四足動物において,後肢の付け根より後方にあって肛門を中心とする部域を漠然と指すことばだが,主として四足歩行性哺乳類に対して用いられる。ヒトでは背中の下部の膨らんだ部分で,日本式に正座すると〈かかと〉がつき,いすに座るとその座面にあたるところである。解剖学では〈臀部(でんぶ)〉といい,上は弓形に走る腸骨稜(腸骨の上のへり)によって腰部と境され,下は大腿との間を水平に走る〈臀溝〉という溝で境されている。左右の臀部の間の深い溝を〈臀裂〉といい,下がるにしたがってしだいに深くなり,しまいには左右の大腿の間に入りこんで肛門に達する。人間の臀部が膨らんでいるのは,一つにはその内部にある大臀筋がよく発達しているためであり,いま一つはこの部の皮下組織(ことに皮下脂肪)がはなはだ厚いためである。臀部の皮下組織は女性のほうが男性より厚く(平均で男性は約2cm,女性は約3.5cm),女性のしりが大きいといわれる理由の一つはこのためである。しかし骨盤の骨格そのものに大きな性差のあることも,女性の臀部が大きく見える大きな理由である。コイ・コインの女性では臀部の脂肪沈着がとくに著しく,これを〈脂臀〉または〈脂肪じりsteatopygy〉という。
皮下脂肪のすぐ下に大きな大臀筋がある。人間は直立位をとっており,大臀筋は直立姿勢を保つために重要な働きがあるから,この筋肉は人間で最もよく発達している。
女性のしりは男性に対して性的な信号としての意味をもつが,他の霊長類にも類似の現象がある。チンパンジー,ヒヒ,ブタオザルなど一部の高等霊長類の性成熟に達した雌では,毎年交尾期になると月経周期に応じて肛門・外陰部周辺の毛のない部域が充血し,赤い風船のようにはれあがる。こうした膨張を起こさない種類でも,交尾期には雌雄とも外陰部の皮膚全体が深紅色になる。このように発赤して生殖能力を意味する信号となるしりの皮膚を〈性皮sexual skin〉という。
しりだこischial callosity
ニホンザルなど旧世界のオナガザル類では,肛門の左右両側に楕円形のいわゆるしりだこがある(左右のものがつながっている種類もある)。これは骨盤の最後部に発達した〈坐骨結節〉に外接する皮膚が厚く角質化したもので,地面や木の枝に腰をおろすとき体を安定させるのに役立つ。幼時にはしりだこは目だたないが,成長するとともに角質化が著しくなる。その角質層と坐骨結節とは直接に結合しているので,しりだこは骨そのものが露出したかのように堅固である。
執筆者:藤田 恒太郎+田隅 本生
尻の文化史
アリストテレスは人にだけ尻があるという(《動物部分論》)。彼によれば四足獣の体幹は前半が重く後半は軽いが,人の上半身は軽く下半身が重いので,豊かな臀部を支えとして安定して立つという。実際には哺乳類のすべてに尻があり,人間のそれがとくに発達しているにすぎない。鳥類も骨盤と臀筋群を有するが,膨らみを欠くうえに羽毛に包まれているので尻を認めがたい。
哺乳類の尾も含めた尻はコミュニケーションにきわめて有用である。犬はその意識や感情を遺伝的に組みこまれた仕方で尾を振って表現するので,〈しっぽが犬を振る〉といわれる。シマウマは尻の縞でグレービーシマウマ,ヤマシマウマ,サバンナシマウマの3種を識別できる。オジロジカは尾が白いのではなく,尾の内側に白く長い毛があって尾を立てたときに目だつことから名を得た。大型および中型の哺乳類には臀斑という種特有の毛斑をもつものが多く,逃走するときなどに貴重な情報を送る。シカ類にとくに目だち,ニホンジカの白い臀斑は黒い側斑に囲まれて鮮やかである。プロングホーンは緊張すると臀斑が逆毛立ち,白い光のような信号を仲間に送る。アメリカ・インディアンはこれをまねて鏡による交信を考案したという。尻はまた性的な信号としての役割もはたすほか,低く落として服従を示したりする。一般に動物の尻には個体の安全と性に関する情報を送る機能が備わっているといえよう。前者は,発情期には異性の性器がある尻に目がいくという自然の習性を,発情期でないときにも巧みに利用した交信法である。
人の尻はもっぱら性に関する信号を送る。女性の尻は豊かに盛り上がり生殖と豊穣を象徴する。フランスのローセル出土のグレート・マザー(大地母神)のレリーフ,シルイユ出土の女体像,オーストリアのウィレンドルフ出土の女身像など,いずれもまるまると隆起した尻をもつものをビーナス像ともいうのは,ビーナス(ウェヌス)に相当するギリシアの美神アフロディテを別名カリピュゴスKallipygos(〈美しい尻をもった〉の意)と称したからである。アフロディテ像はみな,大きく美しい尻をもっている。一般に女性は男性よりも皮下脂肪に富み,とくに乳房と臀部に集中しているが,かつては尻に脂肪蓄積の著しい女性が多かったのかもしれない。ビクトリア朝のころ流行した腰当て(バスルbustle)は,高くくびれた腰の下でコイ・コインの女性にみられる脂臀のような盛上がりを衣装につくっていた。ブラントームがスペイン女性の30の美点の中に太い尻をあげている(《艶婦伝》)のは同じ美意識からであり,西川祐信が《百人美女》で女性の32の美点の一つとして顚(くうてん)臀相(軟らかい丘のような尻)とだけいっているのと対照的である。美術作品では,ダリの《ウィルヘルム・テルの謎》は異様に伸びた右の尻が奇怪な想像を引き出し,E.フックスの《スフィンクス・カリピゴスⅡ》の尻は幻想的なエロスを醸し出している。
懲罰として尻をたたくことは広く行われてきているが,特殊な尻たたきがある。正月15日の粥(かゆ)を炊いたときの薪の燃えさしで作った粥杖は,女性の尻をたたくと子が生まれる,または男児ができるというので,《枕草子》にみえるように平安時代から行われていた。この俗信は《狭衣(さごろも)物語》や《問はず語り》にもあり,形をかえて室町から江戸時代を経て続き,今も五島列島の一部などに残る。〈粥杖でたたかれ嫁の腹が張り〉(《柳多留》)。類似の習俗として京都の石座(いわくら)神社には尻叩き祭がある。また,動物には服従や性と関連したプレゼンティングpresentingという行動があるが,人では尻を相手に向けることの意味は異なる。新羅に捕らえられた調吉士伊企儺(つきのきしいきな)は,日本に向けて尻を出し〈日本(やまと)の将(いくさのきみ),我が臗脽(しり)を嚙(くら)へ〉と言えと強いられても屈せず,〈新羅の王(こきし),我が臗脽を(くら)へ〉と叫び続けて殺されたという(《日本書紀》)。豊臣(羽柴)秀吉が小牧・長久手の戦で尻をたたきながら〈敵の大将これ食らえ〉と呼ばわった(《常山紀談》)のも,同じく侮蔑のしぐさである。
→尾
執筆者:池澤 康郎