( Tanzania ) アフリカ東部の連合共和国。大陸部のタンガニーカと、ザンジバル島・ペンバ島などからなるザンジバルとで構成される。首都はダルエスサラーム。一九六四年四月に成立したタンガニーカ‐ザンジバル連合共和国が、同年一〇月にタンザニア連合共和国と改称した。チョウジ、綿花、コーヒー、サイザル麻などを輸出する。
基本情報 正式名称=タンザニア連合共和国United Republic of Tanzania 面積=94万5087km2 人口(2010)=4484万人 首都=ダル・エス・サラームDar es Salaam(日本との時差=-6時間),法律上はドドマDodoma 主要言語=スワヒリ語,バントゥー諸語,英語 通貨=タンザニア・シリングTanzania Shilling
東アフリカ、大陸側のタンガニーカとインド洋上のザンジバル(ザンジバル島、ペンバ島など)からなる国。正称はタンザニア連合共和国United Republic of Tanzania。北はケニア、ウガンダ、西はルワンダ、ブルンジ、コンゴ民主共和国(旧、ザイール)、南はザンビア、マラウイ、モザンビークに接し、東はインド洋に面する。面積94万7303平方キロメートル、人口3456万9232(2002センサス)、4492万8923(2012センサス)。首都は法律上はドドマであるが、実質的に首都機能をもつのはダルエス・サラーム。
19世紀なかばには、アフリカ内陸部の探検が活発になるとともに、イギリス、ドイツの両国は東アフリカの植民地化に乗り出した。アフリカの植民地獲得に遅れて参加したドイツは、1884年ペータースCarl Peters(1856―1918)を派遣し、ウサンバラ地方の首長から領土を得た。1886年にはイギリスとドイツが協定を結び、ザンジバル王国の大陸部の領土は海岸地域の幅16キロメートルに限られ、残りは北部をイギリス、南部をドイツに分割した。1888年にはドイツはザンジバル領の海岸地域を租借し、1891年には東アフリカ会社の領土をドイツ政府の保護領に切り替えた。一方イギリスは、1890年ザンジバルを保護領とし、1891年にはマシューズLloyd William Mathews(1850―1901)を初代首相とする立憲政府を発足させた。ドイツは植民地経営のためサイザル麻をアメリカのフロリダから導入し、プランテーションで栽培し、またキリマンジャロ火山山麓(さんろく)ではコーヒー栽培を導入した。さらに、ダルエス・サラームからタンガニーカ湖に至る鉄道の建設に着手し、農産物の輸送を図った。ドイツの進出に対して、すでに19世紀末から沿岸部や内陸のアラブ人やアフリカ人首長は抵抗を示していたが、とくに、1905年ルフィジ川流域地方で起こったマジマジの乱は、初期の最大の抵抗運動であった。この反乱は、ドイツによるワタの強制栽培に対する不満に端を発し、10万~12万の住民の犠牲を出して2年間続いたが、武力で鎮圧された。
◎正式名称−タンザニア連合共和国United Republic of Tanzania/Jamhuri ya Muungano wa Tanzania。◎面積−94万2799km2。◎人口−4493万人(2012)。◎首都−事実上はダル・エス・サラームDar es Salaam(436万人,2012)。公式にはドドマDodoma。◎住民−スクマ,ニャムウェジ,チャガなどバントゥー系アフリカ人が大多数。ほかにマサイなど非バントゥー系アフリカ人,アラブ系との混血,インド系。◎宗教−海岸部を中心にイスラムが多数派。キリスト教も多く,次いでアニミズム,ヒンドゥー教,シク教。◎言語−スワヒリ語,英語(以上公用語),ほかに多数のバントゥー諸語。◎通貨−タンザニア・シリングTanzania Shilling。◎元首−大統領,ジョン・ポンベ・ヨセフ・マグフリJohn Pombe Joseph Magufuli(1959年生れ,2015年11月就任,任期5年)。◎首相−マジャリワKassim Majaliwa Majaliwa。◎憲法−1977年4月制定。◎国会−一院制(定員346,うち239は直接選出,任期5年)(2010)。◎GDP−205億ドル(2008)。◎1人当りGDP−350ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−79.1%(2003)。◎平均寿命−男60.2歳,女62.9歳(2013)。◎乳児死亡率−50‰(2010)。◎識字率−67.8%(2010)。 * *東アフリカの共和国。旧英信託統治領のタンガニーカとザンジバルが1964年統合して結成した連合共和国。本土部のタンガニーカはアフリカ大陸南東部,インド洋に面し,インド洋岸は狭い海岸平野,内陸部は高原地帯。北東部(キリマンジャロ山など),南西部に標高3000mを超える高山がある。ビクトリア湖,タンガニーカ湖があり,ルフィジ川などの主要河川はほぼ東流してインド洋に注ぐ。熱帯気候で,植生は一般にサバンナである。農業が主で,サイザル麻,綿花,コーヒー,カシューナッツ,ヤシ油,チョウジを産する。ダイヤモンド,金などの鉱産がある。 北部にあるオルドバイ遺跡から約200万年前の原人の骨が発見されている。8世紀頃からアラブ人やペルシア人がザンジバル島や沿岸のキルワなどに到来し,豊かな商業都市を築く一方,先住民のバントゥー語と融合し,スワヒリ語を形成した。19世紀前半,マスカット・オマーンのスルタンがザンジバルに本拠を移して王国を建設。さらにタンガニーカにも勢力を伸ばし,象牙,奴隷,チョウジの交易を支配した。タンガニーカには1884年ドイツが進出し,1890年帝国植民地とした。両次大戦を経て国連の信託統治領となり,1961年イギリス連邦内で独立,1962年共和制に移行した。一方ザンジバルは1890年英国保護領となり,1963年スルタンを国王として独立したが,1964年アフリカ人を中心とする革命で人民共和国となり,同年タンガニーカと合邦した。独立以来政権の座にあったニエレレ大統領は1985年勇退し,政治の表舞台から退いた。経済活動は低調だが,民族の多数派支配層が存在しないため主導権争いがなく,政情は安定している。2005年に三選を禁じた憲法に従い,ムカバ大統領が勇退,キクウェテが80%の得票率で大統領に選出された。2010年の大統領選と国民議会選では,島嶼部のザンジバルで与党の革命党(CCM)と野党の国民党(CUF)の勢力が拮抗していたため,大連立工作が進められた。投票の結果,僅差で第一党となったCCMのキクウェテが大統領に,CUFからは副大統領が就任,連立政権となった。2015年の大統領選挙ではマグフリが当選し,大統領に就任した。経済は,1980年代後半以降,世界銀行,IMFの支援で社会主義経済体制から市場経済へと転換,経済改革が推進され,2000年以降は鉱業開発や観光にも力を入れている。貧困の克服が最大の課題で,人口の約7割を占める農業分野の成長と生産性向上が急務である。 →関連項目ウサマ・ビン・ラディン|ンゴロンゴロ保全地域