日本大百科全書(ニッポニカ) 「野宮(能)」の意味・わかりやすい解説
野宮(能)
ののみや
能の曲目。三番目・鬘(かずら)物。五流現行曲。晩秋の嵯峨野(さがの)を訪れた諸国一見の僧(ワキ)は、野宮の旧跡に『源氏物語』の世界を懐かしむ。何百年もの昔の長月(ながつき)七日、伊勢(いせ)神宮に仕える神女に選ばれた娘とともにこの神域にこもる六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)を光源氏(ひかるげんじ)が訪ねていった、その日にあたっていた。生来の強い自我ゆえに光源氏との愛を全うすることのできなかった六条御息所も、あの世で女らしさを取り戻し、この思い出の地に、思い出の日になると毎年やってくる。里女姿のその亡霊(前シテ)は僧に光源氏との恋の経過を語り、身の上を明かして消える。僧の弔いに、ありし日の貴婦人の装いでふたたび現れた六条御息所(後(のち)シテ)は、源氏の正妻の葵上(あおいのうえ)から受けた加茂(かも)の祭の車争いの屈辱を訴えるが、やがて輪廻(りんね)の苦しみを救ってほしいと僧に願う。月の下に美しい思い出の舞が舞われ、かつての愛の日がその心によみがえるが、生死の境にさまよう身を恥じて、彼女の姿はその傷心の象徴である牛車(ぎっしゃ)に乗って消えていく。死の濾過(ろか)によって純粋な女心を取り戻した六条と、それを妄執と冷たく見据えている六条の理性の両面がみごとに描かれ、まろやかな幼なじみの恋の名作『井筒(いづつ)』と並ぶ、恋の幽玄能の最高傑作である。古来世阿弥(ぜあみ)作の説があるが、確証がない。
[増田正造]