木をおもな対象として,倒し,割り,切断し,えぐり,削る工具。戦闘用,祭儀用もある。本体としての斧身(斧頭)と,それを着装する柄とから成る。考古学では,柄から離れた状態の斧身を材質によって石斧,青銅斧,鉄斧,貝斧などと呼ぶ。
斧には,〈まさかり〉のように斧身の刃と柄とがほぼ平行する狭義の斧(中国語の〈斧〉,英語のaxe)と,鍬のように刃と柄とがほぼ直交する手斧(釿(ちような)。中国語の〈〉,英語のadze)の2種がある。ここではそれぞれを縦斧(たておの),横斧(よこおの)と呼び,斧を総称,あるいはどちらか不明のものの呼び名としておく。なお,上の説明で刃と柄とがほぼ平行,直交と記したのは,使用者の利き腕との関連や使い勝手で,やや斜めに着装することも多いからである。木工具としての斧の機能は二つに大別され,伐採斧(ばつさいふ),すなわち立木を伐採し,これを荒割りする斧と,加工斧,すなわち,小割りしてえぐり削る斧とに呼び分けることができる。考古学では斧を分類するとき斧の刃の形状を重視し,刃を側面から見て左右相称のものを両刃,非相称のものを片刃と呼び,両刃石斧,片刃石斧などという。斧の基本的分類である縦斧,横斧と両刃,片刃との関連を世界の考古・民族資料で検討すると,両刃縦斧,両刃横斧,片刃縦斧,片刃横斧のすべてが存在する。ただし片刃縦斧は珍しい。なお斧には,斧身を90度回転して柄に着装しなおすことによって縦斧と横斧とを兼ねるもの(縦横兼用斧。デンマーク中石器時代,スイス新石器時代,ニューギニア民族例)がある。さらに,斧には斧身の一端に縦斧の刃,他端に横斧の刃をそなえつけた縦横両用斧axe-adze(ハンガリー青銅器時代),斧身の両端に縦斧の刃をつけた両頭斧(両頭縦斧double-axe)がある。後者は戦闘用の斧(闘斧battle-axe)としても名高く(ヨーロッパ新石器時代後期~青銅器時代),また,ミノス文明では祭儀用に発達してラブリスlabrysと呼ばれ,宗教上のシンボルとなった。
斧身は使用中に脱落しないように柄にしっかり着装しなければならない。しかしあまり密着すると衝撃で柄がこわれる。そこで両者のあいだに角製などの袖sleeveを介在させて密着と衝撃緩和とをはかるものもある(デンマーク中石器時代,スイス新石器時代,中国漢代,ニューギニア民族例)。柄をまっすぐな棒状の直柄(なおえ)と先が短く屈曲する膝柄(ひざえ)knee-shaftとに大別し,膝柄の屈曲部分を斧台footと呼んでおく。袖の使用例を含め着装法の各種は図解にゆずる。旧石器時代の両面加工石器で握槌(にぎりづち)(ハンド・アックス)と呼ばれるものは,柄をつけずに手で直接握って使ったという想定の命名であろうか。その一部が柄につけて使われたことは,刃に残る使用痕跡の研究から判明している(ロシアのコスチョンキ)。日本の先土器時代にも刃の部分を磨いた石斧がある。
縦斧,横斧は,いつも両方用いられたのではない。横斧しかもたない文化(ヨーロッパ中石器時代前半,日本先土器時代末~縄文時代前期初め,太平洋諸島各地の民族例)もある。その文化では横斧は万能の斧である。両方をもつ文化では,縦斧を伐採斧,横斧を加工斧に使い分ける。なお,横斧による伐採は木の正面から,縦斧による伐採は木の側面から打ち下ろすから,前者の方が後者より高い位置で木を切断することになる。日本では,弥生時代に大陸系の石斧が登場して伐採斧(縦斧),加工斧(横斧)の別が確立した。以後,板材の表面を加工斧と鉇(やりがんな)で仕上げることが長く続き,室町時代に縦引鋸(たてびきのこ)が普及して台鉋(だいかんな)にその座を譲り,加工斧は衰えた。なお考古学で斧と呼ぶもののうち,特に石斧には,柄をつけない楔(くさび)を含む可能性があり,また石鑿(いしのみ)と呼ぶものには,斧として使ったものを含む可能性がある。いずれも本来の柄の有無,形状が明らかでないため正しい使い方は明確でない。
執筆者:佐原 眞
大きな斧は森林地方では不可欠の道具で,たとえばヨーロッパの森林地帯では少なくとも1万年前には打製石斧が使用されていたし,日本の縄文時代でも打製・磨製の石斧が利用されていた。鉄斧が登場すると,木の伐採・加工の速度は一大飛躍をとげる。道づくりもはるかに容易になったであろう。フランスでは11~12世紀に鉄斧の普及があり,これとともに農業生産が飛躍的に増大した。北アメリカの北西海岸インディアンも鉄斧の導入ののち,トーテム・ポールなどの大彫刻をさかんに作りだした。
オセアニアでの鉄の導入は18世紀以後のことで,ニューギニアでは最近まで石斧が使われていた。石材にはカンラン岩,粘板岩,輝緑岩,玄武岩が用いられ,すべてよく磨きあげられ,鋭い刃をもつ。木の柄に孔をあけて石斧をさしこんだだけのものと,細く裂いた竹の皮でさしこみ部分を巻きあげたものとがある。二またの枝分れの部分を利用して,一方を柄とし,他方に斧をさしこんで,竹皮を巻きつけたものもある。これは木工具として用いられる。磨製石斧は実用以外の用途があって,婚資(花嫁代償)のなかでの重要品目でもある。したがって生産地から遠く隔たった地方にまで交易品として入りこんでゆき,いくつもの部族を永続的な交易関係で結びつけた。鉄斧の普及とともに石斧の生産は衰えるが,斧の実用的儀礼的ならびに交易上の重要性は変わらない。希少となった磨製石斧は儀礼的な側面に高い価値が置かれることもある。ニューヘブリデス諸島では首長の権威を象徴するものとなった例もある。
新大陸アメリカでも石斧の価値は高かった。北アメリカの東部森林地帯,中央アメリカや南アメリカの熱帯森林地帯などの生活様式が確立する前3千年紀には,すでに磨製石斧が作られていた。石斧の刃とは反対の端の方には,4分の3周する溝がつけられて,その溝に沿ってひもをまわして柄に固定したものや,南アメリカに特徴的なT字型石斧も作られた。これは刃ではない方の端の両端に耳のような突起があり,そこにひもをかけて柄に固定したためである。石斧は安山岩や玄武岩を素材としたものが多いが,メソアメリカでは,ヒスイ,蛇紋岩などの美しい磨製石斧が,儀礼用に作られた例もある。メキシコのラ・ベンタ遺跡(前800ころ)では,497個の蛇紋岩製の石斧をジャガーの顔の形に並べたものが発見された。
執筆者:大貫 良夫
古代中国でも,斧は権威の象徴であった。斧の刃を白く刃幹を黒く描くか,そのようにぬいとりした布を黼(ふ)といい,これを天子の礼服に用い,また天子はこの布をはった屛風を背にして南面して諸侯に対した。斧の大きいものを鉞(えつ)といい,天子が将軍に征討を命ずるときそのしるしとして授けた。天子が自ら征討に赴くときは,黄金で飾ったいわゆる黄鉞を用いた(《史記》周本紀など)。一般的に斧は日用の道具であるだけでなく武器であり,また刑具でもあり,戦争,破壊などの象徴としてこれを用いるのは世界的な現象である。また斧を雷と結びつけるのも普遍的な現象で,雨雲を呼ぶ天の力,さらに豊饒の象徴とされ,儀式用の石斧は各地で見いだされている。古代地中海のミノス文化では両頭斧(双頭斧ともいう)が宗教象徴として重きをなし,王宮壁面の装飾や陶器画にその表現が見られる。またイランのルリスタン文化(前8~前7世紀)は,青銅製の儀式用斧を数多く残している(ルリスタン青銅器)。
執筆者:柳 宗玄
斧はヨキともいい,山の生活と深い関係をもっていた。修験道では,斧は行路を妨げる雑木やいばらなどを払うほか,魔性を含むいっさいの障害をも打ち砕く武器ともされ,峰入りの際には山伏は斧を先頭にして進む。また熊野山伏は,鍛冶屋がまつる鋳物明神と深いかかわりをもち,斧を肩にかけていたという。有名な奥三河の花祭では,鬼が大きな斧(まさかり)を持って神楽を舞う。このほか,斧は雷神の武器でもあり,怪童金太郎の持物になっている。木樵(きこり)の間では,木を伐採する前に幹に斧をさして斧立て祝をする習慣があり,斧で伐採の可・不可を占ったものと思われる。津軽地方では,元旦に山に入って立木に斧で印をつけ各自の持分とする風もあった。斧には〈七つ目〉といって表裏に3筋と4筋の線が刻まれているが,これは魔よけや魔おどしのためといわれている。
執筆者:飯島 吉晴
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
刃物の一種。木を切ったり、割ったり、削ったりするための道具で、主として木工具として使用された。楔(くさび)形の鋭い鋼鉄の刃に、木製の長い柄(え)をつけたもので、鋭く頑丈な刃に対して、反対側の峰(みね)の部分が厚くなっているので、打ちつけたときの破壊力が大きく、太い木材を切ることができる。柄には普通、カシ、ブナ、モミ、クルミなど堅い木が用いられた。なお、小形のものをヨキといい、大形のものを鉞(まさかり)という。
斧の歴史は古く、人類のつくった最初の道具ともいわれ、その祖形は石器時代の石斧(せきふ)にみられる。石斧は石英、安山岩、玄武岩など堅い石を材料とし、これを打ち割り、あるいは磨いて刃をつけたもので、適当な石のない所では貝殻や大形動物の骨などが用いられた。この刃を柄に結び付けるには、蔓(つる)や縄で結束し、これにゴム状の接着剤などを塗り固める方法がとられた。その後、金属の使用とともに、斧は、まず青銅、次に鉄、最後に鉄合金でつくられるようになった。
日本では古墳時代に入ると、多量な鉄斧(てっぷ)の出土がみられ、刃の形もいろいろ異なっているが、おもに両端の張り出した扇形のものと、縦長で両面に刃をつけた長方形のものとの2種に大別される。日本では斧はほとんど武器としては使われずに、もっぱら樹木の伐採、木材の切断、建築の部材加工などの重要な工具として発達してきた。こうした斧の形態、用法は『石山寺縁起絵巻』など中世の絵巻物にも多くみられるが、上代から近世まで、大きな変化はなかったと思われる。なお、鉋(かんな)の発明以前、木材の平面を削るのに広く使用された大工道具の一つ、手斧(ておの)(ちょうな)も斧の一種と考えられる。
一方、斧は古代から中世にかけて、広くヨーロッパ、中国でも、木工用具や信仰・儀礼用の祭祀(さいし)用具として用いられたが、ほかに戦闘用の戦斧(せんぷ)としても用いられた。
また、斧は多くの民族によって、神の象徴や神器として神聖視され、宗教的儀礼の対象として考えられた。日本でも、伊勢(いせ)神宮の遷宮用材の伐採に先だって木元祭(きもとまつり)が執行され、諏訪(すわ)神社の御柱(おんばしら)の伐採に先だって斧立祭(おのだてまつり)が行われ、杣人(そまびと)は樹木の伐採前に、斧立の作法を行った。さらに、秋の豊作を願う成木責(なりきぜ)めの呪具(じゅぐ)としても用いられ、また、病人の苦痛を断ち切り、魔物を防ぐ呪力あるものとも信じられ、昔話やことわざにも、しばしばその威力が示される。一方、日本以外の地域においても、たとえばエジプト神話では、両刃の斧は礼拝の対象物とされ、マルタやキプロス、その他地中海沿岸地方の有史以前の聖所からは、斧が多数発見されている。また、オーストラリアのある原住民は、祖先の精霊の子を女の体に宿らせるために斧で木や石を打つといわれる。このように斧が神聖視されるところから、斧による占いも行われ、その方法は、斧を森の中へ打ち込んだり、水の中へ投げ込んだりしてなされる。
[宮本瑞夫]
『吉川金次著『斧・殺金・鉤』(1984・法政大学出版局)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 新石器時代に入り,農耕・牧畜文化が発展するにつれて,武器は狩猟具から離れ,しだいに武器そのものとしての性格を明らかにしていく。石製の闘斧(とうふ)が現れるのも,この時代であった。つづいて文化の先進地域であったオリエントがまず青銅器時代に入る。…
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【ヨーロッパ,オリエント】
東アジアの青銅器が祭祀具として発達したのにひきかえ,ヨーロッパや西アジアの青銅器は実用品が多い。銅や青銅などの初期の金属は,石にかわって斧,手斧(ちような),剣,短刀などの利器の素材として利用されたところから,銅器時代や青銅器時代を設定する根拠となった。青銅器時代の開始を,一般には前3000年前後に設定しているが,厳密にはこの年代の青銅器は知られていない。…
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※「斧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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