デジタル大辞泉
「曲水の宴」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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きょくすい【曲水】 の 宴(えん)
- 昔、宮中や公卿の邸で、三月上巳(じょうし)の日、のちに三月三日の上巳の節供に行なわれた遊宴の一つ。参会者が庭園の曲水の流れに沿って所々にすわり、上流から流される杯が自分の前を通り過ぎないうちに詩歌を詠じて杯を取り上げ酒を飲み、また、次へ杯を流してやる遊び。終わって別堂で宴を設けて披講した。また、文人を召して催すこともあった。もと中国で行なわれたものを日本に移したという。曲水。曲宴。流觴(りゅうしょう)。巴字盞(はじさん)。ごくすいのえん。めぐりみずのとよのあかり。曲水の飲。曲水流觴(きょくすいりゅうしょう)。《 季語・春 》
- [初出の実例]「五言。三月三日曲水宴、一首」(出典:懐風藻(751))
曲水の宴の語誌
「書紀‐顕宗元年~三年」に記事がみえるほか、「万葉集」巻一九にも大伴家持邸での宴の歌があり、奈良時代には宮廷行事として確立していたとみられる。平城天皇の代に一時中止されたが嵯峨天皇により復活。摂関時代には盛んに行なわれ、私邸でも催されるようになった。
ごくすい【曲水】 の 宴(えん)
- 昔、宮中や公卿の邸で行なわれた遊宴の一つ。三月上巳の日、のちに三月三日の上巳の節供に行なわれた遊宴の一つ。ごくすい。きょくすいの宴。
- [初出の実例]「曲水宴 コクスイノエン」(出典:名目鈔(1457頃)恒例諸公事)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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曲水の宴 (きょくすいのえん)
中国では,陰暦3月上巳の日に禊(みそぎ)をし,汚れをはらい水に流す習俗があった。のちには流れに臨んで宴を開き,杯を浮かべ,その杯が自分の前を流れすぎないうちに詩を作り,詩ができなければ罰杯を飲まされるという遊びに発展した。353年(永和9)東晋の諸名士が山陰(紹興)の蘭亭に集まって,この遊びに興じたことが,そのとき書かれた王羲之の《蘭亭序》とともに後世有名となり,年中行事として固定した。また上巳の日も3月3日ということになった。文献的にはおそらく梁の呉均の《続斉諧記》が最も古いが,つづいて《文選》巻四六に見える,顔延年(延之)と王元長(融)の〈三月三日曲水詩序〉が有名である。《晋書》束晳伝には,逸詩の〈羽觴は波の流れに従う〉という句を引いて,この行事が遠く周公より始まるという。のち各地に杯を浮かべる曲折した流れを作って曲水と称し,この優雅な遊びを楽しんだ。新羅の故都慶州の鮑石亭にも,この遺構があり,日本にも早く伝わっている。
執筆者:福本 雅一
日本
〈ごくすいのえん〉ともいう。中国から入った3月上巳の水辺の祓および曲水の宴は,日本でも奈良・平安時代に盛んにおこなわれ,曲水の宴のために宮廷や貴族の邸宅の庭には池の畔に曲溝が造られた。3月3日が常例となり,曲水流觴(りゆうしよう)が終わって,さらに宴が開かれ,文人各人の詩(和歌)を披講した。平安時代には天皇が清涼殿に出席した。《日本書紀》では顕宗1年を起源としているが,確実な史料の初見は8世紀の聖武天皇のころであり,平城天皇のとき,一時,中止になったが,嵯峨天皇により復活した。摂関時代には内裏の公式行事として,さかんにおこなわれたが,藤原道長の邸においてもおこなわれており,1007年(寛弘4)には雨のときに,殿上の廊に水辺の座を移しておこなっていることが知られる。
執筆者:山中 裕
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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曲水の宴
きょくすいのえん
平安時代に朝廷や公家の間で行なわれた年中行事の一つ。「ごくすいのえん」「めぐりみずのとよのあかり」ともいう。曲水は,山麓,樹林,庭園を曲がりくねって流れる水。3月上巳または 3月3日の桃の節供に,参加者各自が曲水に臨んで着座し,上流から流される杯が自分の前を通り過ぎる前に詩歌を詠じ,杯を取り上げて酒を飲み,別堂で宴を開いて詠んだ詩歌を披講した。『日本書紀』のなかで顕宗天皇1(485)年3月上巳の条に後苑で行なわれたと記されているのが初見。宮廷行事としては,平城天皇の大同3(808)年に一時停止されたあと,村上天皇の康保3(966)年に復活し,貴族の邸宅でも開かれるようになったが,戦国時代には行なわれなくなった。今日では,京都府京都市伏見区の城南宮で 4月29日と 11月3日に,江戸時代に描かれた京都御所の江戸時代の杉戸絵をもとに再現されているほか,福岡県太宰府市の太宰府天満宮で 3月第1日曜日に,天徳2(958)年に太宰大弐の小野好古によって始められたと伝えられる曲水の宴があり,岩手県平泉町の毛越寺(5月第4日曜日)などでも催されている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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曲水の宴
昔、宮中や貴族の屋敷で陰暦三月三日に行われた遊び。庭園に作った曲がりくねった小川に沿って参会者が座り、流されてきた杯が自分の前を通り過ぎないうちに詩歌をよみ、その杯を取って酒を飲んでから、杯を次へ流すもの。
[由来] 紀元前から中国で行われてきた、風流な遊び。中でも、東晋王朝の時代の三五三年に、書家として有名な王羲之が蘭亭という場所で開いたものが、有名。王羲之はそのようすを「蘭亭序」という文章にまとめています。
出典 故事成語を知る辞典故事成語を知る辞典について 情報
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曲水の宴【きょくすいのえん】
中国,隋唐のころ貴族や文人の間で流行した習俗。3月3日の上巳(じょうし)に郊外や庭苑の水辺に出,招魂・祓除(ふつじょ)を行い,流水に酒杯を浮かべ,一定地点(自分の前など)に流れ着くまでに詩をよみ,宴遊した。日本には奈良時代以前,すでに伝来したという。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の曲水の宴の言及
【曲水の宴】より
…【福本 雅一】
[日本]
〈ごくすいのえん〉ともいう。中国から入った3月上巳の水辺の祓および曲水の宴は,日本でも奈良・平安時代に盛んにおこなわれ,曲水の宴のために宮廷や貴族の邸宅の庭には池の畔に曲溝が造られた。3月3日が常例となり,曲水流觴(りゆうしよう)が終わって,さらに宴が開かれ,文人各人の詩(和歌)を披講した。…
※「曲水の宴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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