元旦(がんたん)正月に対して正月15日をいう。女正月ともいい、多くの行事の行われる日である。花正月といわれるように、14日に楊(やなぎ)やヌルデの木を切ってきてそれを削り、小さな花をつくり、粟穂稗穂(あわぼひえぼ)、稲の花などといって飾っておく。また物作りといって木の枝に餅(もち)や団子を刺して座敷に立て、豊作を祈願する。養蚕をやっている所では餅で繭玉(まゆだま)をつくって飾り木に成らせる。王朝時代には主水司(もいとりのつかさ)から七種粥(ななくさがゆ)を献上する儀があったが、民間では小豆粥(あずきがゆ)をたく。この粥をたく前に早稲(わせ)、中稲(なかて)、晩稲(おくて)を表す早中晩3本の竹筒を入れておき、炊き上がり後その中に入っている粥の多少によって作物のできを占っている(粥占(かゆうら))。ほかにこの「世の中ためし」という年穀の豊凶を占うものに、白米を敷いたお膳(ぜん)の上に早中晩の三つの餅をのせ、餅に着いた米粒の多少によってその年の稲のできを占う年占(としうら)の行事も行われる。
小正月の行事には子供の活躍するものが多い。この日は道祖神を祀(まつ)り火焚(た)きをするのであるが、その前に子供たちは家々を回って門松(かどまつ)や正月の飾り物を集めていく。小正月の行事に子供たちの籠(こも)る正月小屋をつくる所が各地にある。子供たちはこの中に泊まって餅を焼いて食べ、鳥追いの歌をうたったりする。サイト小屋という地方が多いが、北陸地方から東北地方の南部では鳥小屋といっている。秋田県ではカマクラという雪小屋の行事が有名である。雪穴の中に水神様を祀っている。サエノカミの火焚きはトンド、サギチョウ、オンベなどのほか、信州ではサンクロウ、北九州ではホッケンギョウといっている。この火に当たると風邪をひかないといい、また習字の紙をくべてそれが高くあがると字が上手になるという。正月14日にヌルデの木などで祝い箸(ばし)とか祝い棒をつくる例が各地にある。ヨメタタキ棒などといって子供が新婦の尻(しり)をこれでたたく。子供ができるまじないという。
小正月には若者が家々を訪れ、お祝いといって簡単な藁(わら)製品などを持って行って餅をもらってくる風習が全国各地にある。晩方に戸をたたいて訪れるのでホトホトとかコトコトとかトタタキとかいい、蓑笠(みのかさ)を着ているのでカセドリという土地もある。土佐ではカユツリといっている。訪問者は顔を隠しているが、水をかけられたりする。秋田県の男鹿(おが)半島のなまはげ、石川県能登(のと)半島のアマメハギ(アマミハギ)などは、青年が蓑を着て鬼の面をかぶり、家々を訪れ、怠け者はいないかといって家中を探し回る。ナマミもアマメも怠け者の足にできる火斑(ひだこ)のことで、それを剥(は)ぎ取って食うといって懲らすので、子供たちは恐れ、おとなしくなる。なお、なまはげやアマメハギは「来訪神:仮面・仮装の神々」を構成する行事の一つとして、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録されている。また小正月には果樹責めという行事がある。主人が斧(おの)を持って、柿(かき)の木などに、「成るか、成らぬか」といい、「成らねば切り倒すぞ」と脅す。すると子供が木の後ろに立って「成ります成ります」と答える。豊熟を期待する呪法(じゅほう)で、イギリスなどでもリンゴの木に対して行われている。
[大藤時彦]
1月15日を中心とする新年の行事。1月1日の大正月に対する呼名。十五日正月ともいう。前夜を十四日年越しといい,年越しの一つに数える。小正月で,正月行事は終わると考えるのが普通である。15日の朝,粥を食べる習慣は全国に広く,小豆粥にしているところが多い。15日の粥は歴史的にも古く,伊勢神宮の《皇太神宮儀式帳》(804)に〈御粥〉とあり,《土佐日記》承平5年(935)の条に小豆粥が見える。この日に用意する粥杖で,女のしりをたたく嫁たたきの風習も,すでに《枕草子》に登場する。15日の粥を用い,作物の作柄を占う粥占(かゆうら)も行われる。一般に豊作を祈願する行事が集中しており,餅花(稲花),粟穂稗穂(あわぼひえぼ),繭玉(まゆだま)など,農作物にかたどった作り物を飾りつけて祝う物作り,初田植などと呼ばれる模擬田植,果樹をなたや粥杖でたたいて豊熟を願う成木責めなどがある。火祭も全国的に見られる。左義長(さぎちよう)とかドンド焼きとかいい,正月飾を集めて燃すが,竹などの材料を調達して,盛大に行うところが多い。東日本では,道祖神祭になっている。子どもの行事で,小屋をつくって生活する場合もある。秋田県のかまくらも子ども小屋の一種で,鳥追やモグラ打ちが行われる地方もある。子どもや若者が,家々を祝って歩く風習も広く,なまはげのように,鬼の姿に仮装した若者が来訪する土地もある。子どもや若者が,宗教的使者の役割を演じている。中国でも,旧1月15日は元宵節(上元)といって,はなやいだ行事の多い日で,その前後には,豊作を願う行事などがあって,小正月と共通する要素が少なくない。小正月には,稲の播種(はしゆ)儀礼の前段に相当する予祝行事が多く,粥杖などもその一例である。中国の暦法の節日にともなう習俗に,播種儀礼の前段が習合して発達した行事が,小正月の中核をなしているようである。
執筆者:小島 瓔禮
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1月15日を中心とする正月行事。モチ正月ともよばれ,満月の望月(もちづき)からきていることから明らかなように,もともと年初の中心的な行事が行われる日で,陰暦を基本とした古い要素を残す。(1)餅花・繭玉(まゆだま)・成木責(なりきぜめ)などの作物の豊穣を予祝する儀礼,(2)豊凶を占う粥占(かゆうら)などの年占(としうら),(3)鳥追や左義長(さぎちょう)などの病気・災厄除けの火祭,(4)人々に祝福を与えるナマハゲのような神の来訪行事が各地で行われる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…米だけの白粥をハレの日に用いることもあるが,アズキを入れるのは,赤飯と同じく,特別な食物のしるしである。小正月の1月15日の朝の粥は小豆粥が多く,《土佐日記》の承平5年(935)1月15日の条にも,〈あづきがゆ〉が見える。《延喜式》によると,宮中では,この日に,米,アワ,キビ,ヒエ,子(みの)(ムツオレグサ),ゴマ,アズキの7種の穀物を入れた〈七種(ななくさ)粥〉を天皇に供えたが,一般の官人には,米にアズキを入れた〈御粥〉をたまわっている。…
…その年の作物の豊穣を予祝する小正月の呪術の一種で,アワやヒエの豊熟したさまを表す作り物。東日本に多い。…
…小正月の諸行事に用いられる棒。ヌルデ,柳,栗などの木を手に持てる長さに切り,一部を削掛けにするなど形状は多様で,男根を模したものもある。…
…元日を中心とする大正月が〈男の正月〉〈男の年取り〉とよばれるのに対して,1月15日を中心とする小正月を〈花正月〉や〈仏の正月〉のほか,〈女の正月〉〈女の年取り〉とよぶ所がある。女の正月とよばれる日や期間は地方によって異なる。…
…【松本 仲子】【鈴木 晋一】
[民俗]
粥はハレの日の食物に用いられる。年中行事では,小正月の1月15日の朝の粥が最も一般的で,すでに伊勢神宮の《皇太神宮儀式帳》(804)に〈御粥〉と見える。この日の粥は小豆粥が多く,《土佐日記》承平5年(935)の条にも見え,宮中でも,一般には小豆粥であったらしい。…
…ハナ,ホダレなどともいう。小正月に神棚や戸口,神社などに飾るが,花が開き,穂が垂れた形には一年の豊作を予祝する意味がこめられている。小正月の〈祝棒(いわいぼう)〉にも削掛けをほどこしたものが多く,ヌルデなどを削掛けにしたものをアワの穂に見たて,〈粟穂稗穂(あわぼひえぼ)〉といって実りを予祝する習俗は東日本に分布している。…
…大晦日から元日にかけての行事に主体があるが,ほぼ1月いっぱい続く。行事の流れは,1日を中心にする大正月と,15日を中心にする小正月とに大別できるが,このほか7日の七日正月,20日の二十日正月を重視する場合もある。12月はすでに正月の始まりで,東北地方北部では,12月中に神仏の年取りがある。…
…盂蘭盆(うらぼん)は仏教受容以前,初秋の満月の晩に行われた魂祭(たままつり)に始まる。正月も小正月の15日のほうに素朴な由緒ある行事が見られる。このことも初春の満月の晩が,初秋のそれに対応する魂祭であったことを示している。…
…一般の家庭の行事と,神社の特殊神事などになっているものとがある。時期は正月,小正月前後,節分の夜,端午の節供,七夕の夜,八月十五夜などで,とくに小正月のころに集中している。方法には集団での競争の結果で占うものと,さまざまな物に現れるしるしによる占いとがある。…
…仮面仮装する者の多くは若者であり,また特別の資格を備えた村人である。仮面仮装来訪神としてよく知られているナマハゲは小正月の晩に鬼面をかぶり,蓑笠にわら靴をはき,木の刃物をもって家々を訪問し,子どもや女たちを威嚇したのち酒食のもてなしをうける。また八重山のいくつかの村にプール(豊年祭)のときに来訪するアカマタ・クロマタは赤や黒の仮面をつけ,木の葉で身体全体をおおった姿で出現し,人々の熱い歓迎をうけたのち,村中の各家をめぐって来たるべき作物の豊穣をもたらすと信じられている。…
※「小正月」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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