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詔書(しょうしょ)と並んで天皇の意思を下達する、公式令(くしきりょう)勅旨式条に定められた文書様式。勅旨ともいう。詔書との区別について、(1)臨時の場合に詔書、尋常の場合に勅旨、(2)大事に詔書、小事に勅旨、(3)臨時の大事に詔書、尋常の小事に勅旨、(4)宣命(せんみょう)すべきときに詔書、そうでないときに勅旨、をそれぞれ用いるとするなど明法(みょうぼう)家の間でも諸説がある(『令集解(しゅうげ)』公式令詔書式条)。
養老(ようろう)令によれば、勅旨は、五衛府(えふ)・左右内兵庫(ひょうご)に直接伝達される場合を除き、(1)「受勅人」による勅旨の中務(なかつかさ)省への伝達、(2)内記(ないき)による勅旨本文と年月日の起草、(3)中務による天皇への直接覆奏(ふくそう)、(4)天皇の裁可、中務卿(きょう)・大輔(たいふ)・少輔(しょう)の加署、正文を中務省に留め写(うつし)一通を作成、(5)写一通の弁官への送付、(6)史(し)による「奉勅旨如右」以下の部分の起草と加署、(7)大弁・中弁・少弁の加署、これを弁官に留め案とする、(8)弁官での写一通の作成、施行、という手続を経ることになっていた。これに対し大宝(たいほう)令では、(A)勅旨を作成したうえで中務省から弁官を経て施行される方法、(B)中務省で作成した勅旨が弁官を経ることなく直接諸司に下され施行される方法、(C)緊急の施行に際して、勅旨を作成することなく中務省から勅命が諸司に伝達され、のちに正勅旨を作成する方法、の3種があった。養老令では、(B)を廃止し、(A)を基本とし、(C)を例外的措置としたが、(A)の方式の場合、詔書と同様、在京諸司に対しては勅旨に太政官符(だいじょうかんぷ)を副(そ)え、在外諸司に対しては謄(とう)勅官符を作成し頒下(はんか)された。
公式令勅旨式条による書式そのままのものは現存しないが、正倉院には聖武(しょうむ)天皇勅施入願文、孝謙(こうけん)天皇施入勅、淳仁(じゅんにん)天皇東大寺封戸(ふこ)勅などの奈良時代の「勅書」が残されている。平安時代に入ると、宸筆(しんぴつ)の勅書が現れ、また本来、詔書とは異なり、ないはずの「御画日(ごかくじつ)」「御画可(ごかくか)」の有無をめぐり、儀式書でもその書式についての混乱がみられるが、准三后(じゅさんごう)勅書・徽号(きごう)勅書や、摂関などの上表に対する勅答に際しての勅書として引き続き使用されている。
[加藤友康]
天皇の意志またはことば,あるいは律令などに一定の発行手続が定められている勅書。前者の勅が律令制成立以前から行われていたことは《日本書紀》によって知られるが,金石文にも天智7年(668)の船首王後墓誌に,舒明天皇のとき,勅により大仁品を賜ったことが見える。律令制が成立すると,勅授,勅任,勅処分の勅のように,天皇の意志またはことばを意味する場合とともに,公式令に一定の書式と手続が定められた勅書をも指すこととなった。公式令の定める勅書には,勅旨式条による勅旨と飛駅式条による勅がある。養老令によると,勅旨は,勅を受けた人が中務省に宣送し,内記が本文を起草する。天皇に覆奏し,中務卿・大輔・少輔が署名を加え,1通を写して太政官へ送る。太政官では〈奉勅旨如右,符到奉行〉の文言と,年月日,大・中・少弁および史の署名を加え,さらに1通を写して施行する。施行の方法は,京官に対しては勅旨に太政官符をそえ,外官に対しては勅旨を謄(うつ)した太政官符すなわち謄勅符を作成して下すのが原則であった。飛駅下式は,緊急を要する場合の勅の書式を定めたもので,中務卿以下の署名はなく,本文,年月日の次に,発送の時刻と駅鈴の刻数を付記することになっていた。これらの勅は,六国史,《類聚三代格》以下の諸書に多数収載されている。また勅書の原本としては,奈良時代のものとして平田寺文書の天平感宝元年(749)墾田等施入勅書,正倉院所蔵の天平宝字2年(758)大小王真跡帳,同4年の東大寺封戸処分勅書などが現存している。近代に至り1907年に公式令が制定され,勅書には親署の後御璽をおし,皇室の事務に関するものには宮内大臣が年月日を記入して副署し,国務大臣の職務に関するものには内閣総理大臣が年月日を記入して副署することが定められた。
執筆者:柳 雄太郎
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…社会や家族のあり方が変化したため,律が現状に適合しにくい場合もでてきた。たとえば専売制など,国家の経済統制への違反は皇帝の直接的立法たる勅によらざるをえなかった。唐律は宋代まで受け継がれながら,勅は律よりも尊重され,編勅や勅令格式という新しい法典が編纂された。…
…しかるに唐王朝はその中ごろから経済国家に変質し,塩酒の専売を行い,商品にも課税して(商税),その益金たる課利によって財政を支えた。そこで密売や脱税を厳しく取り締まり,半永久的な立法たる律に代わり,臨時に発布した便宜的の勅が主たる刑法となり,もっぱら経済事犯を処罰するために運営された。この勅の規定ははなはだ重いので文面どおりに施行すると濫刑におちいるおそれがあるので,政府はその実施に手心を加えねばならなかった。…
…そこで唐王朝はその中期から変質して,経済国家に生まれ変わった。これとともに法制のうえでも旧来の律では新事態に対応することができなくなり,律に代わって勅が重要な位置を占めることになった。 唐王朝がその新経済政策を遂行するためには,専売品の密売,通行税の脱税などを厳しく取り締まらねばならなかった。…
…それが唐の中期に起こったので,令の精神は実行不能となり,あとに残るのは官制,職制の規程ぐらいである。均田制が崩壊すると政府は専売制度を創設し,その益金によって財政をまかなわねばならなくなり,これに対する密売を取り締まるため峻厳な刑法をその時々に発布し,これを勅と称した。勅の出現により律は骨抜きとなり,宋にいたって法典を総称するに,勅律令格式というが,多くは律を省略して勅令格式と称した。…
※「勅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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