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フランドル美術 フランドルびじゅつFlemish art

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フランドル美術
フランドルびじゅつ
Flemish art

現在のベルギーを中心とするフランドル地方の美術。その中心を占めたのはオランダの場合と同じく常に絵画であった。 14世紀末~15世紀末に栄えたブルゴーニュ公国はフランドルの芸術家の最初の活躍の舞台となり,スリューテルのような重要な彫刻家がディジョンの宮廷を中心に活躍した。フランドル絵画の創始者であり,油絵の技法を発明したといわれるヤン・ファン・アイクもブルゴーニュ公の宮廷画家として活躍し,そのほか,ワイデン,クリストゥス,カンパン,メムリンク,グースらが初期の絵画を代表している。ブリュージュ,ヘント,ブリュッセルなどが中心都市であったが,16世紀に入るとアントウェルペンに移った。 16世紀前半にはイタリア・ルネサンスの影響を強く受けた一派 (ロマニスト) が台頭したが,同じ頃ブリューゲルはおもに農家の生活を主題とした作品により,北方的な伝統を継承,発展させ,16世紀のフランドル絵画を代表する存在となった。同世紀後半にはブリューゲルの息子ヤンらが風景画や神話画をおもに描いた。 17世紀には,フランドル絵画はオランダ絵画と同じく黄金時代を迎えるが,オランダがプロテスタントを奉じ,スペインの圧政を排して独立したのに対し,フランドル地方はカトリックを奉じ,17世紀に入ってもなおスペインのハプスブルク家の支配下にあった。こうした政治的,宗教的相違はときに絵画にも反映し,オランダにはみられなかった聖堂を飾る大規模な祭壇画が描かれ,様式的にははなやかな色彩と動的な画面構成が好まれた。また古代の神話的なテーマもしばしばあげられた。フランドル絵画は民衆的な親しみやすさと同時に,洗練された貴族性をも示している。当時の代表的な天才ルーベンスの工房からはヨルダーンスのほか多くの弟子が出たが,なかでもファン・ダイクは 1632年にイギリスに渡り,イギリスの肖像画芸術に影響を及ぼした。ルーベンスがイタリアから帰った 08年から彼が没する 40年頃までがフランドル絵画の黄金時代で,これら3人の巨匠のほか,「ビロードのブリューゲル」と呼ばれたヤン・ブリューゲル,彼の娘婿で風俗画家の D.テニールス,静物画家の F.スナイデルス,J.フェイトらが活躍した。 17世紀後半以降は,フランドル絵画は低調であった。特に 1831年ベルギー独立以後国民的画派は形成されず,19世紀は画家 J.アンソールが注目されるだけであった。 20世紀の画家では P.デルボーと R.マグリットらのシュルレアリストが国際的名声を博している。

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百科事典マイペディアの解説

フランドル美術【フランドルびじゅつ】

美術史においては,フランドルとはネーデルラント南部,ほぼ今日のベルギーに相当する地域をいう。ネーデルラント全域は17世紀にオランダが独立するまで統一的文化圏を形成していたが,なかでもフランドルは経済的繁栄にも支えられて西欧美術の一中心となった。
→関連項目アントネロ・ダ・メッシナフランドル

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世界大百科事典 第2版の解説

フランドルびじゅつ【フランドル美術】

美術史におけるフランドルとは,フランドル地方の北東部をその一部とするネーデルラント南部,すなわちほぼ今日のベルギーに相当する地域をさす。ネーデルラント全域は,17世紀初頭に北部がオランダ共和国(ネーデルラント連邦共和国)として独立するまで統一的文化圏を形成していたが,羊毛工業と通商による経済的繁栄に支えられたフランドルは,その中で当初主導的な役割を果たしたばかりでなく,15世紀にはイタリアと比肩しうる西欧美術の中心であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

フランドル美術
ふらんどるびじゅつ

フランドルは元来一州の名で、その地域はほぼ今日のベルギーにあたる。したがってフランドル美術とは、独立以前のベルギーの美術のことになるが、美術史的にはこの地に17世紀に栄えた美術をさし、この地を中心とした15~16世紀のネーデルラント美術と区別する意味で用いている。もちろんこの名称は、やがてこの地域がベルギーとして独立する1830年まで続くが、美術史上の繁栄は17世紀、とくにその前半であり、ここでもネーデルラント美術と同様、絵画が中心である。
 17世紀は、ヨーロッパ美術史ではバロック時代であり、バロック美術である。植民地経済と反宗教改革後の旧教と結び付いた強大な王国の発達と隆盛のもとに展開したバロック美術は、たとえばフランスのベルサイユ宮殿によって代表される建築に、その一つの象徴をみる。一方、絵画も、当時の王侯貴族の豪華趣味と時代の現実主義のもと、独自の発展をする。しかも、フランドル絵画はその中核の一つであり、その象徴ともいうべき代表者がルーベンスである。彼はスペインのベラスケス、オランダのレンブラントとともに、17世紀最大の巨匠であるが、バロック絵画という場合、彼こそ、それにもっともふさわしいといえよう。17世紀バロック絵画は、彼の支配と影響のもとに、北方ルネサンス以来の自然主義を基調として展開した。そして、彼を中心に、それぞれに特色をもつファン・ダイク、ヨルダーンス、ヤン・ブリューゲル、テニールスらの大画家が輩出した。
 その後、18世紀を経て、ベルギーとして独立後も、19世紀中ごろまでは、まったくフランス絵画の地方画壇となり、ようやく19世紀後半に至って、その存在を明らかにした。他方、建築と彫刻は、オランダ同様、一地方様式にとどまり、19世紀に至って、彫刻の写実主義者ムーニエが出た。これに対し工芸は、15世紀以来、優れた織物やレース編みの産地として発展し、ヨーロッパの指導的役割を果たしてきた。[嘉門安雄]
『『世界美術全集33 近世I』(1965・角川書店) ▽嘉門安雄解説『大系世界の美術16 バロック美術』(1973・学習研究社)』

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世界大百科事典内のフランドル美術の言及

【バロック美術】より

…一般には,17世紀初頭にイタリアのローマで誕生しヨーロッパ,ラテン・アメリカ諸国に伝播した,反古典主義的な芸術様式をいう。 バロック(フランス語でbaroque,イタリア語でbarocco,ドイツ語でBarock,英語でbaroque)という語の由来については2説ある。一つはイタリア語起源説で,B.クローチェによると,中世の三段論法の型の一つにバロコbarocoと呼ぶものがあり,転じて16世紀には不合理な論法や思考をバロッコbaroccoと呼ぶようになった。…

※「フランドル美術」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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