農民文学(読み)のうみんぶんがく

精選版 日本国語大辞典 「農民文学」の意味・読み・例文・類語

のうみん‐ぶんがく【農民文学】

〘名〙 農村の風土や生活体験に根ざし、農民独自の立場から主題を展開した文学。日本では明治三〇年代(一八九七‐一九〇六)以後自然主義文学から派生した。長塚節、国木田独歩、真山青果らの作品に始まり、大正末期以後社会主義的な意識を深めつつ、昭和一〇年代(一九三五‐四四)に和田伝、伊藤永之介らによって確立された。

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デジタル大辞泉 「農民文学」の意味・読み・例文・類語

のうみん‐ぶんがく【農民文学】

農村や農民の生活・習俗を素材にした文学。明治30年代以後、自然主義文学から派生。真山青果「南小泉村」、長塚節ながつかたかし」など。
農民の立場に立って自覚的に展開された文学。大正末期から昭和初年にかけて文学運動として発展。小林多喜二「不在地主」など。
[補説]書名別項。→農民文学

のうみんぶんがく【農民文学】[書名]

日本の文芸雑誌。季刊。伊藤永之介、和田つとうらが結成した日本農民文学会の機関誌として、昭和30年(1955)に創刊。昭和31年(1956)には農民文学賞を創設、受賞者には宗谷真爾、草野比佐男などがいる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「農民文学」の意味・わかりやすい解説

農民文学
のうみんぶんがく

農民の生活現実を農民の主体的な立場から表現しようとする自覚が、「文学」一般からとくに「農民文学」という批評精神ないし目的意識を伴った用語を導き出してくるわけだが、もとよりその概念の胎動、成立、展開には歴史的な背景がある。

[高橋春雄]

日本

そういう意味で、日本の近代文学作品のなかに農民や農村が描かれるようになるのはほぼ1900年(明治33)前後、国木田独歩(どっぽ)、田山花袋(かたい)、島崎藤村(とうそん)ら後の自然主義系作家あたりからである。ついで伊藤左千夫(さちお)、長塚節(たかし)ら写生文系の作家も農民の生活や農村の風物を取り上げるようになる。日露戦争後の真山青果(まやませいか)『南小泉村』、中村星湖(せいこ)『少年行(しょうねんこう)』などは当時の代表的な作品で、とりわけ長塚節の『土』は日本農民の典型を描いて農民文学の一つの頂点を示した。その批評文のなかにはすでに「農民小説」などの語も見当たるが、一方、片山正雄の『郷土芸術論』などドイツの「郷土芸術」の紹介も、千葉亀雄や大槻(おおつき)憲二らに受け継がれて次代への伏線となった。大正期に入ると、有島武郎(たけお)や宮沢賢治による優れた農民文学も現れている。

 1923、1924年(大正12、13)のころ、農民文学は農民の立場の主体的な表現を求める文学としていっそう自覚的、意図的になり、農民文学運動として展開する。1922年暮れ、小牧近江(おうみ)、吉江喬松(たかまつ)、山内義雄(やまのうちよしお)、中村星湖らによって企てられたフランスの作家シャルル・ルイ・フィリップ十三回忌記念講演会がきっかけとなって同好の士の糾合が呼びかけられ、これがやがて吉江、中村および犬田卯(しげる)らのほか加藤武雄(たけお)、白鳥省吾(しろとりせいご)、石川三四郎、和田伝(でん)、中山義秀(ぎしゅう)、帆足図南次(ほあしとなじ)、鑓田(やりた)研一、黒島伝治、佐左木俊郎(としろう)らを会員とする農民文芸会に発展、同会編になる『農民文芸十六講』も刊行され、1927年(昭和2)には機関誌『農民』も創刊された。同じころ黒島は別に『地方』(『地方行政』の改題誌)に深くかかわってここをも農民文学運動の一つの拠点としており、また1926、1927年のころには『早稲田(わせだ)文学』『文芸戦線』『文芸』『文章倶楽部(くらぶ)』などが競って農民文学特集号を編み、加藤武雄、木村毅(き)、藤森成吉編の『農民小説集』も出されるなど、大正末・昭和初年の農民文学運動は文壇のかなり深部にまで浸透した。

 運動始発後の農民文学は大地主義、郷土芸術、地方主義、土の芸術、土民芸術等々と称され、総じて反近代主義、反都会文学を標榜(ひょうぼう)していたが、大正末・昭和初年の思想界の混乱は農民文芸会の内側にも持ち込まれて会は分裂を重ね、雑誌『農民』は犬田卯、加藤一夫(かずお)、鑓田研一ら重農主義的な農民自治派によって続刊されていくことになる。一方、立野信之(たてののぶゆき)、中野重治(しげはる)、細野孝二郎本庄陸男(ほんじょうむつお)、江口渙(かん)、黒島伝治、小林多喜二(たきじ)、徳永直(すなお)、上野壮夫(たけお)、壺井繁治(つぼいしげじ)らによってプロレタリア文学運動内で実質的に積み上げられてきた農民文学は、たまたま1930年のハリコフハルキウ)会議で採択された決議に基づいて日本プロレタリア作家同盟内に特設された農民文学研究会を背景に、プロレタリア文学運動の一環として展開、『農民の旗』が編まれたほか、『綿』の須井一(はじめ)(本名谷口善太郎、別名加賀耿二(こうじ))らを送り出した。しかしこれもプロレタリア文学運動自体の壊滅によって曲折し、かえって転向文学や社会主義リアリズムの文学のなかに結実することになる。平田小六(ころく)『囚(とら)はれた大地』、伊藤永之介(えいのすけ)『梟(ふくろう)』ほか、島木健作『生活の探求』、和田伝『沃土(よくど)』、久保栄(さかえ)『火山灰地』などはこのころの作品である。38年には農民文学懇話会が結成されて日中戦争下の農民文学盛行を招き、いわゆる生産文学に傾いた作品も多いが、打木村治、岩倉政治(まさじ)らによる地道な作品もある。

 第二次世界大戦後は、和田伝、伊藤永之介らによって農民文学会が結成され、機関誌『農民文学』も創刊されるが、それとは別に、きだ・みのる、壺井栄、住井すゑ、深田久弥、山代巴、深沢七郎、木下順二、西野辰吉、水上勉らが独自な立場から農民文学に新しい視点を加えている。

[高橋春雄]

外国

外国における農民文学も、おおかた19世紀初めのころからのロマンチシズム以降に現れる。北欧ノルウェーでは、ノーベル賞作家ビョルンソン(1832―1910)が雄大な自然を背景に百姓物語と称される作品群を残し、ハムスン(1859―1952)も『飢え』などの後、自ら農耕に従いつつ『土の恵み』でノーベル賞を受けた。ロシアではツルゲーネフ(1818―1883)やトルストイ(1828―1910)以後、農奴解放期を描いたネベーロフ(1886―1923)、革命前後の農村を直視したエセーニン(1895―1925)、革命随伴作家フセボロド・イワーノフ(1895―1963)らのほか、革命の歴史を民族叙事詩に結晶させてロシア文学の古典と目された『静かなドン』や『開かれた処女地』の作者ショーロホフ(1905―1984)が特筆される。ドイツではフリッツ・ロイター(1810―1874)を先駆けに郷土芸術(ハイマートクンスト)が興り、自然主義的手法で農民の苦闘を描いたグスターフ・フレンセン(1863―1945)の『イェルン・ウール』は、前述のように片山正雄らによっていち早く日本にも紹介された。オーストリアの女流作家エーブナ・エッシェンバハMarie von Ebner-Eschenbach(1830―1916)は『村と城の物語』で小農民を描き、ポーランドのノーベル賞作家レイモント(1867―1925)の『農民』は農民文学の世界的傑作とされる。ルーマニアには圧政下の農民の憤りを描いたコシュブクGeorge Coşbuc(1866―1918)やゴガOctavian Goga(1881―1939)がいた。またスイスには『ウーリ物語』などのゴットヘルフ(1797―1854)、スウェーデンには『地主の家の物語』などで日本にもなじみの深いノーベル賞作家ラーゲルレーブ(1858―1940)がいた。フランスでは農民への共感をこめて田園をたたえた女流作家ジョルジュ・サンド(1804―1876)の『魔の沼』をはじめ、自然主義時代にかけてバルザック(1799―1850)の『農夫』やゾラ(1840―1902)の『大地』が著名である。地方主義(リージョナリズム)が興ると、前述のように日本における農民文学運動興隆の直接的な契機ともなったシャルル・ルイ・フィリップ(1874―1909)らも出る。イタリアではベルガ(1840―1922)の写実的な『田園小説集』や、ファシズムに抵抗して僻村(へきそん)を描いたシローネ(1900―1978)の『雪の下の種子』などが知られる。ポルトガルのカステーロ・ブランコCastelo Branco(1825―1890)にも『ミーニョ物語集』などすぐれた田園小説がある。イギリスでは工芸家であり社会運動家でもあるウィリアム・モリス(1834―1896)が自然や農耕に親しんだ詩人・物語作者として知られ、柳宗悦(むねよし)(1889―1961)の民芸運動にも影響を与えた。アイルランドでは農民生活を対象とした『葦間(あしま)の風』ほかの詩集を残し、劇作家としても著名なイェーツ(1865―1939)や、旅行記『アラン島』で農漁民のことばや生活に素材をみいだした劇作家シング(1871―1909)などが知られる。スコットランドのロバート・バーンズ(1759―1796)も『主としてスコットランド方言による詩集』以下に農民生活を描いて国民詩人と称された。アメリカではソロー(1817―1862)やホイッティア(1807―1892)も記憶されるが、スタインベック(1902―1968)の『怒りの葡萄(ぶどう)』は社会的視野から大資本に追われる農民の死活を描いて評価される。アジアでは中国に古くから陶淵明(とうえんめい)(365―427)の田園詩のような伝統もあるが、茅盾(ぼうじゅん)(1896―1981)の『霜葉は2月の花より紅い』は現代河南の農民を舞台にした佳編。趙樹理(ちょうじゅり)(1906―1970)は『李家荘(りかそう)の変遷』『三里湾(さんりわん)』『霊泉洞(れいせんどう)』などで解放過程や抵抗時代の農民や農村を描いて現代中国文学の代表的作家の一人。中国にはほかにも多くの農民文学遺産がある。インドのプレームチャンド(1880―1936)は『ゴーダーン』ほかでインド農民の生活を克明に描いて知られる。そのほか世界各地にそれぞれの歴史や環境を背景にした特色ある農民文学が成立していることはいうまでもない。

[高橋春雄]

『中井正義『戦後農民文学論』(1967・国文社)』『永松伍一著『日本農民詩史』全5巻(1967~70・法政大学出版社)』『井上俊夫著『農民文学論』(1975・五月書房)』『山田清三郎著『近代日本農民文学史』上下(1976・理論社)』『臼井吉見・小田切秀雄・瀬沼茂樹・水上勉・和田伝編『土とふるさとの文学全集』全15巻(1976~77・家の光協会)』『犬田卯著・小田切秀雄編『日本農民文学史』(1977・農山漁村文化協会)』

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百科事典マイペディア 「農民文学」の意味・わかりやすい解説

農民文学【のうみんぶんがく】

農民の生活を,その自然や習俗をまじえつつ現実的に描く文学。農村生活への親近,農民への共感から発する観察と追求によって描かれたもの(長塚節の《》はこの典型)から,やがて農民の立場に立ち,彼らをとりまく社会的諸関係(とくに農民と地主との諸関係を中心に)を意識的に描き出す,プロレタリア文学運動の流れも現れた。第2次大戦後の農業構造の変化,産業構造の変化によって,現在ではこの用語によって示される主張は多様化している。
→関連項目住井すゑ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「農民文学」の意味・わかりやすい解説

農民文学
のうみんぶんがく

農村の自然,風景,地方色,また農民の生活の実態を描いた文学のこと。農民みずからのつくる文学をもいう。都市文学に対して使われる。日本の近代文学では,真山青果の『南小泉村』 (1907) ,中村星湖の『少年行』 (07) ,長塚節の『土』 (11) ,小林多喜二の『不在地主』 (29) ,和田伝の『沃土』 (37) が有名。

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