川柳(読み)カワヤナギ

デジタル大辞泉 「川柳」の意味・読み・例文・類語

かわ‐やなぎ〔かは‐〕【川柳】

川のほとりにある柳。ふつうネコヤナギをいう。かわやぎ。
ヤナギ科の落葉低木または小高木。葉は互生し、細長い楕円形もしくは披針形で裏が白い。雌雄異株。早春、葉より先に黄白色の花が穂状に咲く。日当たりの良い水辺に生える。→蒲柳の質
番茶の上質なもの。
川柳せんりゅう」を訓読みにした語。柄井川柳からいせんりゅう、または川柳点せんりゅうてんのこと。
[類語]猫柳枝垂れ柳青柳

せんりゅう〔センリウ〕【川柳】

柄井川柳からいせんりゅう
江戸中期に発生した雑俳の一。前句付け付句が独立した17字の短詩で、その代表的な点者であった初世柄井川柳の名による。季語切れ字などの制約はなく、口語を用い、人生の機微や世相・風俗をこっけいに、また風刺的に描写するのが特色。川柳点。狂句。
[類語]狂句雑俳

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共同通信ニュース用語解説 「川柳」の解説

川柳

江戸時代中期に庶民の間で親しまれるようになった文芸。和歌を起源とし、俳諧連歌れんがから分かれて生まれた。俳句が一般的に風景や季節を詠むことが中心であるのに対し、川柳は人間の感情や社会を中心に詠み、うがち、軽み、滑稽が3要素とされる。全日本川柳協会によると、日本の川柳人口は愛好家を含め、少なくとも10万人はいるとみられる。

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精選版 日本国語大辞典 「川柳」の意味・読み・例文・類語

かわ‐やなぎかは‥【川柳・川楊】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 川のほとりにあるやなぎ。ふつう、ネコヤナギをさし、その別名ともする。かわやぎ。かわばたやなぎ。《 季語・春 》
    1. [初出の実例]「檉 楊類 川夜奈支 又牟呂乃木也」(出典:新撰字鏡(898‐901頃))
    2. 「かうぶり柳をみて 河柳いとは緑にあるものをいづれかあけの衣なるらん〈藤原仲文〉」(出典:拾遺和歌集(1005‐07頃か)雑下・五五一)
  3. 茶の銘。番茶の上等のもので、喜撰(きせん)に次ぐもの。
  4. ( かわやなぎの枝で造るところからいう。ただし、多くは箱柳(はこやなぎ)の材が用いられた ) 「ふさようじ(総楊枝)」の異称。
    1. [初出の実例]「坂東が銀杏であてる川柳」(出典:雑俳・柳多留‐五九(1812))
  5. ( 「川柳(せんりゅう)」の訓読み ) 柄井川柳、または川柳点のことをいい、それに川べの柳(やなぎ)の意をかける。
    1. [初出の実例]「末摘花みつの編は川やなぎのいとおかしく」(出典:雑俳・末摘花(1776‐1801)四)

せんりゅうセンリウ【川柳】

  1. [ 1 ]からいせんりゅう(柄井川柳)
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙 ( 「川柳点」の略 ) 江戸中期に発生し、一七音を基準として機智的な表現によって、人事、風俗、世相などを鋭くとらえた短詩型文学。もともと俳諧の「前句付(まえくづけ)」に由来するが、元祿(一六八八‐一七〇四)以降、付味よりも、滑稽、遊戯、うがちなどの性質が拡充された付句の独立が要求されるようになり、一句として独立し鑑賞にたえる句を集めた高点付句集が多く出版され、新しい人事詩、風俗詩となった。享保(一七一六‐三六)頃から、点者の出題に応じた「万句合(まんくあわせ)」が江戸で盛んになり、その点者、柄井川柳が代表的存在であったところから「川柳」の名称が生まれる。文化・文政(一八〇四‐三〇)頃、「狂句」とも呼ばれた。川柳点。
    1. [初出の実例]「仰向いて搗屋(つきや)秋刀魚(さんま)をぶつり食ひ、とは川柳の名句であった」(出典:黄表紙・金々先生造花夢(1794))

かわ‐やぎかは‥【川柳・川楊】

  1. 〘 名詞 〙かわやなぎ(川柳)
    1. [初出の実例]「かはづ鳴く六田(むつた)の川の川楊(かはやぎ)のねもころ見れど飽かぬ川かも」(出典:万葉集(8C後)九・一七二三)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「川柳」の意味・わかりやすい解説

川柳(短詩)
せんりゅう

江戸中期に始まる17音の短詩。雑俳(ざっぱい)の一様式である前句付(まえくづけ)から、付句(つけく)の五・七・五だけが独立して詠まれるようになったもの。人の見逃しがちな、人事・世相・歴史などの断面をおもしろく指摘してみせる句風で、俳諧(はいかい)にも詠み残されたような、ごく卑俗な題材まで、諸事百般余すところなく句の対象とするところが特色である。

[岩田秀行]

名称

前句付の点者、柄井川柳(からいせんりゅう)の号にちなむ。古くは、「前句(まえく)」「川柳点(せんりゅうでん)」「川柳句」「川柳」「柳樽(やなぎだる)」「狂句(きょうく)」などとさまざまによばれていたが、明治以降「川柳」に定着する。なお、「川柳」の呼称は、人名の柄井川柳とも紛らわしく、時代による性格の変化を十全に表しえないため、歴史的には、「前句付」、「川柳風狂句」(この時代までは「雑俳」の一様式)、「新川柳」、「現代川柳」と区別するのが適切であろう。

[岩田秀行]

歴史

前句付

柄井川柳は、1757年(宝暦7)前句付の点者を始める。そして、65年(明和2)に、その前句付入選句のなかから、付句だけでも句意のわかる句を選んだ『柳多留(やなぎだる)』という抜粋付句集が出版され、この前句を省略した付句のみの句集が大好評を博し、やがて川柳評の前句付はしだいに、前句と付句との関連性を希薄にしてゆくようになる。この時期の句は、いわゆる「古川柳(こせんりゅう)」として人口に膾炙(かいしゃ)されている佳句が多いが、その句風は川柳評独自というよりも、これ以前の前句付や同時代の他評前句付、また江戸座(えどざ)の俳諧などと類似の句風である。

  はなれこそすれはなれこそすれ
 子が出来て川の字なりに寐(ね)る夫婦(『川柳評万句合』宝暦8年)
[岩田秀行]

川柳風狂句

1777年(安永6)ごろから、川柳評は前句と付句との関連がなくなり、87年(天明7)からは、前句の出題も完全になくなって、付句だけが単独に詠まれる形式となる。この時期以降は滑稽(こっけい)味の強い句が増え、とくに柄井川柳没後は、狂句とよぶにふさわしい句調となる。表現的には、この時期以降、川柳評独特のものが生まれ、前句題のかわりに、「浅黄裏(あさぎうら)(=野暮(やぼ)な田舎(いなか)侍)」「相模下女(さがみげじょ)(=好色野鄙(やひ)な下女)」「居候(いそうろう)」など、俳諧の季題に相当するような滑稽な類型的表現が定着する。

 居候ある夜の夢に五はい食ひ(『柳多留』82編)
[岩田秀行]

新川柳

1900年ごろ(明治30年代後半)、阪井久良岐(さかいくらき)、井上剣花坊(いのうえけんかぼう)によって、川柳革新運動がおこり、文学的営為としての新川柳が意識される。やがて、川上三太郎(かわかみさんたろう)、前田雀郎(まえだじゃくろう)、村田周魚(むらたしゅうぎょ)、岸本水府(きしもとすいふ)、麻生路郎(あそうじろう)、椙元紋太(すぎもともんた)などの川柳作家が輩出、俳句と並んで川柳は大衆に広まった。

 憧(あこが)れを画(えが)けと空はただ青し     剣花坊
[岩田秀行]

現代川柳

新川柳時代のさまざまな傾向が推し進められ、伝統的傾向、社会諷詠(ふうえい)的傾向、革新的傾向など、その句風はきわめて多様化してきた。とくに前衛的な流派は、俳句や現代詩などと区別がつけがたくなっている。

 母を捨てに石ころ道の乳母車   時実新子(ときざねしんこ)
[岩田秀行]

俳句との相違

川柳と俳句は、五・七・五の同形式であるが、俳句は俳諧の発句(ほっく)が独立したものであり、川柳は雑俳の付句が独立したものである。つまり、俳句のもつ、季語・切れ字の約束、句調の重さなどという特色は、発句の性格を受け継いだものであり、川柳のもつ、自由な題材、句調の軽さ、連用形による終止などの特色は、付句の性格を受け継いだものといえる。

[岩田秀行]

『『潁原退蔵著作集14・15』(1979・中央公論社)』『鈴木勝忠他校注『日本古典文学全集46 黄表紙・川柳・狂歌』(1971・小学館)』『山沢英雄・千葉治校訂『川柳集成』1~8(1985~86・岩波書店)』


川柳(柄井八右衛門)
せんりゅう
(1718―1790)

江戸中期の雑俳点者(ざっぱいてんじゃ)。本名柄井八右衛門(からいはちえもん)。江戸浅草の名主(なぬし)を勤めるかたわら、1757年(宝暦7)前句付(まえくづけ)の点者を始め、『川柳評万句合(ひょうまんくあわせ)』を発刊、その巧みな選句眼は好評をもって迎えられた。さらに、1765年(明和2)に発行された『柳多留(やなぎだる)』は、万句合のなかから、前句を省いても句意のわかりやすいものを抜粋した新企画の句集で、これがいっそう川柳の名を高からしめた。この影響により、川柳の選句はしだいに前句とかかわらぬ傾向となり、ついに前句付から付句(つけく)だけが独立し、「川柳」とよばれる新文芸の誕生をみた。寛政(かんせい)2年9月23日没。享年73。台東(たいとう)区蔵前竜宝寺に葬る。なお、川柳の号は代々継承され、現代まで15代に及ぶ。

[岩田秀行]

『鈴木勝忠著『日本の作家31 無作の指導者柄井川柳』(1982・新典社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「川柳」の意味・わかりやすい解説

川柳 (せんりゅう)

前句付(まえくづけ)から独立した雑俳様式の一つ。川柳風狂句。17音を基本とする単独詠だが,発句(ほつく)のように季語や切字(きれじ)を要求せず,人事人情を対象にして端的におもしろくとらえる軽妙洒脱な味を本領とする。江戸の柄井川柳が《柳多留(やなぎだる)》(初編1765)で前句付の前句を省く編集法をとったため,しだいに付け味よりも付句一句の作柄が問題とされ,やがて5・7・5単独一句で作られるようになり,初代川柳の没後,〈下女〉〈居候〉などの題詠として前句付様式から離脱独立した。〈川柳〉の名称が一般化したのは明治の中ごろからである。

 初代川柳は選句の基準として3分野を設定し,〈高番(こうばん)〉(古事,時代事),〈中番(なかばん)〉(生活句),〈末番(すえばん)〉(恋句,世話事,売色,下女)に分けており,以後,代々の川柳もこれを踏襲している。まさに〈人の挙動(ふるまい),心のよしあし,尊卑の人情,上下の人心の有様,其外,世の事情をざれ句にいへるもの〉(《塵塚談》)であって,世態人情を軽妙にうがち諷する詩風を樹立したが,初代の死と寛政改革とが重なって打撃をうける。〈役人の子はにぎにぎを能(よく)覚え〉(《柳多留》初編),〈坪皿の明くを見て行くしち使〉〈寝ごい下女車がゝりを夢のやう〉(同三編)など,政治,博奕(ばくち),好色の句が《柳多留》の再板本ではさし替えられており,自由な発想も政治的圧力に封ぜられた。さらに天保改革にあたって5世川柳の腥斎佃(なまぐさいたつくり)(1787-1858)は〈敬神愛国,勧善懲悪〉という道徳を至上の目標に掲げるなど,初期の批判的詩精神を消失してしまった。皮肉なことに,川柳風狂句は前句付様式から独立をかちえたと同時に,そのはつらつとしたエネルギーを失ったことになる。しかし狂句人口は増加し,江戸を中心に,北は山形,米沢へ,東は相模,松本,名古屋,飛驒,京,大坂に拠点ができ,全国的な支持を受けて広まったが,やがて知的遊戯におちた狂句をきらい,初代の古川柳への復古をとなえる明治の新川柳運動の標的にされることになる。
雑俳(ざっぱい)
執筆者:

1903年(明治36)井上剣花坊阪井久良伎(くらき)の,川柳は《柳多留》(初編)に戻れという提唱で近代川柳は始まる。2人はそれぞれ《日本》《電報》両新聞に拠って普及につとめた。剣花坊門の村田周魚は《川柳きやり》(1920),川上三太郎は《川柳研究》(1929)を発刊し,久良伎門の前田雀郎は24年丹若会を結成,今井卯木が1909年関西川柳社を創立,西田当百,岸本水府の《番傘》(1913),麻生路郎(じろう)の《川柳雑誌》(1924),椙元(すぎもと)紋太の《ふあうすと》(1929)が生まれるに至った。吟社の数は現在では全国800余社を数えるに至っている。
執筆者:


川柳(人名) (せんりゅう)

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百科事典マイペディア 「川柳」の意味・わかりやすい解説

川柳【せんりゅう】

前句付から独立した雑俳様式で,滑稽(こっけい),諧謔(かいぎゃく),風刺を主旨とする江戸文芸の一種。前句付の点者柄井(からい)川柳の点を川柳点と呼んだが,その高点句集《柳多留》で前句付の前句を省いて,付句を単独で示す編集方針をとったため,付味(つけあじ)より1句独立の作柄に関心がうつり,5・7・5単独1句でつくられるようになった。これがやがて川柳風〈狂句〉と呼ばれ,明治期には〈川柳〉と呼ばれるようになった。発句のような季題,切れ字などの制約がなく,自由な人事詠を可能にしたが,卑俗,また知的遊戯に陥りやすくもある。
→関連項目江戸っ子江戸文学狂句雑俳

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「川柳」の意味・わかりやすい解説

川柳
せんりゅう

江戸時代中期以後,江戸を中心に流行した 17音詩。雑俳の一つである前句付 (まえくづけ) が,その付合 (つけあい) の興味よりも一句としてのおもしろみをねらって独立したもの。名称は,柄井 (からい) 川柳の点じた前句付を「川柳点の前句付」「川柳点」と呼んだのが,同種のもの一般の称となり,大正になって「川柳」に定着。俳句と異なり,季語,切字 (きれじ) の約束がなく,人事万般を題材にし,主として口語を用い,簡潔,滑稽,機知,風刺,奇警を特徴とする。作者は無名の一般庶民で,文化史や庶民言語の資料としても貴重。『川柳評万句合』 (1757) ,『柳多留 (やなぎだる) 』『武玉川 (むたまがわ) 』などの選句集に代表句がみられる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「川柳」の解説

川柳
せんりゅう

雑俳の一種。柄井(からい)川柳が評点した前句付(まえくづけ)「川柳点」の略称。前句付の題(前句)を省略し,付句を独立させたもの。俳諧の発句同様五七五の詩型をもつが,切字や季題などに束縛されず,自由な表現と内容の滑稽さ,風刺性,奇警さを特徴とする。川柳の前身である前句付の最盛期は宝暦~天明年間(1751~89)で,点者も川柳・露丸・机鳥(きちょう)ら二十数名に及び,「万句合」が盛んに刊行され,そのうちの川柳点の佳句が「誹風柳多留(やなぎだる)」「誹風柳多留拾遺」として出版され,川柳の規範となった。化政期以後は内容・句調とも低俗化し,幕末から明治初年に衰微期を迎えるが,明治30年代後半には民衆詩として復活・新生した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「川柳」の解説

川柳
せんりゅう

江戸中期から盛んになった狂句
1757年柄井 (からい) 川柳が点者 (てんじや) (選者)となって前句付 (まえくづけ) (7・7の下句を題として前句5・7・5をつけさせる)の勝句を集めた川柳評万句合 (まんくあわせ) を版行し,以来江戸庶民の間に盛行。俗語体で人情風俗の機微を「うがち」の中でとらえた。最初の川柳集は,彼の選句を集めた『誹風柳多留』で,167編まで刊行され,宝暦・安永・天明(18世紀中期)が最盛期。しかし幕末になると,卑俗になり,技巧のみに走るようになった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川柳」の解説

川柳(5代) せんりゅう

1787-1858 江戸時代後期の川柳作家。
天明7年1月生まれ。江戸佃島の魚問屋,名主。天保(てんぽう)8年ごろ5代川柳を襲名。句案十体と柳風式法をさだめ,晩年,俳風狂句を「柳風狂句」とあらためた。安政5年8月16日死去。72歳。姓は水谷。名は雅好。通称は金蔵。別号に腥斎佃(なまぐさい-たつくり),緑亭,風叟。編著に「狂句百味箪笥」,戯作(げさく)に「遊仙沓春雨草紙」など。

川柳(6代) せんりゅう

1814-1882 江戸後期-明治時代の川柳作家。
文化11年生まれ。5代川柳の長男。江戸佃島の魚問屋。安政5年6代を襲名。柳風狂句の組織「柳風会」を創設した。明治15年6月15日死去。69歳。姓は水谷。通称は金蔵,のち謹。別号にごまめ,和風亭。
【格言など】つまらぬといふはちいさな智恵袋(東京の向島,三囲(みめぐり)神社の句碑)

川柳(10代) せんりゅう

1849-1928 明治-大正時代の川柳作家。
嘉永(かえい)2年生まれ。狂句堂川柳。新聞の狂句選者をつとめ明治39年10代を襲名するが,勤務先の東京浅草区長の汚職事件に連座し41年社中勧告で引退。のち11代の病気引退後,再度10代川柳として復活。大正12年再引退。昭和3年8月11日死去。80歳。本名は平井省三。別号に北窓雪雁。

川柳(9代) せんりゅう

1835-1904 明治時代の川柳作家。
天保(てんぽう)6年生まれ。無名庵川柳。5代の親戚で新聞記者。明治26年全国社中投票により9代を襲名,開祖柄井(からい)氏を再興し,家名をついだ。明治37年4月11日死去。70歳。本名は前島好信。別号に万治楼義母子,緑亭。投票で敗れた小林万吉が別に9代川柳(正風亭)を名のった。

川柳(2代) せんりゅう

1759-1818 江戸時代後期の川柳作家。
宝暦9年生まれ。初代川柳の長男。文化3年2代川柳を襲名。2代の時代に前句付け様式をすて,付け句(五・七・五)の単独詠十七音様式の川柳が確立した。文政元年10月17日死去。60歳。江戸出身。姓は柄井(からい)。名は幸孝。通称は弥惣右衛門,八右衛門。別号に若菜。

川柳(7代) せんりゅう

1825-1891 明治時代の川柳作家。
文政8年生まれ。風也坊川柳。5代の親戚で江戸浅草で煙草(たばこ)商をいとなむ。明治15年社中の推薦で7代を襲名。18年初代川柳百年祭をひらく。19年病気で引退,柳翁と改称。明治24年9月5日死去。67歳。江戸出身。本名は広島久七。号ははじめ得蕪,雪舎など。

川柳(4代) せんりゅう

1778-1844 江戸時代後期の川柳作家。
安永7年生まれ。江戸八丁堀同心。文政7年4代川柳を襲名。みずから「東都俳風狂句元祖」と名のり,川柳を「俳風狂句」と名づけた。天保(てんぽう)8年引退。天保15年2月5日死去。67歳。姓は人見。通称は周助。別号に賤丸,眠亭,風梳庵,柳翁。

川柳(8代) せんりゅう

1820-1892 幕末-明治時代の川柳作家。
文政3年生まれ。江戸谷中の袋物商。5代の門人。明治19年1府3県の社中投票により8代川柳を襲名。柳風狂句の最盛期をきずいた。明治25年10月1日死去。73歳。本名は大久保左金吾,のち児玉環。別号に柳袋,括嚢舎,任風舎。

川柳(3代) せんりゅう

1776-1827 江戸時代後期の川柳作家。
安永5年生まれ。初代川柳の子。2代川柳の弟。文政2年3代を襲名したが,7年引退。文政10年6月2日死去。52歳。江戸出身。姓は柄井(からい)。名は幸造。通称は八蔵,孝達。

川柳(11代) せんりゅう

1865-1917 明治-大正時代の川柳作家。
慶応元年生まれ。深翠亭川柳。東京の根津,深川で酒商をいとなむ。明治42年11代を襲名。大正2年病気で引退。大正6年5月16日死去。53歳。本名は小林釜三郎。初号は昇旭。

川柳(初代) せんりゅう

柄井川柳(からい-せんりゅう)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

飲み物がわかる辞典 「川柳」の解説

かわやなぎ【川柳】


緑茶の一種で、番茶の上等なもの。煎茶用に摘採され、その製造工程でより分けられた少し大きめの葉を用いたものをいうことが多い。◇「かわやぎ」ともいう。

出典 講談社飲み物がわかる辞典について 情報

日本文化いろは事典 「川柳」の解説

川柳

川柳は、五・七・五の十七音からなる定型の短詩の事を指し、ユーモアや風刺〔ふうし〕精神、言葉あそびを基調としています。江戸時代中期頃から、季語も切れ字もない、自由な口語詩として流行しました。

出典 シナジーマーティング(株)日本文化いろは事典について 情報

動植物名よみかた辞典 普及版 「川柳」の解説

川柳 (カワヤナギ)

植物。ヤナギ科の落葉低木,園芸植物。ネコヤナギの別称

出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の川柳の言及

【チャ(茶)】より

…番茶には硬化した茶葉から製造したものと,荒茶再製時に選別したものとがある。川柳(かわやなぎ)は上・中級煎茶から選別された上級番茶であり,ほうじ茶は番茶を茶褐色になるまで加熱したもので,独特のこうばしい香りがある。 釜炒茶は中国で生産される緑茶の大部分を占め,形状,産地などで数十種の銘柄がある。…

【柄井川柳】より

…なお,この定例会のほか,休会中も,角力会や組連主催の五の日興行の〈五五(ごご)の会〉の撰もしたが,彼の名を高めたのは高点付句集《柳多留》であった。単独句鑑賞用のこの句集が,独立詠としての川柳風狂句という新様式を生み,前句付点者川柳は,川柳風狂句の祖と仰がれることになる。ただし,彼の作品は発句3句のみで,作品をもたぬ点者として特異な存在といえる。…

※「川柳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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