島崎藤村(年譜)(読み)しまざきとうそんねんぷ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「島崎藤村(年譜)」の意味・わかりやすい解説

島崎藤村(年譜)
しまざきとうそんねんぷ

1872(明治5) 2月17日(新暦3月25日)筑摩県第八大区五小区馬籠村(現、岐阜県中津川市馬籠)に誕生。本名は春樹
1881(明治14) 9月兄とともに上京。元数寄屋町(東京・銀座)の泰明学校に転入学
1888(明治21) 6月木村熊二により受洗
1891(明治24) 6月明治学院卒業
1892(明治25) 9月明治女学校の英語教師となる。この年北村透谷らを知る
1893(明治26) 1月『文学界』創刊同人として参加。関西放浪の旅に出る
1896(明治29) 9月東北学院教師として、仙台に赴任
1897(明治30) 8月『若菜集刊行
1898(明治31) 6月『一葉舟』刊行。12月『夏草』刊行
1899(明治32) 4月小諸義塾の教師となる。同月秦フユと結婚
1901(明治34) 8月『落梅集』刊行
1906(明治39) 3月『破戒』を『緑蔭叢書第壱篇』として自費出版前年三女の死亡に続き、この年次女、長女も失う
1908(明治41) 4月『春』連載(~8月)
1909(明治42) 9月『新片町より』刊行
1910(明治43) 1月『家』連載(~5月、下巻は1911年1~11月)。8月妻フユ死去
1913(大正2) 4月同居中の姪こま子との過失を清算するため渡仏
1914(大正3) 5月『桜の実の熟する時』発表(後編は1917年11月~1918年6月)
1916(大正5) 7月帰国
1917(大正6) 4月『幼きものに』刊行
1918(大正7) 5月『新生』発表(~10月、第2部は1919年8~10月)。7月『海へ』刊行
1922(大正11) 4月女性雑誌『処女地』を創刊(~1923年1月)
1926(大正15) 9月『嵐』発表
1928(昭和3) 11月加藤静子と結婚
1929(昭和4) 4月『夜明け前』発表(~1932年1月、第2部は1932年4月~1935年10月)
1935(昭和10) 11月日本ペンクラブ会長就任
1936(昭和11) 7月国際ペンクラブ大会出席のためアルゼンチンへ出発
1937(昭和12) 5月『巡礼』連載(病気中断)
1940(昭和15) 芸術院会員となる
1943(昭和18) 1月『東方の門』連載(~10月)。8月22日執筆中脳溢血で倒れ、永眠。大磯地福寺に埋葬、馬籠永昌寺に分葬

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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