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平泉[町] ひらいずみ

百科事典マイペディアの解説

平泉[町]【ひらいずみ】

岩手県南部,西磐井(にしいわい)郡の町。中部を北上川が流れ,東北本線,東北自動車道が通じる。衣川磐井川にはさまれた丘陵地は古来蝦夷(えみし)経営の要地であった。
→関連項目平泉藤原氏陸奥国留守職柳之御所跡

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世界大百科事典 第2版の解説

ひらいずみ【平泉[町]】

岩手県北上盆地南部,西磐井(にしいわい)郡の町。人口9288(1995)。大和朝廷の蝦夷経営時代から北上盆地をおさえるための軍事上の要地で,1094年(嘉保1)藤原清衡によって居館がつくられて以来,1189年(文治5)源頼朝によって滅ぼされるまで奥州藤原氏代にわたって平泉文化が展開された。北上川に注ぐ磐井川と衣川を分離する平泉丘陵には,衣川館,中尊寺,金鶏山南麓の毛越寺(もうつじ),2代基衡の妻が建立した観自在王院跡,3代秀衡が宇治平等院を模して建てた無量光院跡(特史)など多くの史跡が残っている。

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世界大百科事典内の平泉[町]の言及

【奥州藤原氏】より

…それは父の経清が前九年の役で安倍頼時,貞任に味方したため源頼義に殺され,母の安倍氏(頼時の娘)が乱後清原武貞に再嫁したためである。その後清衡は,後三年の役で源義家とともに異父兄弟の清原家衡と戦って勝ち,安倍・清原両氏の支配権をそっくり継承し,1094年(嘉保1)ごろ磐井郡平泉に居を定めた。以後4代にわたって,藤原氏はそこを根拠地として奥羽に勢力をふるい,また京風の仏教文化を移入してその地を都市化した。…

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