デジタル大辞泉
「中川」の意味・読み・例文・類語
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なか‐がわ‥がは【中川】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙
- ① 三つある川の中間のもの。
- ② 香木の名。分類は真南蛮(まなばん)。香味は苦酸甘鹹。六十一種名香の一つ。特に古くから京極道誉所持の名香として知られる。
- [初出の実例]「中河者自二京極道誉一所レ出之香也」(出典:蔭凉軒日録‐文正元年(1466)閏二月七日)
- [ 2 ]
- [ 一 ] 京都市上京区、鴨川と桂川との中間を流れていた京極川のこと。今出川の下流部。相国寺の東側を南流、今出川通を左折してから寺町通に右折し、二条通で鴨川に注いでいた。歌枕。
- [初出の実例]「この月もやまずふりくらがりて、この中がはも大川もひとつにゆきあひぬべくみゆれば」(出典:蜻蛉日記(974頃)下)
- [ 二 ] 利根川の分流。埼玉県羽生市付近で本流から分かれ、江戸川の西側を並行して南流し、東京都東部で東京湾に注ぐ。上流部の埼玉県では古利根川と呼ばれる。東京都葛飾区高砂付近で新中川が分かれる。全長約八〇キロメートル。
- [ 三 ] 北海道中央部、上川支庁の郡。天塩(てしお)川中流域の山間地。明治二年(一八六九)天塩国の一郡として成立。同四三年上川支庁の所属となる。
- [ 四 ] 北海道中南部、十勝支庁の郡。十勝川の中流域にある。明治二年(一八六九)十勝国の一郡として成立。
- [ 五 ] 名古屋市の行政区の一つ。昭和一二年(一九三七)成立。市南西部にある。東部は中川運河沿いの工業地域。中・西部は住宅地域。
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中川
なかがわ
鹿島川の支流だが、中川のほうが延長距離が長いため、川の総称を中川とよんだ時代もあった。延長一二・八キロ。有明海の近くの犬王袋で鹿島川と合流する。この川も塩田川とともに何回も水害を繰り返してきた。多良岳の北斜面に水源を発し、本城川・木庭川・早ノ瀬川が支流。本城川は西三河内で、木庭川と早ノ瀬川は中川内で中川に合流している。これらは川幅が五―二五メートルの峡谷を流れる小河川であり、本城川の上流には平谷温泉とよばれる単純泉があり、奥平谷は経ヶ岳・多良岳登山の足場とされている。本城には肥前耶馬渓と称される奇岩巨石の絶景地もある。
鹿島平野は中川・鹿島川などによってできた扇状地で、中川はかつては大木庭付近から石木津川付近へ流れていたと考えられる。
鹿島三代藩主鍋島直朝は西三河内から高津原の堤へ水道を築いており、今も灌漑用水として利用されている。
中川
なかがわ
真正町宗慶の各所の自噴水(ガマ水)を集め、さらに同町小柿の湧水をも集めて南流し、穂積町の上本田に入る。旧中山道を経たのち南東流し、下本田・只越・別府・上橋本・柳一色・上穂積を経て、下穂積と祖父江に挟まれた南端で長良川に合流する。中川の東を只越まで並流する糸貫川は河床が高いため、地下にしみこんでガマ水として噴出したが、これをも集めていた。川幅約七、八メートルで、全長八キロの小川であるが水量は豊富である。江戸時代、当川を灌漑用水として利用する一二ヵ村は中川用水組合という井組を設けて共同で運用した。
中川
なかがわ
那珂川水系内川の支流。矢板市北部の高原山剣ヶ峰(一五四〇メートル)東側の八方ヶ原大間々の下斜面の湧水を水源とする。数本の沢を合せて湯沢川をなし、赤滝を経て中川となり、平野を経て泉で天沼川を、矢板で大江川を合せ、矢板市街西で内川に入る。全長約一三キロ。内川と中川・宮川の合流地には沖積地が広がる。上流の赤滝は湯沢川の深山幽谷。その一キロ下流の河岸にある赤滝鉱泉は明治四年(一八七一)開設の素朴な一軒宿の湯治場で、泉質は硫酸カルシウムを主とする無色透明の冷泉で、神経痛・胃腸病・婦人病などに薬効がある。
中川
なかがわ
源を旧春日井郡名塚村・稲生村(現西区)付近に発し、堀川および江川の外側(西方)を南に流れ、下流で江川をも合わせ、熱田新田を経て伊勢湾に注ぐ。長さおよそ八キロ、稲生井筋ともよばれ、中流は笈瀬川(老瀬・負瀬などとも記す)というが、往古、その流域が伊勢の神領であったため、御伊勢川と称したのが初めといわれる。大正年代(一九一二―二六)までは水が清く、鯉・鯰などの魚類を産し、また石造の眼鏡橋(権現橋)などもあったが、昭和五年(一九三〇)水運と排水の便を図って大規模な改修が行われ、笹島貨物駅(中村区)から名古屋港に至る中川運河が完成した。
中川
なかがわ
県東部を南流する利根川水系の河川。大正から昭和にかけての庄内古川の付替え後、現松伏町南端での古利根川への合流点以後ないしは越谷市での古利根川と元荒川の合流点以後を中川とよび習わしたが(東京都に入って以後を中川とよぶこともある)、現在は建設省の呼び方に従い、最上流の島川の一水源、羽生市の羽生地先から島川・庄内古川・古利根川を合せて、東京都で荒川に合流するまでを中川とよぶようになっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中川(町)
なかがわ
北海道中央部、上川(かみかわ)総合振興局管内の町。1964年(昭和39)町制施行。南北に長い町域の大部分は天塩山地(てしおさんち)の山岳地で、天塩川に沿ってJR宗谷(そうや)本線、国道40号が通じ、天塩中川駅付近に市街地が発達する。森林面積は町域の84%に及び大部分が国有林で、木材生産が行われる。1903年(明治36)帝室御料地貸付制度による26戸の小作入植が開拓の始まりである。市街には木材やチップの工場があり、町域中央の佐久付近から北には天塩川のやや広い河谷が広がり、支流の安平志内(あべしない)川の河谷とともに酪農、畑作の農業地域となっている。農業は、町制施行時ごろから国営パイロット事業などにより畑作から酪農への転換が図られ、現在では乳牛と一部肉牛を飼育する酪農が主である。ハスカップワイン、とうもろこしウイスキーなどの地場産品も開発された。アンモナイトやクビナガリュウの化石が発掘され、中川町エコミュージアムセンターに展示されている。面積594.74平方キロメートル、人口1528(2020)。
[岡本次郎]
『『中川町史』(1975・中川町)』
中川(村)
なかがわ
長野県南部、上伊那郡(かみいなぐん)の村。伊那盆地の中央に位置し、天竜川に沿う。1958年(昭和33)天竜川左岸の南向(みなかた)村と右岸の片桐(かたぎり)村が合併して成立。国道153号が通じ、西端をJR飯田線が走る。右岸は段丘面が広く、リンゴ、ナシ、ウメ、カキ、米、トマトなどの農業が行われるが、左岸は伊那山地が迫り耕地が少ない。天竜川の支流小渋(こしぶ)川には多目的ダムの小渋ダムがあり、人造湖畔に小渋湖温泉がある。面積77.05平方キロメートル、人口4651(2020)。
[小林寛義]
中川
なかがわ
埼玉県東部の低地を貫流し、東京湾に注ぐ川。一級河川。流路延長約81キロメートル。一般に上流は古利根川(ふるとねがわ)、庄内(しょうない)古川を含めた漠然としたものであるが、行政的には羽生(はにゅう)市街の南東部を上流端とする。越谷(こしがや)市西部の松伏(まつぶし)付近で古利根川を合流、さらに吉川(よしかわ)市で元荒川をあわせて南下し、八潮(やしお)市を通って東京都葛飾(かつしか)区四つ木付近で荒川に合し、荒川沿いを放水路で南下し、東京湾に注ぐ。一部は葛飾区青戸付近で本流と分かれ、長さ7.8キロメートルの新放水路によって江戸川本流に合流し東京湾に注ぐ。この新放水路を新中川とよんでいる。流路は、かつての利根川下流の三角州部分にあたるため、また大都市河川として大規模な改修がされているため、きわめて複雑である。
[中山正民]
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中川 (なかがわ)
利根川の旧流路。近世以前の利根川の流路の下流部にあたり東京湾に注ぐ。旧利根川筋は埼玉県北東部の羽生市付近から埼玉県,東京都の東部を流れ東京湾に注ぐ延長84kmで,上流を会の川,中流を古利根川,下流を中川という。それぞれの範囲は明確ではないが,《新編武蔵国風土記稿》には,主として現在の埼玉県内は古利根川,東京都内は中川となっており,明治期の地形図にもこれを裏づける表記がみられる。しかし,今日では古利根川と支流の庄内古川との合流点より下流部を中川と呼ぶことはもちろん,さらに庄内古川とその上流域をも含めて中川と呼んでいる。
越谷市東部で元荒川,八潮市南部で綾瀬川と合流する。江戸時代には都県界付近から東流して江戸川に注ぐ大場川,南西流して隅田川に合流する古隅田川を分流していた。かつては下流部の蛇行が著しかったが,1930年に蛇行部を切って荒川放水路とそれに沿う中川放水路が完成,63年には葛飾区高砂から分流し旧江戸川に合流する新中川が完成したため,蛇行部は一部水路として残る。中川沿いには自然堤防が連なり,古くから集落が発達している。中川放水路沿いの地域一帯は地盤沈下が著しく,江東0メートル地帯といわれている。
執筆者:中山 正民
中川[町] (なかがわ)
北海道北部,上川支庁中川郡の町。人口1907(2010)。天塩(てしお)山地北端に位置し,北東部の北見山地との間を天塩川が流れ,町域の大半が山林である。天塩川沿いをJR宗谷本線,国道40号線が通り,天塩中川駅付近に市街地が発達する。1901年帝室御料地に編入され,のち御料地貸付制度により天塩川沿岸に26戸が入植したのが開拓の始まりであった。農地は主として天塩川とその支流安平志内(あべしない)川流域の沖積地に開け,テンサイ,ジャガイモを中心とする畑作と酪農が行われている。特に酪農は規模が拡大しつつある。木材・木製品工業も盛んである。
執筆者:奥平 忠志
中川[村] (なかがわ)
長野県南部,上伊那郡の村。人口5074(2010)。天竜川中流域,伊那盆地中央部に位置する。東部は大部分が伊那山地で占められ,平地は少ない。西部は天竜川西岸の発達した河岸段丘が占め,米作,畜産をはじめ,二十世紀梨を中心とした果樹や野菜の栽培が行われる。天竜川に並行して国道153号線が走るほか,西端をJR飯田線が通じる。北部に陣馬形山(1445m),南部に小渋湖,小渋湖温泉(単純泉,16℃)があり,天竜小渋水系県立自然公園に属する。片桐にある船山城跡は県史跡。
執筆者:萩原 毅
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中川【なかがわ】
利根川の分流。埼玉県羽生(はにゅう)市で利根川から分かれ南流する。上流はかつての利根川の本流で古(ふる)利根川と呼ばれ,早場米地帯をなす。下流は東京都東部を流れ,本流(旧中川)は綾瀬川を合わせて荒川放水路に合流,この地点から中川放水路(中川)が分流し,荒川放水路(荒川)に沿って東京湾に注ぐ。1963年葛飾(かつしか)区高砂で本流から分かれ旧江戸川に合する新放水路(新中川)が完成。
→関連項目三郷[市]|吉川[市]
中川[区]【なかがわ】
愛知県名古屋市西部の区。東部の中川運河沿いは,食品,鉄鋼,金属などの工場,倉庫が密集する工業地帯。南部は低湿な干拓新田地域で,1959年の伊勢湾台風で大被害を受けたが,1970年代には土地区画整備事業が終わって,宅地化が進んだ。関西本線,近鉄名古屋線,名鉄名古屋本線,市営地下鉄東山線,名古屋臨海高速鉄道あおなみ線,名古屋第二環状自動車道,国道1号線が通じる。北東にナゴヤ球場がある。32.02km2。22万1521人(2010)。
中川[町]【なかがわ】
北海道北部,中川郡の町。南北に長く,大半が山地で,天塩(てしお)川中流に沿い集落が発達,宗谷本線が通じる。農業は酪農を主体とするが畑作も行われる。木材の生産も多い。594.74km2。1907人(2010)。
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中川
なかがわ
埼玉県と東京都の東部,関東平野の中部を流れる川。全長 84km。埼玉県羽生市北方の利根川から分流し,南東流して幸手市付近から南流,松伏町で古利根川,吉川市で元荒川と合流,東京都に入って,新中川放水路を分けてのち,中川放水路となって東京湾に注ぐ。かつての利根川の流路で,上流部は島川,中流部は庄内古川,下流部は古利根川の流路にもあたっている。古くから氾濫を繰返し,江戸時代以降たびたび改修された。流域の農業用水源であるほか,工業用水としても取水される。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報