知恵蔵 の解説
坂東三津五郎(10代目)
長男は歌舞伎俳優の2代目坂東巳之助。長女は女優の守田菜生、次女は日本舞踊師範の守田幸奈。いとこに女優の池上季実子。
先代三津五郎の長男に生まれ、62年、5代目八十助(やそすけ)を襲名して、「牛若丸」の役で初舞台を踏んだ。八十助として長らく活動し、2001年に三津五郎を襲名した。研究熱心で努力家だったといい、こつこつと積み上げられた芸は、多くの人々を魅了した。「六歌仙」にも選ばれている歌人で高僧、喜撰(きせん)法師が様々な姿を見せる「喜撰」を好んで演じ、基本に忠実ながらも味わい深い芸を見せた。芸域は幅広く、「魚屋宗五郎」の宗五郎といった世話物の役を始め、時代物の武家社会に生きる男性の役、「勧進帳」の弁慶といった荒事などもこなした。新作歌舞伎から現代劇まで、多様なジャンルの舞台や役柄に挑戦し続けたことについては、生前「好きな役者をやれてるんだもの、やること、できることを自分で制限したらもったいないじゃない」と語っていたという。同世代の故中村勘三郎(18代目、12年に死去)とは、幼い頃から共に芸を切磋琢磨する間柄で、多くの舞台で共演した。
NHK大河ドラマ「功名が辻」やTBS系「ルーズヴェルト・ゲーム」などのテレビドラマや映画「武士の一分」にも出演した。
06年日本芸術院賞、09年紫綬褒章など受賞歴は多数。著書に『あばれ熨斗(のし)』などがある。
城好きとしても有名で、BS朝日「日本の城ミステリー紀行」の城案内人も務めた。10年に『三津五郎城めぐり』(三月書房)、12年には『坂東三津五郎 粋な城めぐり』(角川マガジンズ)が出版されている。
13年8月にすい臓の異常を公表し、9月に手術を受けた。療養生活を経て14年4月、東京・歌舞伎座の「寿靱猿(ことぶきうつぼざる)」で舞台復帰した。8月に「たぬき」「勢獅子(きおいじし)」に出演し、結果的にこれが歌舞伎では最後の舞台となる。9月に肺の異常が見つかり、12月に出演予定だったこまつ座の舞台「芭蕉通夜舟」の降板を発表。10月の小唄演奏会が、舞踊では最後の舞台となった。
15年2月21日、すい臓がんのため59歳で死去。東京で営まれた本葬には、歌舞伎関係者や山田洋次監督、鳩山由紀夫元首相ら計約5000人が参列した。
(南 文枝 ライター/2015年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報