「書紀‐顕宗元年~三年」に記事がみえるほか、「万葉集」巻一九にも大伴家持邸での宴の歌があり、奈良時代には宮廷行事として確立していたとみられる。平城天皇の代に一時中止されたが嵯峨天皇により復活。摂関時代には盛んに行なわれ、私邸でも催されるようになった。
中国では,陰暦3月上巳の日に禊(みそぎ)をし,汚れをはらい水に流す習俗があった。のちには流れに臨んで宴を開き,杯を浮かべ,その杯が自分の前を流れすぎないうちに詩を作り,詩ができなければ罰杯を飲まされるという遊びに発展した。353年(永和9)東晋の諸名士が山陰(紹興)の蘭亭に集まって,この遊びに興じたことが,そのとき書かれた王羲之の《蘭亭序》とともに後世有名となり,年中行事として固定した。また上巳の日も3月3日ということになった。文献的にはおそらく梁の呉均の《続斉諧記》が最も古いが,つづいて《文選》巻四六に見える,顔延年(延之)と王元長(融)の〈三月三日曲水詩序〉が有名である。《晋書》束晳伝には,逸詩の〈羽觴は波の流れに従う〉という句を引いて,この行事が遠く周公より始まるという。のち各地に杯を浮かべる曲折した流れを作って曲水と称し,この優雅な遊びを楽しんだ。新羅の故都慶州の鮑石亭にも,この遺構があり,日本にも早く伝わっている。
執筆者:福本 雅一
〈ごくすいのえん〉ともいう。中国から入った3月上巳の水辺の祓および曲水の宴は,日本でも奈良・平安時代に盛んにおこなわれ,曲水の宴のために宮廷や貴族の邸宅の庭には池の畔に曲溝が造られた。3月3日が常例となり,曲水流觴(りゆうしよう)が終わって,さらに宴が開かれ,文人各人の詩(和歌)を披講した。平安時代には天皇が清涼殿に出席した。《日本書紀》では顕宗1年を起源としているが,確実な史料の初見は8世紀の聖武天皇のころであり,平城天皇のとき,一時,中止になったが,嵯峨天皇により復活した。摂関時代には内裏の公式行事として,さかんにおこなわれたが,藤原道長の邸においてもおこなわれており,1007年(寛弘4)には雨のときに,殿上の廊に水辺の座を移しておこなっていることが知られる。
執筆者:山中 裕
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…【福本 雅一】
[日本]
〈ごくすいのえん〉ともいう。中国から入った3月上巳の水辺の祓および曲水の宴は,日本でも奈良・平安時代に盛んにおこなわれ,曲水の宴のために宮廷や貴族の邸宅の庭には池の畔に曲溝が造られた。3月3日が常例となり,曲水流觴(りゆうしよう)が終わって,さらに宴が開かれ,文人各人の詩(和歌)を披講した。…
※「曲水の宴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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