八千代(読み)ヤチヨ

デジタル大辞泉 「八千代」の意味・読み・例文・類語

やち‐よ【八千代】

八千年。また、きわめて多くの年代。
「わが君は千代に―にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」〈古今・賀〉

やちよ【八千代】[地名]

千葉県北西部の市。印旛いんば疏水路の新川が貫流。近郊農業が行われ、住宅地・工業地。人口19.0万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「八千代」の意味・読み・例文・類語

やち‐よ【八千代】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 八〇〇〇年。また、ひじょうに多い年代。よろずよ。
      1. [初出の実例]「しほの山さしでのいそにすむ千鳥きみがみよをばやちよとぞなく〈よみ人しらず〉」(出典:古今和歌集(905‐914)賀・三四五)
    2. 植物「いわちどり(岩千鳥)」の異名。《 季語・夏 》
  2. [ 2 ] 千葉県北西部の地名。下総台地にある。かつては酪農が盛んだった。京成本線、東葉高速鉄道が通じ、住宅都市として発展。昭和四二年(一九六七)市制。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「八千代」の意味・わかりやすい解説

八千代(市)
やちよ

千葉県北部にある市。下総(しもうさ)台地上に位置し、印旛(いんば)沼に通じる新川が北から南へ貫流する。1967年(昭和42)市制施行。京成電鉄が通じ、国道16号と296号が交差する。1996年(平成8)東葉高速鉄道(とうようこうそくてつどう)が開通。中心市街の大和田(おおわだ)は佐倉道(さくらみち)(成田街道)の宿場町として栄えた。中世、千葉氏の支配下に置かれ、戦国時代には高木氏が吉橋(よしはし)城、村上氏が米本(よなもと)城を築いたが、江戸時代には佐倉藩領と旗本領に割譲された。第二次世界大戦後は八千代台団地をはじめ勝田台、高津、米本、村上の五大大規模団地が造成され、住宅地開発も進み、急激な人口増加をみた。また、八千代、上高野(かみこうや)、吉橋の工業団地が立地し工業生産も伸びた。台地ではトマト、キュウリのハウス栽培が行われ、都市近郊酪農も盛んである。急激に住宅都市として成長したため、残された山林を保存するべく、市民の森や子供の森が多数開設されている。正覚院(しょうかくいん)の木造釈迦如来立像(しゃかにょらいりゅうぞう)は県指定有形文化財。面積51.39平方キロメートル、人口19万9498(2020)。

[山村順次]

『『八千代市の歴史』全2巻(1979、1986・八千代市)』



八千代(兵庫県)
やちよ

兵庫県中南部、多可郡(たかぐん)にあった旧町名(八千代町(ちょう))。現在は多可町の南西部を占める一地区。1954年(昭和29)多可郡野間谷村と加西郡大和(やまと)村が合併して八千代村となり、1960年町制施行。2005年(平成17)八千代町は加美(かみ)、中(なか)2町と合併して多可町となる。加古川の支流野間川や大和川が東流し、川沿いにわずかに平地が開ける。嘉永(かえい)年間(1848~54)に高野山(こうやさん)から技術を導入して凍り豆腐(高野豆腐)の生産を始め、最盛期の1943年(昭和18)には業者165を数えた。産業はこの凍り豆腐と播州織(ばんしゅうおり)が有名、ほかにシイタケ、イチゴなどの農産物がある。北西にある笠形山は県立自然公園となっている。

[二木敏篤]

『『八千代町史 近世史料編1』(1984・八千代町)』


八千代(町)
やちよ

茨城県南西部、結城郡(ゆうきぐん)にある町。1955年(昭和30)西豊田(にしとよだ)、安静(あんじょう)、中結城(なかゆうき)、下結城(しもゆうき)、川西の5村が合併して八千代村となり、同年三和村の一部を編入、1972年町制施行。平坦(へいたん)な結城台地と鬼怒(きぬ)川旧河道や旧山川沼の低地がある。冬の北西季節風が強い。国道125号が通じる。もとは下総国(しもうさのくに)で、古くは平将門(まさかど)、中世は結城氏、多賀谷(たがや)氏らが領有を争った。近世は古河(こが)藩、下野壬生(しもつけみぶ)藩などに分属。輸送園芸農業が盛んで、ハクサイ生産量は全国トップクラス。メロン、ナシ生産も多い。西山工業団地などに電気機器、食品などの工業も進出したが、市街地は分散、小規模で、菅谷(すげのや)が中心。面積58.99平方キロメートル、人口2万1026(2020)。

[櫻井明俊]



八千代(広島県)
やちよ

広島県中北部、高田郡(たかたぐん)にあった旧町名(八千代町(ちょう))。現在は安芸高田市(あきたかたし)八千代町地区。1955年(昭和30)刈田(かりた)、根野(ねの)の2村が合併して八千代村となり、1960年町制施行。2004年(平成16)吉田(よしだ)、美土里(みどり)、高宮(たかみや)、甲田(こうだ)、向原(むかいはら)の5町と合併、市制施行して安芸高田市となる。旧八千代町は中国山地南部に位置し、町域の中央を国道54号が縦断する。米作や野菜、花卉(かき)栽培が行われ、広島市からの工場進出もみられる。上根峠(かみねだお)(286メートル)は江の川(ごうのかわ)水系と太田川水系の分水界であり、また地盤沈下による断層として地質学上有名。1974年可愛(えの)川に多目的の土師(はじ)ダムが完成。人工湖の八千代湖周辺の観光開発が進められている。

[北川建次]

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百科事典マイペディア 「八千代」の意味・わかりやすい解説

八千代[町]【やちよ】

広島県中部,高田郡の旧町。吉備(きび)高原中にあり,農林業を主とするが,国道54号線で広島市と結ばれ,近年近郊農業に転じ,工場地化も進む。広島市への通勤者も増加。2004年3月高田郡吉田町,美土里町,高宮町,甲田町,向原町と合併し,安芸高田市となる。50.60km2。4158人(2003)。

八千代[町]【やちよ】

兵庫県中部,多可郡の旧町。加古川の支流野間川流域の山地を占める。南部には播州織物工業地域に属する織物工場が多く,播州織を産する。米,野菜,シイタケ,シメジ,木材の生産が盛ん。2005年11月,多可郡町,加美町と合併し町制,多可郡多可町となる。53.07km2。6205人(2003)。

八千代[市]【やちよ】

千葉県北西部,下総(しもうさ)台地上の市。1967年市制。中心市街の大和田は近世以来成田街道の宿場町であった。第2次世界大戦後大規模な住宅団地が造成され,1950年代以降京成電鉄に駅も新設され,東京の住宅都市として発展,1996年に東葉高速鉄道が開通した。工業団地も開発され,金属,一般機器,食品などの工業が盛んである。農村部では昭和初期以来乳牛の飼育を行う。東日本大震災で,市内において被害が発生。51.39km2。18万9781人(2010)。

八千代[町]【やちよ】

茨城県南西部,結城(ゆうき)郡の町。鬼怒(きぬ)川をはさんで下妻市の西に接する。稲作,果樹栽培が盛ん。ハクサイ,メロンの産は県内有数。町の中央部を国道125号線がほぼ東西に通じる。東日本大震災で,町内において被害が発生。58.99km2。2万3106人(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「八千代」の意味・わかりやすい解説

八千代[市] (やちよ)

千葉県北西部,下総台地西部の市。1967年市制。人口18万9781(2010)。中心の大和田は成田街道の宿場町であった。関東大震災後,東京にあった乳業会社の牧場がここに移転したことから酪農地として発展した。近年は市域南部を通る京成電鉄の沿線に八千代台,米本(よなもと),勝田台,村上,高津などの大住宅団地が建設され,東京への通勤者が激増し,県内屈指の人口増加地域となった。また市域の平地林には1960年以降工業団地が造成され,金属・機械工業が立地した。八千代台駅や勝田台駅付近には多数の大型小売店が進出し,一大ショッピングセンターを形成している。96年東葉高速鉄道が開通した。
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八千代[町] (やちよ)

茨城県西部,結城郡の町。人口2万3106(2010)。鬼怒川中流の西岸に位置し,土地はおおむね平たんで地味は肥沃である。東は鬼怒川を隔てて下妻市に接する。1725年(享保10)に飯沼が干拓され,同時に吉田用水が開かれたことから〈飯沼三千町〉といわれる水田が開けた。1967年山川沼の干拓事業が完成し水田面積がふえたが,なお畑地が総面積の半分近くを占める。畑作では第2次大戦後,それまでの養蚕,茶の栽培に代わってハクサイの生産が急増し,全国的な産地になった。スイカなどの野菜,梨の生産も多い。町の中央を東西に通じる国道125号線で下妻市,古河市と結ばれる。
執筆者:


八千代(広島) (やちよ)


八千代(兵庫) (やちよ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八千代」の意味・わかりやすい解説

八千代
やちよ

広島県中部,広島市の北に接する地区。旧町名。 1955年刈田村と根野村が合体して八千代村が発足。 1960年町制。 2004年3月吉田町など5町と合併し,安芸高田市となった。大部分が山地で,米作と野菜の栽培をしてきたが,現在は家具や縫製,自動車部品などの工場が進出している。 1974年に完成した可愛川 (えのかわ) の土師 (はじ) ダムは,中国地方では初めての,分水界をまたいで日本海側から瀬戸内海側へ分水するダムである。国道 54号線が通る。

八千代
やちよ

兵庫県中部,多可町南西部の旧町域。加古川の支流野間川流域にある。 1954年野間谷村と大和村が合体して八千代村となり,1960年町制。 2005年町,加美町と合体して多可町となった。大部分が山地。野間谷は凍り豆腐の本場。大和では播州先染織の機業が行なわれる。北部は笠形山千ヶ峰県立自然公園に属する。

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「八千代」の解説

やちよ【八千代】

秋田の日本酒。酒名は、国家の繁栄と社運隆昌の願いを込めて、国家「君が代」の一節を引用したと伝えられる。「杜氏鶴松」はロングセラーの吟醸酒。ほかに大吟醸酒、吟醸酒、純米酒、普通酒などがある。平成2、20年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は秋田酒こまち、美山錦など。仕込み水は奥羽山脈の伏流水。蔵元の「八千代酒造」は大正4年(1915)創業。所在地は仙北郡美郷町六郷字本道町。

やちよ【八千代】

鹿児島の黒糖焼酎。1次醪(もろみ)、2次醪を米麹で造り、3次仕込みで黒糖を加える。常圧蒸留したあと1年以上熟成させて瓶詰する。原料は黒糖、米麹。アルコール度数20%、25%、30%。蔵元の「西平本家」は大正14年(1925)創業。所在地は奄美市名瀬古田町。

やちよ【八千代】

三重の日本酒。酒名は、子々孫々八千代にわたる繁栄を願って命名。純米酒を中心に醸造。濃醇な味わいが特徴。原料米は主に山田錦。仕込み水は鈴鹿山系の伏流水。蔵元の「小川本家」は明治元年(1868)創業。所在地は津市河芸町一色。

やちよ【八千代】

山口の日本酒。大吟醸酒、純米酒、本醸造酒などがある。原料米は自家栽培の山田錦など。仕込み水は阿武川の伏流水。蔵元の「八千代酒造」は明治20年(1887)創業。所在地は萩市大字吉部下。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

デジタル大辞泉プラス 「八千代」の解説

八千代〔タバコ〕

大蔵省専売局が1915年、大正天皇即位の大礼を記念して発売した紙巻たばこ。

八千代〔焼酎〕

鹿児島県、株式会社西平本家が製造・販売する黒糖焼酎。

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動植物名よみかた辞典 普及版 「八千代」の解説

八千代 (ヤチヨ)

植物。ラン科の多年草,園芸植物。イワチドリの別称

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