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タンザニア Tanzania

翻訳|Tanzania

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

タンザニア
Tanzania

正式名称 タンザニア連合共和国 United Republic of Tanzania。スワヒリ語では Jamhuri ya Muungano wa Tanzania。
面積 94万5249km2
人口 4594万1000(2013推計)。
首都 ダルエスサラームドドマへの遷都を実施中)。

アフリカ東部,インド洋に臨む国。本土のタンガニーカと島部のザンジバルからなり,北はケニア,ウガンダ,西はルワンダ,ブルンジ,コンゴ民主共和国,南はザンビア,マラウイ,モザンビークと国境を接する。広大な平野や台地が本土の大部分を占め,北東部にアフリカ最高峰のキリマンジャロ山(5895m),北部にアフリカ最大のビクトリア湖,西部にタンガニーカ湖がある。沿岸部は高温多湿,中部の台地は高温乾燥。年降水量は中央台地を除く本土で 750mm,中央台地で 510mm以下。15世紀までアラブ,ペルシアの支配下にあり,ザンジバル島ザンジバルを基地として奴隷貿易が行なわれていたが,1503年ザンジバル地方は一時ポルトガル領となった。18世紀からオマーンがアフリカ東海岸一帯に築いたザンジバル王国の中心となり,1832~56年ザンジバル市がその首都となった。1890年ザンジバルはイギリスの保護領,1891年タンガニーカはドイツ領東アフリカの一部となり別々の歴史をたどるが,1964年4月,当時のザンジバル人民共和国とタンガニーカ共和国が合邦してタンガニーカ=ザンジバル連合共和国を形成,同 1964年10月,現国名に改称した。住民の大部分はバンツー語系(→バンツー諸語)だが,ザンジバルにはアラブ人,インド人,ヨーロッパ人も多数居住。公用語はスワヒリ語と英語。1967年2月には銀行,保険会社,基幹産業を国営化。またタンザニア社会主義(→アフリカ社会主義)の特徴であるウジャマー(スワヒリ語で「友愛」の意)と呼ばれる村落共同体の普及により,国民の大部分を占める農業労働者の生産,加工,販売における共同作業体制を確立,1976年には農業労働者のほとんどがウジャマーに集結した。政治体制は,本土はタンガニーカアフリカ人国民同盟,島部はアフロシラジ党という二元性を保っていたが,1977年2月にタンザニア革命党(チャマチャマピンドゥジ)に合体して解決し,1992年複数政党制への移行を決定。1993年8月,従来のザンジバル自治政府に加えてタンガニーカにも自治政府が成立。連合政府と二つの自治政府が存在することとなった。経済は農業が主体で,主産物は綿花サイザルアサ,コーヒー,カシューナッツ,クローブ,チャ(茶)。ダイヤモンドや金,カオリン,タンザナイトなども産出される。最も重要な輸出品は金で,ほかにコーヒー,カシューナッツ,宝石,繊維製品など。

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デジタル大辞泉の解説

タンザニア(Tanzania)

東アフリカの連合共和国。憲法上の首都はドドマ、実質上の首都はダルエスサラーム。大陸側のタンガニーカと、インド洋上のザンジバルとが1964年に合併して成立。綿花・サイザル麻・コーヒーを産する。セレンゲティ国立公園をはじめ野生動物保護区がある。人口4189万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

タンザニア

◎正式名称−タンザニア連合共和国United Republic of Tanzania/Jamhuri ya Muungano wa Tanzania。◎面積−94万2799km2
→関連項目ウサマ・ビン・ラディンンゴロンゴロ保全地域

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世界大百科事典 第2版の解説

タンザニア【Tanzania】

正式名称=タンザニア連合共和国United Republic of Tanzania面積=94万5090km2人口(1996)=2883万人首都=ダル・エス・サラームDar es Salaam(日本との時差=-6時間)主要言語=スワヒリ語,バントゥー諸語,英語通貨=タンザニア・シリングTanzania Shillingアフリカ大陸の東部にあり,インド洋に面した連合共和国。以前タンガニーカTanganyikaと呼ばれた本土部と,ザンジバルZanzibarと呼ばれる島嶼部よりなる。

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大辞林 第三版の解説

タンザニア【Tanzania】

アフリカ東部、インド洋に面する連合共和国。イギリスから1961年独立した大陸部のタンガニーカと、63年に独立したザンジバル島が64年統合し、現国名に改称。サイザル麻・コーヒー・綿花などを産する。首都ダルエス-サラーム(法律上はドドマ)。住民はバンツー系黒人で、主要言語はスワヒリ語と英語。面積88万4千平方キロメートル。人口3830万( 2005)。正称、タンザニア連合共和国。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

タンザニア
たんざにあ
Tanzania

東アフリカ、大陸側のタンガニーカとインド洋上のザンジバル(ザンジバル島、ペンバ島など)からなる国。正称はタンザニア連合共和国United Republic of Tanzania。北はケニア、ウガンダ、西はルワンダ、ブルンジ、コンゴ民主共和国(旧ザイール)、南はザンビア、マラウイ、モザンビークに接し、東はインド洋に面する。面積88万3749平方キロメートル、人口3456万9232(2002年国勢調査)。首都は法律上はドドマであるが、実質的に首都機能をもつのはダルエス・サラーム。[赤阪 賢]

自然

国土の大部分は標高1000メートル以上の高原からなり、西部にはアフリカ大地溝帯が走り、ビクトリア湖、タンガニーカ湖、マラウイ湖の3湖が国境線上にある。北東部にキリマンジャロ火山(5895メートル)、メルー火山(4565メートル)などの高山が点在し、パレ、ウサンバラ両山脈が走る。南東部にはリビングストン、キペンゲレ両山脈がある。大きな河川に乏しく、パンガニ川、ルフィジ川、ルブマ川などがインド洋に注いでいる。ビクトリア湖にはマラ川、カゲラ川が、タンガニーカ湖にはマラガラシ川が流入する。内陸の河川は乾期には水無川となる。
 気候は、乾期と雨期との区別が明確な熱帯サバンナ気候が卓越する。内陸高原のタボラでは年平均気温23.0℃、年降水量952ミリメートルで、11月から4月が雨期となる。海岸地域やザンジバル島などは熱帯湿潤気候で、ダルエス・サラームでは年平均気温25.8℃、年降水量1109.5ミリメートルに及ぶ。
 植生は一般にサバンナで、アカシアなどマメ科の樹木がイネ科の草原に点在している。キリマンジャロ火山などの高山の斜面には常緑樹林も発達するが、高度差による植生の垂直分布がはっきりしている。動物はトムソンガゼル、ワイルドビースト、シマウマ、キリンなどの草食獣と、それらを追うライオン、チーター、リカオン、ジャッカルなどの肉食獣、さらにゾウ、カバ、サイなど大形の哺乳(ほにゅう)動物がすむ。北部のセレンゲティ国立公園をはじめ10か所の国立公園が設けられ、ほかに17の動物保護区があり、国土の28%が野生動物保護法に基づく動物の保護対象地となっている。キリマンジャロ国立公園など、4か所の地域が世界遺産の自然遺産に登録されている。[赤阪 賢]

歴史

オルドワイ峡谷における化石人類ジンジャントロプス(約180万年前)の発見以来、人類進化の舞台と考えられている。海岸地域は、インド洋のモンスーンを利用した交易によって古くから開け、アラブ、ペルシアとつながりが深く、その一環として中国の陶磁器が伝えられ、ザンジバル島からは唐銭(とうせん)も出土している。8世紀にはザンジバル島や沿岸部のキルワなどにアラブ人が移住し、地元のバントゥー語にアラビア語の語彙(ごい)が取り入れられたスワヒリ語が共通語となり、イスラム教とスワヒリ文化を基調にもつ人々による都市が繁栄した。
 1498年にバスコ・ダ・ガマが喜望峰を回り東アフリカに到達して以来、ポルトガル人が進出し、1503年にザンジバル島はポルトガルの保護下に置かれた。18世紀に入るとアラビア半島のマスカット・オマーンの勢力が進出し、キルワを根拠地として奴隷貿易を開始した。1840年、オマーンのスルタン、セイド・サイードは、ザンジバル島を平定しザンジバル王国をつくった。さらに、その勢力を東アフリカ沿岸部に拡大し、北はソマリアのモガディシオからキルワに至る海岸都市を支配下に置き、内陸はタンガニーカ湖東岸のウジジに至るキャラバン・ルートをつくって奴隷貿易を支配した。1860年にオマーンから独立したザンジバル王国は、奴隷貿易に加えて香辛料の丁子(ちょうじ)の貿易によって繁栄した。
 19世紀なかばには、アフリカ内陸部の探検が活発になるとともに、イギリス、ドイツの両国は東アフリカの植民地化に乗り出した。アフリカの植民地獲得に遅れて参加したドイツは、1884年K・ペーテルスを派遣し、ウサンバラ地方の首長から領土を得た。1886年にはイギリスとドイツが協定を結び、ザンジバル王国の大陸部の領土は海岸地域の幅16キロメートルに限られ、残りは北部をイギリス、南部をドイツに分割した。1888年にはドイツはザンジバル領の海岸地域を租借し、1891年には東アフリカ会社の領土をドイツ政府の保護領に切り替えた。一方イギリスは、1890年ザンジバルを保護領とし、1891年にはマシューズを初代首相とする立憲政府を発足させた。ドイツは植民地経営のためサイザル麻をアメリカのフロリダから導入し、プランテーションで栽培し、またキリマンジャロ火山山麓(さんろく)ではコーヒー栽培を導入した。さらに、ダルエス・サラームからタンガニーカ湖に至る鉄道の建設に着手し、農産物の輸送を図った。ドイツの進出に対して、すでに19世紀末から沿岸部や内陸のアラブ人やアフリカ人首長は抵抗を示していたが、とくに、1905年ルフィジ川流域地方で起こったマジマジの乱は、初期の最大の抵抗運動であった。この反乱は、ドイツによるワタの強制栽培に対する不満に端を発し、10万~12万の住民の犠牲を出して2年間続いたが、武力で鎮圧された。
 第一次世界大戦が始まると、イギリスおよびベルギー領コンゴの軍隊がドイツ領東アフリカを占領し、1919年のベルサイユ講和条約でドイツ領東アフリカの大部分は、イギリスの国際連盟委任統治領となり、タンガニーカとよばれることとなった。タンガニーカは、ケニア、ウガンダとともにイギリス領東アフリカとして統一的な体制下に置かれ、通貨、関税などが共通となった。第二次世界大戦後の1947年、タンガニーカは国際連合の信託統治領となり、イギリスは東アフリカ高等弁務官府を設け、政治、経済、文化の全分野で、ケニア、ウガンダ、タンガニーカの統合をいっそう強化した。しかし、1950年代には、J・K・ニエレレの指導のもとに民族主義運動が発展し、1954年7月タンガニーカ・アフリカ人民族同盟(TANU)が結成され急速に力をつけた。1955年の立法評議会ではアフリカ人、アジア人、ヨーロッパ人が、それぞれ同数の議席をもつに至った。
 ザンジバルでは、1955年にアラブ系のザンジバル民族主義党(ZNP)が、1957年にはアフリカ人のアフロ・シラジ党(ASP)が結成された。1957年の選挙ではASPが立法議会の大多数の議席を獲得した。一方、1959年に結成されたザンジバル・ペンバ人民党(ZPPP)は、イギリスの政策を支持する立場をとった。
 1960年9月の総選挙でTANUは大勝利を収め、1961年12月9日独立を達成した。そして翌62年12月9日、ニエレレを初代大統領とするタンガニーカ共和国が発足した。ザンジバルでは、1961年6月の選挙でZNPとZPPPとの連立政府が成立し、1963年6月に完全な自治を獲得した。ついで同年12月にはスルタンを国王とする立憲君主国として独立した。しかし1964年1月にクーデターが発生、国王は亡命し、ASPのA・A・カルメ大統領を元首とするザンジバル・ペンバ人民共和国が成立した。1964年4月、タンガニーカとザンジバルは統合し、タンガニーカ・ザンジバル連合共和国が発足、同年10月、国名をタンザニア連合共和国と改称し、大統領にはタンガニーカのニエレレ、第一副大統領にはザンジバルのカルメが就任した。[赤阪 賢]

政治・外交

1972年カルメは暗殺され、以後ニエレレ大統領の独裁体制が確立した。ニエレレは非同盟外交を展開し、東西両陣営とも友交関係を維持した。とくに中国との関係は緊密で、1970年から中国の援助でダルエス・サラームとザンビアのカピリ・ムポシを結ぶタンザン鉄道の建設に着手し、1975年に完成した。1967年2月にはアルーシャ宣言を発表し、主要産業の国有化など、アフリカにおける社会主義社会の建設を目ざした。とくに中国の人民公社をモデルにしたウジャマー村を組織し、農村共同体の建設に着手した。また1967年6月、ケニア、ウガンダとともに東アフリカ共同体(EAC)を設立し、関税、運輸などの共同経営を開始した。外交のもう一つの柱はパン・アフリカニズムであり、タンザニアはアフリカ統一機構(OAU。2002年7月アフリカ連合に改組)の創設以来のメンバーとして主導的役割を果たしている。なお、東アフリカ共同体は1997年に事実上消滅したが、2001年にケニア、ウガンダと再結成している。
 一方、1977年2月TANUとASPが合併し、タンザニア革命党(CCM)がタンザニア唯一の政党として結成された。同年4月制定の新憲法では同党の下での社会主義建設をうたっている。大統領は直接選挙で選出され任期は5年、議会は一院制で任期は5年である。ザンジバルは本土とは別個の政府をもち、外交、軍事、通貨以外は単一国家に近い広範な自治機能を保持している。ニエレレは5期21年間大統領の座にあったが、1985年8月引退を表明、同年10月の選挙で副大統領のA・H・ムウィニが大統領に選出された。
 その後、社会主義的政策は徐々に緩和された。1992年5月、憲法改正で複数政党制が導入され、翌年には13の政党が登録を完了した。1995年10月に大統領および国会議員の選挙が複数政党下で初めて実施されたが、投票に混乱が生じたため、11月にダルエス・サラームなどで再選挙が実施された。その結果、本土ではCCMのベンジャミン・ウィリアム・ムカパ科学技術高等教育大臣が第3代の大統領に当選、ザンジバルでは現職の大統領アムールが僅差(きんさ)で再選を果たした。2000年10月の大統領選挙でムカパは再選されたが、ザンジバルでもCCMのアマニ・カルメが大統領に当選した。
 憲法で大統領の3選が禁じられているため、2005年の選挙では、ムカパは退き、CCMのジャカヤ・ムリショ・キクウェテ外務国際協力大臣が大統領に当選した。ザンジバルではカルメが再選を果たしている。[赤阪 賢]

経済・産業

タンザニアの産業の中心は農林・牧畜業であり、国内総生産(GDP)の50%を占める。独立時にはプランテーション農園と自給的農業との二重構造のなかで、食糧は輸入に依存するという問題を抱え、ウジャマー村政策による集団農場化で、植民地経済からの脱却と食糧自給を目ざした。ウジャマー村は8000を超え、ほとんどの農民を組織したが、官僚主義や流通機構の不備などで実効があがらず農民の生産意欲が低下した。
 1983年3月、政府はこの政策の失敗を認め、食糧自給を目標とする新農業政策を発表した。ムウィニ大統領の時代に国際通貨基金(IMF)の構造調整計画を受け入れ、財政赤字の削減などの改革の成功や、インフレ抑制などにより3.9%の経済成長率を示した。しかしなお、貿易収支は1995年で輸出6億8292万ドル、輸入15億4801万ドルで、8億6000万ドル強の大幅な輸入超過となっている。
 輸出商品は、コーヒー、ワタ、丁子、サイザル麻、カシューナッツなどの農産物が中心である。主要貿易相手国は、輸出はドイツ、イギリス、オランダ、輸入はイギリス、ドイツ、日本の順となっている。食糧自給体制を支える農業生産は、1994年にはトウモロコシ215万9000トン、小麦5万9000トンで、干魃(かんばつ)の影響を受けている。鉱産物はダイヤモンド、金などを産するほか、インド洋で天然ガスが発見され、1980年以後国営石油公社が開発に着手している。ザンジバル島、ペンバ島は丁子が特産品で、年間約1万トンを生産し世界の生産高の70%を占めている。[赤阪 賢]

社会・文化

人口はインド洋沿岸部、ビクトリア湖岸、キリマンジャロ山麓に集中しており、おもな都市はダルエス・サラームのほかに、ムソマ、ムワンザ、タンガ、アルーシャなどがあげられる。全体に都市化は進んでおらず、都市人口は全人口の6%にとどまっている。なお、首都のダルエス・サラームからドドマへの移転が決定したが、首都機能の移転はあまり進んでおらず、1996年に議会がドドマに移り、立法府が移転したにとどまっている。
 国内には約120の部族が居住するが、バントゥー語系の農耕民ではスクマが最大で100万を超える人口をもつ。ついでニャムウェジ、マコンデ、ハヤ、チャガが、それぞれ20万を超える。ナイル語系では、マサイ、ダトーガなどの牧畜民が伝統的な生活様式を残している。ケニアとは異なり、有力な部族が政治、経済などで支配的地位を占めることはない。ザンジバル島やペンバ島には、アラブ人のほか、ペルシア人を起源とすると自称するシラジ人が居住している。また、インド人、パキスタン人などのアジア人や、ケニア、ソマリア出身のソマリ人が商業に従事している。
 言語はスワヒリ語を国語と定め、スワヒリ語教育に力を入れている。教育に重点を置く政府の方針によって教育はすべて無償で、小学校への就学率は69%、識字率は68%に達し、アフリカ諸国では高いほうに属する。高等教育機関は師範学校42(1991)の上にダルエス・サラーム大学(学生数5591)ほかがある。宗教は島部や沿岸部はほとんどイスラム教であるが、内陸部ではイスラム教のほかにキリスト教、部族宗教も信じられている。[赤阪 賢]

日本との関係

日本はイギリス、ドイツに次ぐ第三の輸入相手国で、1993年には食糧品、自動車、鉄鋼、機械など1億1125万ドルを輸入したが、輸出はコーヒーなど4102万ドルにとどまり、タンザニアの大幅な入超である。日本からの経済援助は、1993年の政府開発援助が8883万ドルで、キリマンジャロ農業開発センターやキリマンジャロ中小工業開発などがおもなものである。[赤阪 賢]

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