金龍寺(読み)こんりゆうじ

日本歴史地名大系 「金龍寺」の解説

金龍寺
こんりゆうじ

[現在地名]高槻市成合

成合なりあいの標高二一〇メートルの山中字内供谷ないくだににある。天台宗、邂逅山紫雲院と号し、本尊普賢菩薩。本堂は昭和二六年(一九五一)比叡山に移されて無住となり、設置されていた仮本堂も同五八年全焼した。延暦九年(七九〇)参議阿部是雄が成合の邂逅たまさか山に一寺を建立し、安満あま寺と称し坊舎一九宇の巨刹であったのを、康保元年(九六四)千観が再興し、邂逅山金龍寺紫雲院と号したという。阿部是雄については「尊卑分脈」や正史にみえないことから、延暦二五年参議となった阿部朝臣兄雄とする見方がある(高槻市史)。千観は相模守橘敏貞の子として延喜一八年(九一八)に生れ、近江三井寺(園城寺)に入って顕密の修学に励み、宮中における仏事に奉仕する内供に選ばれた人物。金龍寺は「日本紀略」康保四年一〇月二四日条にみえ、平安時代を通じ摂津国衙から毎年一千束の稲を供給されていたようである(「摂津国正税帳案」「摂津国出挙帳案」九条家冊子本中右記裏文書)


金龍寺
きんりゆうじ

[現在地名]太田市金山

かな山の南麓にある。大田山と号し、曹洞宗、本尊は釈迦牟尼仏。寺伝によれば、応永年間(一三九四―一四二八)横瀬(新田)貞氏が祖父義貞の廟として越前宅良慈眼たくらじげん(現福井県南条郡今庄町)の大見を開山に迎え創建したといい、また元亨年中(一三二一―二四)に義貞による建立(貞享四年「寺屋敷由緒覚」寺蔵)など由緒には諸説あるが、確実な史料としては「長楽寺永禄日記」永禄八年(一五六五)一月四日条に寺名がみえるので、あるいは由良氏の金山築城(文明元年)、整備後に建てられたものとも考えられる。


金龍寺
きんりゆうじ

[現在地名]府中市元町

もと町の北辺山麓にあり、浄土宗、山号紫雲山、本尊阿弥陀如来。「福山志料」「西備名区」はもと蓮池山吉田よしだ寺と称する天台宗の大寺であったといい、「水野記」は「吉田山興福院金龍寺」として大同元年(八〇六)勧操の建立、本尊は行基作の千手観音とし、元和六年(一六二〇)の洪水で山が崩れ、寺は埋まり住僧も死んだと記し、「古来天台念仏宗学兼也、自山名氏退転寺領寄三百貫、寛永五年為浄土宗也」と記す。


金龍寺
きんりゆうじ

[現在地名]永源寺町君ヶ畑

御池おいけ川北岸山裾にある。蔵皇山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。寺伝によれば初めは惟喬親王が当地に幽棲した時の御殿で、親王が創建した専光せんこう院・般若はんにや院を合併、金龍寺と称したという。のち天台宗となり、寛文年間(一六六一―七三)中興されたとき現宗派に改められた。大皇おおきみ大明神(現大皇器地祖神社)別当寺で、高松たかまつ御所とも称した。享保一一年(一七二六)本堂を再建した際の造営費は諸国の木地屋により勧進されたという。近世初期には全国の木地屋を組織統制することに成功しており、再興勧進もその過程で進められたものであろう。


金龍寺
きんりゆうじ

[現在地名]石狩市新町

石狩川河口左岸に位置する。宝珠山と号し、日蓮宗、本尊は釈迦如来。明治一三年(一八八〇)までは金龍庵と称した。近世蝦夷地に建立された唯一の日蓮宗寺院で、本寺は箱館実行じつぎよう(現函館市)であった。同寺日能は西蝦夷地三ヵ所での末寺建立を一八五八年(安政五年)幕府により許可され(「同役衆進達留」旧幕引継史料)、箱館奉行所の指導によりまず一ヵ所への建立を願うこととなった(「木村時義御用留」木村時義資料)


金龍寺
きんりゆうじ

[現在地名]龍ケ崎市若柴町

太田山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。応永年間(一三九四―一四二八)に新田貞氏が祖父義貞の廟所として上州太田の金山かなやま(現群馬県太田市)に創建。天正一八年(一五九〇)新田氏の一族由良国繁が牛久うしく(現稲敷郡牛久町)に移った時にともに移転、のち新地しんち(現牛久町)に移るが、寛文六年(一六六六)に現在地に移る。


金龍寺
きんりゆうじ

[現在地名]吉野町大字丹治小字垣内

丹治たんじ川の右岸、城山山麓にある。玉宝山大宝院と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。寺伝に義淵(七二八年没)の創立とあり、大和七竜寺の一として伽藍は広壮で、金堂平こんどうだいらに道場を開設した。開基以来法相宗で末寺も数ヵ寺あったが、元弘の乱の兵火に諸堂焼失し、末寺寺禄も消滅したという。


金龍寺
きんりゆうじ

[現在地名]苫前郡苫前町字力昼

苫前町の南部にある。旧力昼りきびる村最古の寺院。玉雲山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。明治二三年(一八九〇)力昼村の鰊建網漁業者金沢友次郎が中心となり、村の有志とともに最初の堂宇を建立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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