岐阜県南西端の市。2005年3月海津町,南濃(なんのう)町,平田(ひらた)町が合体して成立した。人口3万7941(2010)。
海津市南部の旧町。旧海津郡所属。人口1万5064(2000)。東は木曾川,長良川を隔てて愛知県,西は揖斐(いび)川を隔てて三重県に接する。北隣の旧平田町とともに高須輪中を形成し,全町が標高1m前後の低地からなり,近年は0m以下の地域が増大している。中心集落の高須は,近世は高須藩の城下町で,本町,東町などの町が形成され,六斎市も開かれていた。1700年(元禄13)尾張藩の支藩となり,松平氏が3万石を領した。新田開発は近世を通じて行われたが,とくに慶長期(1596-1615)に盛んであった。現在も本阿弥新田など新田の名がつく地名が多い。1754年(宝暦4)薩摩藩の手で大規模な宝暦治水工事(宝暦治水事件)が行われ,たび重なる水害から守られた。現在は区画整理された美田が広がり,1ha以上を有する大規模農家が多く,トマト,イチゴなどの施設園芸も行われる。油島千本松締切堤は,国の史跡で治水神社があり,一帯は千本松原県立自然公園に指定されている。
海津市北西部の旧町。旧海津郡所属。人口1万7534(2000)。町域は南北に長く,西から三重県境の養老山地,養老断層によって形成された複合扇状地,揖斐川の沖積低地に分かれる。山腹や扇状地では斜面を利用したミカン,カキなどの果樹栽培,低地では米作が行われる。国道258号線の沿線に繊維工業などが立地している。養老山地中腹には行基が創建したと伝える行基寺がある。近鉄養老線が通じ,駒野駅を中心に市街地が発達する。
海津市北東部の旧町。旧海津郡所属。人口8606(2000)。揖斐・長良両川に挟まれた高須輪中の北部を占め,全町が標高1m前後の低地である。町名は宝暦治水工事の総奉行を務めた平田靱負(ゆきえ)の名にちなむ。中心集落の今尾は近世以来揖斐川の河港として発展し,三郷のお千代保稲荷は商業の神として広く信仰を集めた。古くから水害に悩まされたが,1950年に耕地整理,排水施設整備が完成し,地味豊かな米作地帯となった。トマト,イチゴなどの施設園芸や養鶏なども盛んである。
執筆者:上田 雅子
滋賀県高島市にある琵琶湖北西岸の港町の地名。甲斐津,萱津,貝津とも書いた。越前敦賀に至る七里半越の起点であり,畿内と北陸を結ぶ街道に位置し,湖南の大津,堅田との湖上交通は早くから開けて,湖北の要港として知られていた。中世の史料には〈海津東浜十ヵ村,海津西浜十一ヵ村〉とか,〈海津東(浜)荘 海津西(浜)荘〉とみえている。海津東浜は現在の海津,海津西浜は現在の西浜で,このあたりを称して海津荘といっていたようである。開田荘(かいでのしよう)と称せられていたこともあるという。室町時代には幕府の御料所で,海津東荘は饗庭(あいば)氏が代官となっており,海津西荘は在地領主田屋氏の支配下にあった。中世末期から近世初頭にかけて最も発達し,年間30万石の北陸の城米をはじめ多くの物資が輸送されたが,西回り航路の開発とともに通過量は減少し,1680年代には1万石にも達しなかったという。近世においては海津東浜は幕府直轄領,海津中村は加賀藩領,海津西浜は長沼藩領-幕府直轄領-甲斐甲府藩領-大和郡山藩領と変遷した。1872年(明治5)滋賀県に属し,79年海津町,89年西浜村と合併して海津村,1955年マキノ町の大字となる。2006年マキノ町海津として高島市の地名となる。
執筆者:福田 栄次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
岐阜県南西部、海津郡にあった旧町名(海津町(ちょう))。現在は海津市の南東を占める一地域。1955年(昭和30)高須(たかす)町と東江(ひがしえ)村、西江村、大江村、吉里(よしさと)村が合併して海津町と改称。2005年(平成17)平田(ひらた)町、南濃(なんのう)町と合併、市制施行して海津市となる。長良川(ながらがわ)と揖斐川(いびがわ)に挟まれ、大部分が標高1メートル以下の低湿な水郷(すいごう)地域であったが、土地改良や排水機設置などで、かつての輪中の景観は大きく変わった。水田地帯であるが、トマト、キュウリ、観葉植物などの施設園芸も盛んである。中心の高須は、旧揖斐川に沿う高須藩3万石の城下町に由来する。福江には海津温泉がある。旧町域の南端油島(あぶらじま)には、宝暦(1751~1764)の治水を記念する治水神社や県立自然公園に指定される千本松原があり、また千本松原の近くには国営木曽三川公園のセンター施設もあって、多くの観光客が訪れる。
[上島正徳]
『『海津町史』全6巻(1969~1984・海津町)』
岐阜県南西部にある市。2005年(平成17)海津、平田(ひらた)、南濃(なんのう)の3町が合併して市制施行。西と南は三重県、東は愛知県と接する。東端を長良川(ながらがわ)、木曽川(きそがわ)が、中央を揖斐川(いびがわ)が流れている。そのほか市内には大江川、中江川、津屋川、大榑(おおぐれ)川などが流れ、水郷(すいごう)地域を形成している。養老鉄道、国道258号が通じる。水田地帯で米作が盛んであるが、トマト、イチゴなどの施設園芸も行われる。また、西部の養老山地の山麓(さんろく)ではカキ園やミカン園が広がる。海津地区の中心地である高須(たかす)は江戸時代には高須藩3万石の城下町として発展した。また、北部の平田地区の今尾には港が築かれ、河川交通の要衝として商業が栄えた。かつては、水害から守るために輪中(わじゅう)を築き、避難場所として水屋を設けるなど、輪中地帯独特の景観を示していたが、土地改良や排水機設置などにより大きく姿を変えている。市の南端の油島(あぶらじま)には、宝暦(ほうれき)(1751~1764)の治水工事で犠牲になった薩摩藩家老平田靫負(ゆきえ)(1704―1755)らの霊を祀る治水神社や千本松原(県立自然公園)があり、国営木曽三川公園のセンター施設水と緑の館、展望タワーもある。海津地区の福江には海津温泉がある。南濃地区には縄文時代の庭田・羽沢(はざわ)貝塚がある。平田地区の須脇(すわき)にある「お千代保稲荷(おちょぼいなり)」は商売繁盛の神として多くの参拝者を集めている。また、今尾の左義長(さぎちょう)は2月に行われ、県の重要無形民俗文化財に指定されている。なお、海津地区にある歴史民俗資料館では、失われていく輪中の生活や低地農業などの紹介が行われている。面積112.03平方キロメートル、人口3万2735(2020)。
[上島正徳]
『『海津町史』全6巻(1969~1984・海津町)』
滋賀県北西部、高島市マキノ町の一地区。旧海津村。琵琶(びわ)湖北岸にあり、畿内(きない)と北陸の敦賀(つるが)を結ぶ西近江路(おうみじ)の要地、また塩津と並ぶ湖上水運の要港として栄えた。中世末より大型丸子船(まるこぶね)による八か浦連盟の活躍が有名であるが、江戸時代には西廻(にしまわり)航路の発達で衰退した。国道161号が通じる。南端の海津大崎の岩礁は琵琶湖八景に選ばれ、また付近には4キロメートルに渡るサクラ並木がある。
[高橋誠一]
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〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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