黄)に二分される国土の自然を象徴し、真ん中の赤は金の星とともに全国民の統一を表している。そして緑には希望、黄には幸福の意味合いが含まれている。国名は、16世紀に来航したポルトガル人が、ウーリー川河口(ドゥアラ近郊)をリオ・ドス・カマローエンス(小エビの川)とよんだことに由来する。[門村 浩]

自然


地形・地質
南部および中部は先カンブリア代結晶質岩石からなる階段状の高原地形をなすが、北部のベヌエ川流域とチャド湖盆地域は低地帯をなし、白亜紀以降の堆積(たいせき)岩や第四紀層で広く覆われている。中央部のアダマワ高原と西部を北北東方向に延びる構造線に沿って、白亜紀以来活発な火山活動が繰り返され、アダマワ高原と西部高地は溶岩流で広く覆われている。後者はサントメ島から中央サハラのティベスティ山地に至る構造線で、カメルーン山(最高峰はファコ、4095メートル)など大小の火山がこれに沿って噴出している。1986年ガス噴出事変をおこしたニオス湖は小火口湖の一つ。南半分の熱帯雨林および湿潤サバンナ地帯では、湿潤熱帯気候のため岩石が深く風化し、鉄、アルミナに富む赤色土壌が地表を覆っている。これに対し中部の乾燥サバンナ地帯では赤色土壌が剥離(はくり)されて、鉄、アルミナからなる硬盤層(キラス)が地表に露出する所が多い。おもな河川は中央部のアダマワ高原に発し、北流するものはニジェール川とチャド湖に注ぎ、南東流するものはコンゴ川に注ぎ、南西流するサナガ川水系だけが直接海に注ぐ。[門村 浩]
気候
南部、海岸部の熱帯雨林地帯の完全湿潤気候から中部湿潤サバンナ地帯の半湿潤気候、北部乾燥サバンナ・ステップ地帯の半乾燥気候までの変化がある。年降水量は海岸部で2000ミリメートル以上、カメルーン山南西斜面には1万ミリメートルを超える多雨域があるが、内陸部では1500ミリメートル以下で北に向かって漸減し、最北部では500ミリメートル以下となる。雨は夏に北上する熱帯内収束帯に吹き込むギニア湾からの湿ったモンスーンがもたらし、収束帯が南下する冬はサハラ砂漠から乾いた北東貿易風ハルマッタンが吹き出し、中北部では5~8か月の間厳しい乾期となる。南部の森林地帯でも全般的に冬に雨が少なく、首都ヤウンデを中心とする南部高原の内陸部では7~8月にも小雨である。平均気温は海岸部25~26℃、北部の低地帯27~28℃以上であるが、内陸の高原では20~24℃で、標高1500メートル以上の高地は冷涼である。[門村 浩]
生物相
植生は降雨量と乾期の長さに対応して、南から北へ常緑樹林、半落葉樹林(以上熱帯雨林)、湿潤サバンナ、乾燥サバンナ、ステップへと移行する。多様な環境条件を反映して動物相は豊富である。しかし、南部・西部の森林地帯では、木材伐採域の拡大、人口増に伴う焼畑耕作地の拡大などによって森林が退行したため、ヒヒ、チンパンジー、ゾウなどの野生動物の生息域が狭められている。中部・北部のサバンナ・ステップ地帯では、放牧と火入れのため、ゾウやキリンなど大形野生動物の生息域がワザ、カラマロエ、ベヌエなどの国立公園や動物保護区に限られるようになった。[門村 浩]
地域区分
国土は気候、植生、地形の地域的特徴から、南部森林(海岸地域、南カメルーン高原)、高位高原(アダマワ高原、西部高地)、北カメルーン(ベヌエ平原、マンダラ山地、ディアマレ平原、ロゴンヌ平原・チャド湖盆低地)の三大自然地域に区分され、それぞれさらに括弧(かっこ)内の地域に細分される。これらの諸地域ごとに、農牧林業を中心とした経済活動と生活様式に明瞭(めいりょう)な地域差がみられる。[門村 浩]

歴史

カメルーンの海岸がヨーロッパに知られるようになったのは、1472年にポルトガル人探検家フェルナンド・ポーが来航してからであるが、内陸のチャド湖周辺では5~16世紀にサオ、マンダラなどの王国が盛衰した。中北部のサバンナ地帯には18世紀に西方よりイスラム化牧畜民フルベ(フラニ、プールともいう)がジハド(聖戦)の名の下に侵入して首長国をつくり、1806年には強大なアダマワ王国が建設された。西部高地には17~18世紀にバミレケ人、バムン人が定着して独得の社会組織と文化を発展させた。海岸部では17世紀に南方からドゥアラ人が移住し、来航するヨーロッパ人と商取引を行っていた。これらに対し、南部森林地帯へのバントゥー系諸族の定着は遅く、19世紀初頭には中部のサバンナ地帯からフルベ人に押し出されたファン人が、まだ海岸方向に移動を続けていた。カメルーンの植民地化は1884年ドゥアラの首長がドイツの保護領となる協定を結んだことに始まる。第一次世界大戦でドイツが敗れると、国際連盟の委任統治領として、東カメルーンはフランス、西カメルーンはイギリスが分割して統治した(1922~1946)。第二次世界大戦後は国連の信託統治領となったが、他のアフリカ諸国同様、独立運動が盛んになった。東カメルーンは1960年、ナイジェリアの一部であった西カメルーンは1961年に独立して、両者合体して連邦共和国となった。その後東西間の融合が図られ、1972年国名をカメルーン連合共和国、1984年カメルーン共和国と改称した。[門村 浩]

政治

政体は共和国。1972年憲法公布、1975年、1996年、2008年に改正した。独立直前には多数の政党が乱立したが、独立後はM・アマドゥ・アヒジョの率いるカメルーン民族同盟(UNC)の一党制となり、安定した政権が続いた。1982年11月大統領アヒジョの辞任後、首相のポール・ビアPaul Biya(1933― )が大統領に就任、1983年8月以後はUNC(1985年カメルーン人民民主連合(CPDM)と改称)党首を兼任し、1992年の大統領選では約40%の得票で再選された。この間、1984年4月に前大統領のアヒジョを支持するクーデターが発生したが鎮圧された。1990年、国際的な趨勢(すうせい)と国内からの民主化の要求に従い、反対政党を認め多党制を導入した。1996年の改憲では、大統領の任期を7年(再選禁止)にするとともに、旧英領西カメルーングループの政治の自由化と連邦制への復帰の要求にこたえて上院を設け二院制とすることと、地方州自治権を拡大することが決まったが、後二者は実現していない。したがって、議会は一院制国民議会のままで、その議席は180、議員の任期は5年である。2007年に行われた国会議員選挙では41党1274人が立候補したが、与党のCPDMが153議席を獲得して圧勝し、野党第一党の社会民主前線(SDF)は16議席を得たにすぎない。大統領選挙は、1997年(得票率92.57%)と2004年(70.92%)に行われたが、いずれもビアが圧勝し、6期連続で在任期間が25年を超えている。こうしたビア政権の独裁に対しては、旧英領西カメルーンを中心に根強い不満があり、2008年2月下旬にはガソリン・食糧価格の高騰と、大統領任期を事実上無制限とする改憲案に抗議する大規模な反政府暴動がドゥアラ、ブエア、バメンダなど西部の町と、首都ヤウンデで同時多発した。これに対し、政府は物価引下げ策で応じる一方で、暴動を武力で鎮圧するとともに、内外のメディアの言論・報道の自由を制限する措置で臨んだ。大統領の再選規定の改定と大統領としての行為についての免責特権付与を盛り込んだ改憲案は、同年4月10日に可決され、ビアの2011年以降の再選が可能となった。
 内閣の組織は複雑で、30を超える省庁からなり、大臣職のポストは約50もある。軍事力には、陸軍、海軍、空軍、国家警察隊、大統領護衛隊がある。国際的な批判を浴びている問題に、閣僚・高級官僚から地方の下級公務員に至るまでのさまざまな地位と所掌における賄賂(わいろ)や公的資金・補助金の横領など、汚職の蔓延(まんえん)がある。政府は国家汚職防止監視機関を設ける(2006)などして対策を強化しているが、実効はあがっていない。[門村 浩]

外交

旧宗主国フランス、イギリスとの関係が深く、フランスとは軍事、文化、経済において各協定を結び、1995年には旧イギリス領の組織であるイギリス連邦の一員となる。他のEU(ヨーロッパ連合)諸国とも緊密な関係を保っているが、非同盟を原則とし、旧東側諸国とも積極的な外交を行ってきた。最近は、アメリカ、中国との関係を深めている。国連には1960年に加盟し、その後多くの国連・国際機関のメンバーとなっている。アフリカ連合の重要メンバーであり、旧フランス領諸国を中心に構成する中部アフリカ関税経済同盟(UDEAC)の中枢をなすなど、アフリカのなかでも多面的外交を展開している。
 隣国ナイジェリアとの間で、石油と漁業資源の豊富なバカシ半島の領有権をめぐって武力衝突が繰り返されていたが、国際司法裁判所の裁定と国連の仲介により、2008年8月同半島のカメルーンへの帰属が確定した。[門村 浩]

経済・産業

独立後1980年代なかばまでは、農産物や木材など一次産品輸出の順調な伸びと、1970年代後半以来の石油部門の急拡大を背景に急速な経済成長を続けたが、1986年にコーヒー、カカオ、石油など主要輸出産品の国際価格が暴落して輸出高が3分の1に落ち込み、以来著しい経済危機が続いた。1990~1993年にIMF(国際通貨基金)・世界銀行の支援により、企業投資の促進、農業生産の効率化などの経済改革を試みたが成功せず、1992年の大統領選挙後の政情悪化を契機に構造調整が要求された。1994年1月にCFAフラン通貨を50%切下げ、それに伴う構造調整の推進により輸出の落ち込みをくいとめることができた。2005年には、収入源の石油偏重からの脱却と多様化、貿易自由化の推進などを条件に、累積対外負債のうち2億5500万ドルがIMFにより帳消しにされ、回復に転じた。最近のGDP(国内総生産)の実質伸び率は4%、国民1人当りGDPは1325ドル(2008)で、その内訳は農業20.6%、工業24.4%、サービス業41.3%(2007推計)である。[門村 浩]
資源
鉱産資源に恵まれず、少量の金と錫(すず)を産出するにすぎない。南部森林地帯東部の鉄鉱石鉱床とアダマワ高原のボーキサイト鉱床の開発が有望視されているが、交通が不便なため採掘は進んでいない。1970年代後半よりリンベ(旧ビクトリア)北西沖の海底で石油が採掘されるようになり、1978年から産油国となったが、産油量は最近減退してきた。新たな油田開発のための探査がドゥアラからクリビに至る沿岸海域で続けられている。包蔵水力は豊富で、滝の多いサナガ川水系はダム建設に適しており、下流のエデア・ダムでは水力発電所が稼働し、そのほか本・支流の数か所に発電用ないし調整用のダムがある。北部ではベヌエ川のラグド(ガルア南方)に発電用ダムがある。[門村 浩]
農業
全人口の約70%が農業人口であるが、可耕地は国土面積の13%、常畑(じょうばた)は2%を占めるにすぎない。1農家平均2ヘクタール未満の小農経営により、多種目の自給作物とともに、主要輸出産品であるカカオ、コーヒー、綿などが栽培されていることに特徴がある。大資本によるプランテーションは、湿潤肥沃(ひよく)な西部高地および海岸部と内陸の森林地帯縁辺部で、開発公社やヨーロッパ系会社により行われている。カメルーン山周辺にはカメルーン開発公社(CDC)の大プランテーションがあり、アブラヤシ、ゴム、バナナなどを栽培している。そのほか、気候や土壌の条件に対応して、コーヒー、紅茶、サトウキビなど多様な作物がつくられている。北部のロゴンヌ平原と西部高地では灌漑(かんがい)による大規模水田開発が行われた。主食用自給作物の種類は、北部のモロコシ、トウジンビエ、ラッカセイ、アダマワ高原とその周辺部のキャッサバ(イモの一種)、モロコシ、トウモロコシ、西部高地のトウモロコシ、穀類、プランテン・バナナ(料理用バナナ)、南部森林地帯のプランテン・バナナ、キャッサバ、ラッカセイまたはマカボ(イモの一種)と、自然条件と生活形態により多彩である。[門村 浩]
林業
南部の熱帯雨林は豊富な森林資源であり、マホガニーやチーク、エボニーに類似の十数種の有用樹(アカジュ、シポ、イロコ、アゾベなど)がおもに択伐方式により伐採されてきた。伐採量は1990年代初めに約1460万立方メートルに達した。大規模な森林開発を進める一方で、ITTO(国際熱帯木材貿易機構)、COMIFAC(中部アフリカ森林委員会)の中心的メンバーとして、森林・動物保護区を設定して自然保護にも力を入れ、環境と調和した森林開発を目ざしている。[門村 浩]
牧畜・水産
国土の約3分の2を占めるサバンナ・ステップ地帯の主産業は牧畜で、アダマワ高原、西部高地と北部の低地帯がその中心をなし、560万頭のウシと700万頭のヤギ、ヒツジ(2007推計)が飼育されている。漁業国でもあり、沿岸漁業、各河川とチャド湖など湖沼の内水面漁業が行われ、年漁獲高は16万8000トン内外(2007推計)である。沿岸海域では、外国籍トロール船による違法操業を含む乱獲のため、資源量の減少が加速化している。[門村 浩]
工業
石油生産・精製、食品加工、軽消費財、紡績、木材加工がおもな工業である。エデアのダム地点にはアフリカ第二のアルミナ関連工場(原料のボーキサイトはギニアから輸入)がある。国内農林業産品の加工・製造業は、海岸・南西部のヤシ油、ゴム、コーヒー、カカオ、紅茶、南部森林地帯の製材、製紙、カカオ、砂糖、北部サバンナ地帯の製糸、なめし革などと、地域ごとに特徴ある立地を示す。[門村 浩]
貿易・金融・財政
主要な輸出産品は原油・石油製品、コーヒー、カカオとその加工品、木材、アルミ地金、トタン板、綿花である。2008年の総輸出高は43億5000万ドルで、内訳は燃料・鉱産物(65.2%)、農産物(26.2%)、工業製品(3%)である。おもな輸出相手国はフランスをはじめとするEU諸国(約74%)で、アメリカ、中国がこれに次ぐ。総輸入高は43億6000万ドルで、内訳は機械・電子製品などの工業製品(49%)、農産物(21.5%)である。輸入相手国はEU諸国(35%)、ナイジェリア(23.3%)が主体で、中国(6.3%)、赤道ギニア(3.5%)、アメリカ(2.9%)が続く。貿易収支は最近、ほぼバランスがとれている。通貨は中部アフリカ関税経済同盟の一員としてCFAフランを用いている。2009年の財政収支は歳入38億3800万ドルに対して歳出37億8100ドルである。2010年の国家予算は約48億7000万ドルで、民政の安定化と貧困解消に重点を置いた予算編成になっている。2005年にGDPの37%を占めていた累積対外負債は、IMFの削減策の実施により、2006年以降GDP比5~6%まで減少した。ODA(政府開発援助)受入れ額は、2007年が13億7000万ドル、世界的金融不況の影響を受けた2008年は5億9000ドルである。[門村 浩]
交通・通信
海空の国際港ドゥアラを起点に首都ヤウンデを経てウガンデレまで(935キロメートル)と、西部のクンバまで(150キロメートル)鉄道が通じている。道路は総延長約6万5000キロメートルに及ぶが、舗装区間はまだ約10%で、人口の希薄な南東部の森林地帯と中央部のサバンナ地帯では道路網を欠く。ドゥアラ、ヤウンデ、ガルワにヨーロッパとアフリカ諸国から定期便が飛来する国際空港がある。国内の主要都市間には定期航路が開設されていたが、2008年国営カメルーン航空が廃止されて路線が大幅に縮小された。主要路線に限って民間航空が運行を始めたが、定期運行にはほど遠い状態にある。ギニア湾岸のドゥアラ、ボナベリ、クリビ、ティコと北部のベヌエ川に沿うガルワに国際港がある。電話は携帯電話が急速に普及し、インターネットの普及率は国民の3.8%(2009推計)にすぎないが、おもな町にはたいていインターネット・カフェがある。[門村 浩]

社会


住民・言語
人種、民族構成はきわめて多彩で、南部森林地帯のバカとよばれる狩猟採集民(ネグリロ、いわゆるピグミー)、森林およびサバンナ地帯のバントゥー系黒人、西部高地のバントイド(セミバントゥー)系黒人、北部サバンナ地帯のスーダン系黒人、セム・ハム系人と変化に富み、民族グループは250を数える。各グループはそれぞれ独自の言語をもつが、広域語として北部のフルフルデ(フルベ)語、南部のバッサ語、エウォンド語があり、海岸地帯ではピジン英語が広く通用する。公用語は、旧イギリス、フランス領を統合して独立した経緯から、英語、フランス語の2か国語としている。[門村 浩]
人口
2009年年央推計で総人口は1887万9301、2008~2009年1年間の人口増加率は2.19%で、14歳以下の若年層が40%以上を占める。人口密度は全国平均1平方キロメートル当り41人であるが、地域差が大きく、南東部の森林と中央部のサバンナには10人以下の希薄地帯がある反面、西部高地とマンダラ山地北部には500人以上の高密度地域がみられる。乳幼児死亡率は7.87%、平均寿命は男性51.55歳、女性53.68歳(2009推計)である。農村から都市へ向かう人口移動が続き、都市人口率は全人口の53.69%(2009推計)に達している。ヤウンデとドゥアラへの人口集中がとくに著しく、住宅や教育施設の不足、失業、ゴミ処理などの多くの都市問題が生じている。[門村 浩]
教育
独立以来、学校教育の普及に力が注がれてきた。2003~2008年の小学校平均(純)就学率は84%である。牧畜民の多い北部では就学率が低いが、15歳以上の識字率は全国平均で68%(2009推計)である。大学は1962年に国立の総合大学ヤウンデ大学の前身カメルーン連邦大学1校で出発し、1982年には大学の地方分散をうたって、チャン(西部州)、ドゥアラ(海岸州)、ブエア(南西部州)、ウガンデレ(北部州)にそれぞれの地方の産業活動に対応した国立の単科大学が開設された。1993年には高等教育研究機関の改革と地方分散を掲げて、ヤウンデ大学を分割し、各地方単科大学を総合大学に格上げするとともに、私立大学の設置を推進することとした。この方針に従い、それまで皆無であった私立大学が相次いで開校したばかりでなく、2008年には最北部州のマルワに国立マルワ大学が新設された。おもな私立大学にバメンダ科学技術大学(バメンダ)、高原大学(バンガンテ、医薬・理工)、中部アフリカ・カトリック大学(神学)、中部アフリカ・プロテスタント大学(神学・社会科学)、ヤウンデ南ンディ・サンバ大学(経営系)(以上ヤウンデ)がある。2006年には全大学の合計在籍者数が10万8000人を超え、毎年約5万人、しかもその95%以上が国立大学への入学を希望するので、国立大学では教室などインフラと教員の大幅な不足が慢性化している。欧米や日本の大学、大学院への留学者も数多い。国内での就職の機会が少ないため頭脳流出が相次いでいる。[門村 浩]
宗教
北部でイスラム教が広く浸透しているのに対し、南部、西部では植民地時代にキリスト教(カトリック、プロテスタント)の伝道が進められた影響で、キリスト教徒が多い。アニミズムなど伝統宗教も広く残り、多様な文化をもたらす要因となっている。[門村 浩]
文化
多様な言語、生活習慣、宗教をもつ多数の民族グループが一国を形成しているため、伝統文化はきわめて多彩である。これに旧宗主国イギリス、フランスの言語、文化が重合して多重構造をなす。伝統工芸では西部高地の仮面(マスク)や木彫りなどが有名で、ダンスと祭りには民族グループごとに独得のものが伝えられている。スポーツではサッカーが盛んで、国際試合には国中が熱狂する。アフリカ・ネイションズカップでは4回優勝し、オリンピックでは2000年のシドニー大会で、男子チームが優勝している。[門村 浩]
自然保護・観光
熱帯雨林、サバンナ、ステップの各地帯にそれぞれ特徴ある自然景観と動物相に恵まれた国立公園があわせて七つ設けられている。北部ロゴンヌ平原の季節的氾濫原(はんらんげん)にあるワザ国立公園(ラムサール条約登録湿地)は多種類の大形野生動物と鳥類のすみかとして知られ、その南西方マンダラ山地カプシキ(ルムスキともいう)の月面を思わせる岩塔景観などとともにカメルーン有数の観光地帯をなしている。南西部熱帯雨林地帯を占めるコラップは、コア地区を環境保護活動・研究に限って開放し、周辺に緩衝地帯を設けてアグロフォレストリー(農作物と果樹などの樹木栽培とを組み合わせた複合的土地利用)の推進などにより地域住民の経済発展を図る、という新たな管理戦略をとっていることで国際的に注目されている。南部熱帯雨林地帯中央部にあり、ゴリラやゾウなど多種類の野生動物が生息するジャー動物保護区は、ユネスコの世界自然遺産に登録されてコラップと同じような方式で管理され、コラップとともに世界的レベルのエコツーリズムの対象地になっている。近年、カメルーンを含むコンゴ盆地の熱帯雨林では、絶滅が危惧(きぐ)されるゴリラやチンパンジー、ゾウなど野生動物の違法捕獲とその肉、ブッシュミートの違法取引の急増が生物多様性に対する最大の脅威となっている。この問題に歯止めをかけるため、カメルーン政府は違法取引を制限するための具体的な法的枠組みづくりに着手している。[門村 浩]

日本との関係

両国はヤウンデと東京に相互に大使館を開設し、貿易や開発援助のみでなく、学術、文化などの分野でも活発な交流が行われている。カメルーンの対日輸出は、木材、綿花、コーヒー豆などを中心に3億2800万円、輸入は自動車、機械機器などで42億7600万円(2007)である。最近の日本の経済協力では、小学校の建設など初等教育分野への貢献をはじめ、安全な水の供給や感染症対策、農業・水産・農村開発など、国民生活の改善と福祉向上に直結する分野に重点を置いた支援が続けられている。2006年(平成18)から青年海外協力隊が派遣され、地方の現場での実質的な支援活動が行われるようになった。同年には小学校建設への支援を記念する友好記念切手が発行されている。2002年(平成14)のサッカー・ワールドカップ日韓大会時にカメルーン代表のキャンプ地となった中津江村(現、日田市)と南部州森林地帯のメヨメサラ市(ビヤ大統領出身地)とが2003年友好親善協定を結んだ。[門村 浩]

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