出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
古代国家において、各豪族は世襲的職務をもって朝廷に奉仕したが、そのような官人の一団をいう。伴とは、大王の従者(トモ=供)、一団の人々(トモ=友・朋)の双方を意味する語であろう。したがって、伴造=トモノミヤツコもトモであり、部もベとトモの両様に読まれたから上下の区分はなく、大伴(おおとも)氏、物部(もののべ)氏のような大族もその名のようにトモであった。やがて伴造(トモノミヤツコ)―伴(トモ)―品部(シナベ、シナジナノトモ)の身分差が生まれ、官人層を「臣、連、伴造、国造、百八十部」と総称すると、その百八十部(モモアマリヤソノトモ)が伴に該当するようになる。それは伴造のもとで多くの職務に分掌し、それぞれに品部を率い、朝廷の各部局を構成した。
その遺制は、律令(りつりょう)制の伴部(トモベ、トモノミヤツコ)―品部・雑戸(シナベ・ザッコ)として組織された。それによると、伴とは、門部(カドモリ=諸門の守衛)、物部(モノノベ=刑罰)、神部(カンベ=祭祀(さいし))、殿部(トノモリ=殿舎の管理、乗輿(じょうよ)の供進)、掃部(カニモリ=宮廷の清掃)、水部(モヒトリ=水氷の調進)、膳部(カシワデ=食物の調理)、史部(フヒト=記録・文書の作成)、蔵部(クラヒト=倉庫の管理・出納)などのほか、鍛冶(カヌチ)、鞍部(クラツクリ)、錦織(ニシコリ)、陶部(スエツクリ)、呉服(クレハトリ)などの品部を率いる伴もあった。しかし、身分制の変化、品部・雑戸の解放などによって、トモはしだいに一般用語としての従者の意に移行するようになる。
[平野邦雄]
各種の職務を奉じて大和政権に奉仕した官人。伴緒(とものお)・伴造(とものみやつこ)・部(べ)とも深い関連をもち,実態は一定しないが,朝廷の官人を総称して「臣連伴造国造百八十部」と記すことがあり,この「百八十部」に該当するか。殿部(とのもりべ)・水部(もいとりべ)・掃部(かにもりべ)・蔵部(くらべ)・史部(ふひとべ)などの宮内官的職務や,錦部(にしごりべ)・鍛冶部(かぬちべ)など宮廷工房の生産につく例があり,律令制下において各官司の伴部として残った者も多い。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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[政治制度としての氏姓制度]
このような制度は,原始共同体において,氏族や部族が社会の単位となった,いわゆる氏族制度とは異なる。もちろん,氏姓制度の基盤も,血縁集団としての同族にあったが,それが国家の政治制度として編成しなおされ,同族のなかの特定のものが,臣(おみ),連(むらじ),伴造(とものみやつこ),国造(くにのみやつこ),それに百八十部(ももあまりやそのとも)などの地位をあたえられ,それに応ずる氏姓を賜ったところに特色がある。その成立時期は,おそらく5,6世紀をさかのぼらないであろう。…
…〈ばんぞう〉ともいう。伴(とも)は〈友〉であると同時に〈供〉をも意味し,朝廷を代表する大王に奉仕・従属する集団を指すことばで,造はそのかしらの意。日本では,7世紀後半に律令制による国家が成立したが,それに先立つ5~6世紀を中心とした時代は,諸氏族に朝廷の職務を分担させる体制で運営された(氏姓制度)。…
… 日本古代の部の制度は,魏もしくは三国時代の百済の制度を入れたものといわれる。もともと宮廷には伴(とも)・伴緒(とものお)とよばれる官人の一団があり,内廷の職務を分掌していたが,5,6世紀ごろ朝鮮三国から多くの帰化人を迎え,広範な分掌組織をともなう外廷を成立せしめた。その上部に官人の統率者としての臣(おみ)・連(むらじ)・伴造(とものみやつこ)という階層,その下に実務を担当する百八十部(ももあまりやそのとも),そして各職務に応じ生産・貢納に従う品部(しなべ∥しなじなのとも)という,上下の統属関係にもとづくピラミッド型の官司制を成立させたと考えられる。…
※「伴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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