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江戸後期に栄えた画派。創始者松村月渓(げっけい)すなわち呉春(ごしゅん)(1752―1811)が、京都四条東洞院(ひがしのとういん)に住していたのでこの名がある。彼は、初め与謝蕪村(よさぶそん)に師事、のち円山応挙(まるやまおうきょ)の画風に強くひかれるが、最後は自らの様式を確立して四条派を創始する。南画の叙情的傾向と円山派の写生的・現実的表現とを総合したような作風で、円山派にかわって京都画壇の中心的勢力をなした。以後、異母弟の松村景文(けいぶん)、門人の岡本豊彦(とよひこ)らが続き、その伝統は明治時代の日本画壇にも影響を及ぼし、竹内栖鳳(せいほう)、幸野楳嶺(こうのばいれい)らを輩出している。
[村重 寧]
円山応挙に学んだ呉春(ごしゅん)を始祖とする江戸時代の画派。広義には円山派と同系だが,画体・画派の性格が異なるので独立させて四条派とよぶ。その名は呉春および松村景文(けいぶん)・岡本豊彦ら多くの門弟が,京都四条近くに住んだことに由来する。応挙の写生画の客観的描写に文人画の洒脱味を加えた画風で,大衆に支持された。呉春以後も画派の隆盛は続き,豊彦門下の塩川文麟(ぶんりん)・幸野楳嶺(ばいれい)・竹内栖鳳(せいほう)らは,明治期の京都画壇で大いに活躍した。
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…江戸中期の画家。四条派の創始者。本姓は松村,通称は文蔵,初名は豊昌,字は允白,伯望。…
…江戸中期に興った絵画の流派。円山応挙が開いた円山派と呉春が興した四条派の総称。18世紀中ごろ狩野派や土佐派をはじめとする伝統的画派は形式化に陥り,また琳派は尾形光琳のあと卓越した画家に恵まれず,創造性を枯渇させていた。…
※「四条派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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