千葉県北部にある市。下総(しもうさ)台地上に位置し、印旛(いんば)沼に通じる新川が北から南へ貫流する。1967年(昭和42)市制施行。京成電鉄が通じ、国道16号と296号が交差する。1996年(平成8)東葉高速鉄道(とうようこうそくてつどう)が開通。中心市街の大和田(おおわだ)は佐倉道(さくらみち)(成田街道)の宿場町として栄えた。中世、千葉氏の支配下に置かれ、戦国時代には高木氏が吉橋(よしはし)城、村上氏が米本(よなもと)城を築いたが、江戸時代には佐倉藩領と旗本領に割譲された。第二次世界大戦後は八千代台団地をはじめ勝田台、高津、米本、村上の五大大規模団地が造成され、住宅地開発も進み、急激な人口増加をみた。また、八千代、上高野(かみこうや)、吉橋の工業団地が立地し工業生産も伸びた。台地ではトマト、キュウリのハウス栽培が行われ、都市近郊酪農も盛んである。急激に住宅都市として成長したため、残された山林を保存するべく、市民の森や子供の森が多数開設されている。正覚院(しょうかくいん)の木造釈迦如来立像(しゃかにょらいりゅうぞう)は県指定有形文化財。面積51.39平方キロメートル、人口19万9498(2020)。
[山村順次]
『『八千代市の歴史』全2巻(1979、1986・八千代市)』
兵庫県中南部、多可郡(たかぐん)にあった旧町名(八千代町(ちょう))。現在は多可町の南西部を占める一地区。1954年(昭和29)多可郡野間谷村と加西郡大和(やまと)村が合併して八千代村となり、1960年町制施行。2005年(平成17)八千代町は加美(かみ)、中(なか)2町と合併して多可町となる。加古川の支流野間川や大和川が東流し、川沿いにわずかに平地が開ける。嘉永(かえい)年間(1848~54)に高野山(こうやさん)から技術を導入して凍り豆腐(高野豆腐)の生産を始め、最盛期の1943年(昭和18)には業者165を数えた。産業はこの凍り豆腐と播州織(ばんしゅうおり)が有名、ほかにシイタケ、イチゴなどの農産物がある。北西にある笠形山は県立自然公園となっている。
[二木敏篤]
『『八千代町史 近世史料編1』(1984・八千代町)』
茨城県南西部、結城郡(ゆうきぐん)にある町。1955年(昭和30)西豊田(にしとよだ)、安静(あんじょう)、中結城(なかゆうき)、下結城(しもゆうき)、川西の5村が合併して八千代村となり、同年三和村の一部を編入、1972年町制施行。平坦(へいたん)な結城台地と鬼怒(きぬ)川旧河道や旧山川沼の低地がある。冬の北西季節風が強い。国道125号が通じる。もとは下総国(しもうさのくに)で、古くは平将門(まさかど)、中世は結城氏、多賀谷(たがや)氏らが領有を争った。近世は古河(こが)藩、下野壬生(しもつけみぶ)藩などに分属。輸送園芸農業が盛んで、ハクサイ生産量は全国トップクラス。メロン、ナシ生産も多い。西山工業団地などに電気機器、食品などの工業も進出したが、市街地は分散、小規模で、菅谷(すげのや)が中心。面積58.99平方キロメートル、人口2万1026(2020)。
[櫻井明俊]
広島県中北部、高田郡(たかたぐん)にあった旧町名(八千代町(ちょう))。現在は安芸高田市(あきたかたし)八千代町地区。1955年(昭和30)刈田(かりた)、根野(ねの)の2村が合併して八千代村となり、1960年町制施行。2004年(平成16)吉田(よしだ)、美土里(みどり)、高宮(たかみや)、甲田(こうだ)、向原(むかいはら)の5町と合併、市制施行して安芸高田市となる。旧八千代町は中国山地南部に位置し、町域の中央を国道54号が縦断する。米作や野菜、花卉(かき)栽培が行われ、広島市からの工場進出もみられる。上根峠(かみねだお)(286メートル)は江の川(ごうのかわ)水系と太田川水系の分水界であり、また地盤沈下による断層として地質学上有名。1974年可愛(えの)川に多目的の土師(はじ)ダムが完成。人工湖の八千代湖周辺の観光開発が進められている。
[北川建次]
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千葉県北西部,下総台地西部の市。1967年市制。人口18万9781(2010)。中心の大和田は成田街道の宿場町であった。関東大震災後,東京にあった乳業会社の牧場がここに移転したことから酪農地として発展した。近年は市域南部を通る京成電鉄の沿線に八千代台,米本(よなもと),勝田台,村上,高津などの大住宅団地が建設され,東京への通勤者が激増し,県内屈指の人口増加地域となった。また市域の平地林には1960年以降工業団地が造成され,金属・機械工業が立地した。八千代台駅や勝田台駅付近には多数の大型小売店が進出し,一大ショッピングセンターを形成している。96年東葉高速鉄道が開通した。
執筆者:菊地 利夫
茨城県西部,結城郡の町。人口2万3106(2010)。鬼怒川中流の西岸に位置し,土地はおおむね平たんで地味は肥沃である。東は鬼怒川を隔てて下妻市に接する。1725年(享保10)に飯沼が干拓され,同時に吉田用水が開かれたことから〈飯沼三千町〉といわれる水田が開けた。1967年山川沼の干拓事業が完成し水田面積がふえたが,なお畑地が総面積の半分近くを占める。畑作では第2次大戦後,それまでの養蚕,茶の栽培に代わってハクサイの生産が急増し,全国的な産地になった。スイカなどの野菜,梨の生産も多い。町の中央を東西に通じる国道125号線で下妻市,古河市と結ばれる。
執筆者:千葉 立也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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