湯谷村(読み)ゆだにむら

日本歴史地名大系 「湯谷村」の解説

湯谷村
ゆだにむら

[現在地名]日南町湯河ゆかわ

稲積いなづみ(一一四三・三メートル)の北西麓、北西流する湯谷川沿いに位置し、北は川本かわもと村、西は日野川対岸の多里たり宿。北流する若松わかまつ川が村内で湯谷川に合流する。村名はかつてさこに温泉が出たことに由来し、支村北坂がある(伯耆志)。拝領高は一二八石余、本免は五ツ六分。寛永一〇年(一六三三)の図帳写(日野郡史)に「多里村ノ内湯谷」とみえ、田方一二五石余の等級は上田一町四反余・中田一町九反余・下田二町二反余・下々田三町余、畑方一四石余の等級は上畑四反余・中畑三反余・下畑三反余・下々畑一町四反余、発方の下々畑一反余、切畑一町二反余。


湯谷村
ゆだにむら

[現在地名]川本町湯谷

南佐木みなみさき・北佐木両村の東、三谷みたに川上流域の谷間に立地。高い山はないが、谷は深く掘下げられており、三谷川流域に沖積平野が開けている。ユノダニともいう。天文一〇年(一五四一)正月二八日の小笠原長徳感状(森木家旧蔵文書)によると、周防の杉新左衛門尉の被官が立籠る「湯谷城」を小笠原勢が攻めている。天正八年(一五八〇)一一月吉日の小笠原元枝・長秋願文(武明八幡宮文書)からは、小笠原氏仙岩せんがん庵地蔵(もと仙岩寺山上にあった寺院で、勝軍地蔵が祀られている)に湯谷の「源喜庵」を寄進したことが知られる。


湯谷村
ゆのたにむら

[現在地名]寺井町湯谷

佐野村の北東、手取川南岸に位置。「加賀志徴」に載る郷村名義抄によれば、村名は村内にかつて温泉が出たことに由来し、当地にあった不動院の僧が葦毛馬の首を切り入れたところ湯が出なくなったと伝える。不動院の所在については不明だが、里坊主・ぶつでんなどの地名が残る。

時衆過去帳(清浄光寺蔵)に一四代遊行上人太空に従った僧衆として「加賀国湯谷川」其阿弥陀仏と尼衆珠阿弥陀仏がみえる。永正一三年(一五一六)七月一一日、京都天龍寺末寺妙音みようおん(現松任市)領湯谷村のうちの名田六段に対する能美庄領家政所細木原四郎左衛門尉(畠山順光被官)の押領が停止され、妙音寺に安堵されている(「室町幕府奉行人連署奉書」蜷川家古文書)


湯谷村
ゆたにむら

[現在地名]三朝町湯谷

今泉いまいずみ村の南、竹田たけだ川の上流右岸に位置する。康永三年(一三四四)一二月日の美徳山領温谷別所検注目録(壬生家文書)に「温谷別所」がみえ、当地に比定される。総田数六町一段半のうち岡成三二〇歩・不作一五〇歩・現作田六町七〇歩で、仏神田・人給田を除いた定田三町三段に年貢として合子一千六五〇枚が賦課されている。なお目録の末尾に署名する院主良全は「三徳山領湯谷院主、大師公」の原田良全とされ、原田一族には墓所を湯谷・湯谷別所とするものが数名みられる(「原田氏系図」原田家蔵)


湯谷村
ゆだにむら

[現在地名]福光町湯谷

鳥越砂子谷とりごえすなごだん村の南東にある。「越の下草」によると、養老四年(七二〇)医王いおう山開祖泰澄が当地で近国の病者のために加持を行ったところ一夜にして谷間から湯が湧出したと伝える。村名はこの伝承にちなむものか。元和五年(一六一九)の家高新帳に「ゆたに」とみえ、かんだ総左衛門組に属し、役家数五。正保郷帳では高一一〇石余、田方二町四反余・畑方四町九反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一七五石、免六ツ、小物成は山役八三匁(三箇国高物成帳)。寛政四年(一七九二)の三清元組覚帳(川合家文書)では家数三八(うち頭振二)・人数二〇二、馬一二、肝煎は弥左衛門、組合頭は又吉・五郎兵衛。


湯谷村
ゆだにむら

[現在地名]庄川町湯谷

小牧おまき村の東、庄川東岸にある。里山さとやま七ヵ村の一。村名は当村および北隣湯山ゆやま村の下を流れる庄川河中で湯が湧出することによる(元禄一四年「村名由来書」川合家文書)。元和五年(一六一九)の家高新帳には「ゆの谷」とみえ、金屋組に属し役家数五。寛永一一年(一六三四)の礪波郡拾弐組村名附帳(礪波町村資料)では湯山新村とある。正保郷帳には湯谷村とあり高三三石余、畑方二町二反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高四三石・免七ツ。小物成は山役三六匁・漆役一匁(三箇国高物成帳)。役家数は延宝四年(一六七六)(「礪波郡村肝煎給米図り帳」川合家文書)


湯谷村
ゆだにむら

[現在地名]河原町湯谷

牛戸うしと村の西に位置し、集落は東流する曳田ひけた川北岸の山際にある。北は山越えして高草たかくさ上砂見かみすなみ(現鳥取市)に通じる。拝領高六二石余、本免四ツ一分。津田氏の給地であった(給人所付帳)。「因幡志」では家数二〇。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳では生高一〇一石余、竈数一六。藪役四匁を課されていた(藩史)。安政五年には村内に紙舟二があり、運上銀一四匁が課されていた(「八上郡藪役杣役紙舟運上根帳」木下家文書)湯谷温泉は元文二年(一七三七)弓河内ゆみごうち村の者が薬師のお告げによって開いたといわれ、塩分を含む冷泉であったため、沸して用いた(因州記)


湯谷村
ゆやむら

[現在地名]武生市湯谷町

吉野瀬よしのせ川上流にあって西街道に沿う山村で、南は別所べつしよ村。西方山地に温泉が湧出したことから村名になったという(南条郡誌)。寛正六年(一四六五)六月二一日付の馬借定書(西野家文書)に「湯屋」とみえ、中世以来、西街道の運輸に活躍した山内やまのうち馬借の住む村であった。慶長三年(一五九八)九月の越前府中郡在々高目録には「湯屋村」として高五三・五四一石、先高三七石余・出分一六石余とある。同一一年頃の越前国絵図は「湯屋別所村」高一六一・三五五石と別所村と合わせて記し、正保郷帳より二村に分れる。同郷帳によれば、田方三九石余・畠方一三石余。


湯谷村
ゆだにむら

[現在地名]鳥取市吉岡温泉町よしおかおんせんちよう

村の南、東の細見ほそみ谷と西のほら谷の中間の谷にある。村名は湯村の湯脈が当村の谷から湧出することに由来するという(因幡志)。湯村の枝郷で、天保五年(一八三四)新田村として公式に分立した(藩史)。ただし享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「因幡誌」では湯谷村として記され、高七九石、免五ツ一分、竈数五とある。本免五ツ七分。文政一二年(一八二九)の高草郡中構下札目録帳(奥田家文書)では朱高七八石余・生高八〇石余、物成三七石余、山札役銀三匁五分・藪役銀二匁五分を課されていた。「因幡志」の家数七。


湯谷村
ゆうやむら

[現在地名]牧村下湯谷しもゆうや

飯田いいだ川左岸に位置し、対岸は桜滝さくらたき村、北は上昆子かみひるこ村、南ははら村に接する。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図では「御料所窪田扱ゆや村 下」とあり、本納二石四斗九升八合・縄高六石四斗九升二合、家二軒・七人男女。正保国絵図に村名があり、延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳では高一九石五斗余。天和三年郷帳では二六石一斗余、うち山高一斗九升二合、反別田一町四反余・畑屋敷二町余・山林三反余、家数四。


湯谷村
ゆのたにむら

[現在地名]熊野市五郷いさと町湯谷

桃崎ももざき村の東北、大又おおまた川の支流湯谷川の上流小盆地にある。「紀伊続風土記」に「谷内に昔少く温泉の出し跡あり、村名此より起るといふ」とある。当地は慶長六年(一六〇一)検地帳(徳川林政史蔵)に記される寺谷てらだに村に含まれていた。江戸時代初期北山組に属する。


湯谷村
ゆやむら

[現在地名]鳳来町豊岡とよおか

三輪みわ川の右岸にある。南に橋平はしだいら村があり、東は川を隔てて能登瀬のとせ村に対する。村域中央の鳳液泉の碑は寛政一〇年(一七九八)の建立で、碑面には鳳来寺の僧歇堂の文によって鳳来寺の開山利修仙人がたびたびここの温泉に浴したと伝えている。温泉旅館が建ちはじめたのは、大正一二年(一九二三)鳳来寺鉄道開通後である。


湯谷村
ゆやむら

[現在地名]大和町湯谷

芋川いもかわ村・赤羽あかばね村の北、東は笠倉かさくら山に続く山地、北は板木いたぎ城跡(現北魚沼郡小出町)のあるじよう山、西は雷土いかづち村。正保国絵図に「湯屋村」とあり、高八六石余。天和三年郷帳では高七七石六斗余。


湯谷村
ゆやむら

[現在地名]亀岡市東別院ひがしべついん町湯谷

湯谷ヶ岳の東麓、南は摂津国境、東は倉谷くらだに、北は南掛なんげ万願寺まんがんじの村々に接する山間の村。

かつて村内の東方、万願寺村へ行く路傍に湯壺といわれる石舟があった(現在は万願寺に移転)。昔は温泉が湧き出ていた時があったらしく、地名の起源になったと思われる。

天保一二年(一八四一)の「桑下漫録」によれば高一一〇・二三石、戸数二三、高槻藩領。


湯谷村
ゆだにむら

[現在地名]吉川町湯谷

法光寺ほうこうじ村の南に位置し、湯谷川上流右岸の丘陵地に立地する。中世には吉河上よかわかみ庄に含まれた。慶長国絵図に湯ノ谷とみえる。領主の変遷は吉谷きつたに村と同じ。正保郷帳では田方二三九石余・畑方二八石余。天保郷帳では高三一六石余。田方は定免で四ツ六分五厘(美嚢郡誌)。天明八年(一七八八)の家数三七・人数一六四(「村明細帳」湯谷区有文書)


湯谷村
ゆだにむら

[現在地名]上越市上湯谷かみゆだに

儀明ぎみよう村の南西に位置。正保国絵図によると高二七石余。天和三年郷帳では二五石四斗余、うち山高二升・漆高八升。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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