改訂新版 世界大百科事典 「寺事」の意味・わかりやすい解説
寺事 (てらごと)
仏教で道場を設けて本尊を勧請し,あるいは仏堂を道場とし,僧侶または尼僧が主体となってとり行う行事。この場合,行事の催行目的を明確に表明し達成するにふさわしい儀式-法要-を中核に据えて構成される。従来,法会,法事,仏事,法要,法儀などの用語に拠っていたが,それぞれの概念規定が不統一であったため,近年,仏事を芸能の側から研究する横道万里雄によって造語された。寺事の催行目的は,三宝の供養をはじめ自行・利他にいたるまで広範に及び,その分類項を挙げれば慶祝,祈願,追福,報恩,懺悔(さんげ),修善,修学,修行,伝戒,伝法など多岐にわたる。また,同一宗派の同一目的による行事でも,個々の状況に応じて規模の大小や軽重の度合は一律ではない。総じて,日々行事,月例行事のように日常性のあるものは小規模・簡略に,特殊な年中行事,臨時的な行事は大規模・盛大に執行される。
寺事と法要
寺事の中核となる法要は,何曲かの声明(しようみよう)と,特定の修法(しゆほう)や読経などを組み合わせて構成されている。その組合せ方によって種々の意義を表明しうるわけであり,これに礼拝や行道(ぎようどう),呪法(呪師)などの所作を加えて,より意義を鮮明にし,儀礼としてのかたちを整えている。数多くの法要形式の中には,8世紀にすでに完成していたものもあり,現代の制作になる新しい法要形式もある。諸種の法要形式は,そのすべてが汎宗派的に用いられるわけではない。宗派ごとにそれぞれの理念を異にしているから,その理念に基づいて用いられる法要形式も,いくつかの宗派に共通して用いられるものもあり,特定宗派でのみ用いられるものもある。前者の場合も,法要の組立て方や唱句など,ある一部分に自宗の独自性を盛り込んでいることが多い。またこれらの法要形式の中には,(1)多目的に勤修しうるものも,(2)特定の目的にのみ用いられるものもある。以下はその代表的な具体例である。
諸宗派共通で(1)に属するものとしては四箇法要(しかほうよう)・講経論義(こうきようろんぎ)法要などがあり,(2)に属するものとしては,祈願を目的とする大般若転読(だいはんにやてんどく)法要・悔過(けか)法要(悔過作法),仏祖・先人の供養を目的とする懺法(せんぼう)法要・講式法要,修身を目的とする布薩(ふさつ)法要,学識試第を目的とする竪義(りゆうぎ)論義法要(竪義,論義)などがある。また特定宗派のみで用いられ(1)に属するものに,真言宗の理趣三昧(りしゆざんまい)法要・大曼陀羅供(だいまんだらく)法要,天台宗の曼陀羅供法要,浄土真宗の念讃法要などがあり,(2)に属するものに,祖師供養を目的とする天台宗の御影供(みえく)法要,浄土宗の御忌(ぎよき)法要,浄土真宗の大師影供(だいしえいぐ)作法など,また願生浄土を目的とする浄土宗の十夜(じゆうや)法要,春迎えを目的とする時宗の別時念仏(べつじねんぶつ)法要などがある。このほか各宗派それぞれに,所依の経典読誦を目的とする法要形式の種々があり,また天台,真言両宗には密教修法による法要の諸形式がある。
以上のように,法要による勤修目的の表現は必ずしも単一ではないし,一つの目的を表現するための手段も一通りではないから,汎宗派的な共通行事でも,勤修法要は必ずしも同一ではない。宗派が異なる場合はもちろん,同一宗派でも同一の行事に異なる法要を勤修する場合がある。たとえば,釈迦涅槃(ねはん)の供養を目的とする涅槃会に,講経論義法要,講式法要あるいは読経法要などが,寺々の事情と判断で勤修されたり,年の初めの祈願を目的とする修正会(しゆしようえ)に,四箇法要,悔過法要,大般若転読法要などがそれぞれに勤修される類である。また反面,多宗派に共通の法要形式を同一の目的で勤修する場合でも,行事の名称は必ずしも同一とはならない。たとえば,僧侶の学識試第を目的として竪義論義を勤修する場合,行事の名称を華厳宗では方広会(ほごえ),法相宗では慈恩会(じおんね),天台宗では法華大会(ほつけだいえ),真言宗豊山派では伝法大会(でんぽうだいえ)(伝法会)と称する類である。
寺事の規模と法要のかたち
寺事催行の規模はさまざまである。1日限りのものから3日,5日,一七日(いつしちにち),二七(にしち)日,場合によっては1ヵ月,2ヵ月にわたるものもある。行事の規模の大小は,ほぼ法要の規模の大小に比例する。通常数人から20人前後の僧侶によって一座(座は法要の数を表現する数詞)の法要が勤修されるが,盛儀になると100人,200人,場合によっては300人前後が出仕することもある。古くは千僧供養,万僧供養と称して多数の僧侶が出仕し,数による功徳を願うこともあり,単に盛儀というにとどまらず,呪的な意味合いもこめられていた。1日限りで完了する小規模で日常的な寺事の場合,法要も一座で完結することが多いが,大規模になると,1日に五座,六座の法要を勤修する場合もある。この場合,(1)1ヵ所の道場で何座もの法要を勤めるかたちと,(2)2ヵ所以上の道場で別法要を勤めるかたちと,(3)その混合のかたちとがある。(1)には法華八講,最勝十講(さいしようじつこう)などがある。法華八講は法華経8巻を講説する講経論義法要で,1巻ごとに一座の法要が完結するかたちをとる。8巻の講説を1日で行う場合は,同一の道場で1日に八座の法要を勤めることになる。(2)にはさまざまの事例があるが,大寺院での宗祖遠忌会(しゆうそおんきえ)などでは,一山の金堂と祖師堂を道場として,本尊に対する法要(たとえば大曼陀羅供法要)と祖師に対する法要(たとえば御影供法要)を勤修する,というかたちが通例である。(3)の事例としては東大寺の修二会(しゆにえ)や法隆寺の修正会などが挙げられる。東大寺修二会の場合,1日のうちに二月堂内陣を道場として六座の悔過法要と二座の祈願作法,二座の呪禁(しゆごん)作法という,計十座の法要を勤修し,その他に例時の間(れいじのま)で例時作法を,礼堂では法華懺法をと,道場を替えて別の法要を併修するかたちをとる。
上記の事例のように,1日のうちに同じ形式の法要を何座も繰り返して勤修するような場合,時間的な制約や変化を求める欲求から,法要の勤修形式に正略の別が考案されていることがしばしばある。具体的な手法としては,法要構成上の一部分を省略する,詞章の一部分を省略する,礼拝や行道などの所作を軽くしたり繰返しの回数を減ずる,声明のフシを簡単にしたり素読にしたりする,などの方法で略形式が作られ用いられる。しかし略形式とはいうものの,それなりに完結した形式を保ち,重要な部分を残し,旋律やリズムにも違和感を与えない,などの配慮が行われている。
寺事の規模と,それに応じた法要のかたちはわずかの事例によってもその多様な組合せを知ることができるが,出仕の僧侶の装束(衣帯(えたい))もまた寺事の規模や法要の軽重とかかわって軽重を異にする。装束は宗派によって規定を異にし形態を異にし名称を異にして多岐にわたるが,どの宗派でも,日常的で小規模な法要に比べて臨時の大規模な法要には盛装で出仕するのが一般である。
寺事と在家の関与
寺事は法要が構成の主軸となるから,当然,僧侶または尼僧が中心となって執行される。少なくとも法要は出家が勤修し,在家は関与しないのが原則である。しかし,行事によっては在家の関与する部分がかなりの比重を占める場合がある。その最たるものは雅楽を伴う法要である。この場合,舞楽,管絃の奏演は,現在ほとんど在家の演者に頼っている。法要の段落ごとに,あるいは法要と並行して舞楽が演ぜられ,法要を彩る。また僧侶の唱える声明の曲節にふさわしい管絃の曲が奏されて,声明の伴奏をしたりあしらったりする。舞楽法要,管絃講(かげんこう)法要,御懺法講(おせんぼうこう)法要などがその代表的な事例である。なかでも舞楽法要は,堂舎の前庭にとくに舞台をしつらえ,華やかに舞が舞われるから,法要もそれぞれの宗派の代表的な法要を大がかりに勤修することが多く,道場に出仕する前に堂外で行う儀式を加えたり,舞楽台を含む屋外で法要を勤修したりする。このような場合をとくに庭儀(ていぎ)舞楽法要(庭儀)と称し,あまたの法要形式の中で最も大がかりなものの一つである。
また日蓮宗の本門寺御会式(おえしき)は,団扇(うちわ)太鼓を叩き題目を唱えて熱狂する在家の大群集が僧侶の法要を圧倒して行事を形成しており,真言宗や浄土宗の一部寺院(即成院,当麻寺,浄真寺)で行われる二十五菩薩来迎会では,在家の有志が二十五菩薩に扮して来迎のさまを再現し,行事の主眼はここにおかれる。また,南都諸宗を主とし,天台,真言の古寺でも行われる悔過法要の場合は,古来の民間習俗と仏教行事が合体したという事情を反映して,荘厳(しようごん)の花や餅,呪具の牛王(ごおう)杖やケズリカケ,結界の注連縄(しめなわ)などの製作いっさいを在家が担当し,また法要の間に鉦(かね)や太鼓を打ち鳴らしたり,法要に付随する鬼追いの鬼役を勤めるなど,僧俗の協力によって行事が運営される例が多い。また特殊な例としては,真言,天台両宗でそれぞれに行う御修法(みしほ)は,天皇の御衣加持を目的とする行事であるが,この時には日を定めて勅使差遣のことがあることなども,寺事における僧俗の濃いかかわりのなごりを示す一例である。その他浄土真宗の報恩講や薬師寺の修二会で,自然発生的に,在家の聴聞者が出仕の僧侶に唱和して声明を唱えるなどは,寺事のあり方の,現代的な方向の一つを示している。
執筆者:佐藤 道子
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