日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャルル(5世)」の意味・わかりやすい解説
シャルル(5世)
しゃるる
Charles V
(1337―1380)
バロア朝第3代のフランス王(在位1364~80)。あだ名は賢王le Sage。王家の歴史を軸にフランス史を考える場合、彼は王政の組織者として特筆に値する。祖父フィリップ6世の治世末年と父ジャン(2世)の時代、フランス王政はいわば難破船であった。1356年ポアチエの戦いにイングランド王家の捕虜となった父王の名代として、エチエンヌ・マルセルの乱、ジャクリーの乱を収拾し、続いて60年、イングランド王家とブレチニー・カレーの和約を結んだ。アンジュー‐プランタジネット王家の旧大陸領土の返還の約束と引き換えに、エドワードにフランス王位請求権の放棄を認めさせたこの条約は、まさに「賢王」シャルルの外交的勝利であった。
1364年、虜囚の地で没した父王を継いだシャルルは、王政の立て直しを図った。財政における三大収税体系、すなわち、諸団体に課す一般税(タイユ)、都市の援助金(エード)、塩の専売収益(ガベル)を整備した。戦争会計を切り離し、不時の支出に備えて「王の金庫」を置き、下級身分から人材を登用し、王家官僚の系譜を後代に残した。封建家臣や親族に頼らず、専門家集団に王政をゆだねる発想であった。また、傭兵(ようへい)を主とする王の常備軍を編成し、下級身分から登用した将官ベルトラン・デュ・ゲクランBertrand Du Guesclin(1320?―80)にこれを預け、69年に再開された戦争において、失地の回復を図った。シャルルの改革は、封建王政を絶対王政につなぐものであったといえよう。加えて、首都パリの改造とルーブル宮の造営は、シャルルの王権理念の物的表象であった。
[堀越孝一]